連載13:文字起こし〈目と耳の対決〉4-3
マークス神父と「また煌堂で」
受難の始まり/聖週間2020
4-3 文字起こし〈目と耳の対決〉
ジョー・マークスは頑固である。
こうと思ったら絶対に曲げない。
どうでも良い(と彼が思う類の)事柄には全く無頓着なのだが、こと信仰や信念に関わる部分については、自身の考えを覆すことは、基本的に、ない。
彼には絶対にブレない軸があった。
たいがいの人は、そういう彼に触れたら黙る。
彼と議論するのは骨が折れるし、あのマークス神父と本気で真正面から議論しようという猛者は、今の世にそうそう存在しない。
ただ、幸か不幸か、私も頑固なのである。
彼と同じ部分で、こうと思えば貫くし、相手があることならば可能な限り対峙を試みる。
何が言いたいかというと、あのコロナ禍中、マークス神父は何度か、いや、かなり頻繁に、私から難題を吹っかけられ、私と衝突するのを余儀なくされ、彼は頭を抱え悩みつつ、常にお互いの信念を擦り合わせる作業をせざるを得なかったということだ。
そうでなければ、ジョー・マークスとのリモートミサなど絶対に実現しなかったし、バーチャル聖堂「煌堂」も生み出されることはなかった。
その日は聖週間の始まり、受難の主日であった。※※
毎日のように信徒たちの悲痛な声に触れていたジョーは、私たち家族と煌堂ミサを捧げた後に、私が一人になったのを見届けてから言った。
「ねえミカゲ、今、この状況の中で、この私にいったい何ができるだろう?」
「できること、ありますよ、ジョー」
間髪入れずに私は答えた。
「あなたの言葉を文字にさせてくださいな。私があなたのミサ説教を文字に起こし、必要な方たちにメール配信します」
ジョーは目を見開いた。
ジョー・マークス神父は、自分の言葉が文字になって人々の中に残ることを好まなかった。というより、許さなかった。
彼には確固たる信念があったのだ。
まず何よりも、「世に残るべきは、唯一キリストの言葉だけ! マークスの言葉なんぞ、どうでもいい。キリストの言葉だけが尊ばれれば、それでいいのだ」という彼の思いは、そりゃもう岩のように固かった。
もう一つは、「説教は、本来ミサという典礼の中で、人が耳で聴いて受け取るべきものである。マークスの説教は、目で読む読み物としては準備されていない」ということ。
目と耳の役割の違い、これも彼の譲れない部分なのであった。
実はそれまでも、彼のミサ説教の文字化を試みたことは何度かあった。
しかしその度に、「ミカ、私の説教は、ねえ…」「だいたい、この説教は『聴こえてこない』ヨ…」と溜息をつかれ、この話題は中断されていたのである。
彼の信念は簡単に揺らぐようなものではなかった。
けれども、私は諦めていたわけではない。
時宜が与えられるのを待っていた。
「ジョー、あなたの力強い説教は、こんな今だからこそ、人々を支える力になり得ます。それは必ず人々の歩む道を照らしますよ」
「信徒たちはあなたの言葉を待っています」
「どうかマークス神父の説教を、私に文字起こしさせてくださいな」
ジョーは沈黙し、少しだけ目を閉じてから、そしてついに言った。
「わかりました。やってみましょう」
文中※※↓↓関連記事:受難の主日・枝の主日
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(たまに単発で短編を挟むことがあります)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。
続き(連載14)はこちら↓
本記事(4-3)の「文字起こし」
(4-1)はこちら↓
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
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舞い上がって喜びます♪
今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
