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連載10:霊的な交わりと一致〈時空を超えて〉3-4

マークス神父と「また煌堂で」

受難の始まり/聖週間2020

3-4 霊的な交わりと一致〈時空を超えて〉

 コロナ禍以前、カトリック教会は万事につけ対面重視であった。

 教会に限った話ではないだろう。
 国際社会全体のリモート化を推し進めたのは、間違いなくCOVID-19の世界的な流行(パンデミック)であったと言って良い。

 少なくとも、それまでジョー・マークス神父の辞書には、「リモート」とか「オンライン」「バーチャル」といった単語は一切存在しなかった。
 壊滅的なほどに機械音痴かつデジタル音痴だった彼には、いずれも宇宙語だったはずである。

 そのマークス神父がなんと、まさかのタブレットを使い、バーチャル聖堂「煌堂」で、画面越しにリモートミサを捧げたのだった。

 神はまことに驚嘆すべき方である。

 残念ながら、タブレットを介したミサでは、マークス神父が指摘したように、遠隔の私は聖体拝領ができない。
 だが実は、カトリック教会には「霊的聖体拝領の祈り」という信心、いわば抜け道がある。

【霊的聖体拝領の祈り】

主イエス・キリスト、
あなたがご聖体の秘跡のうちにまことにおいでになることを信じ、すべてに超えてあなたを愛し、わたしの心に迎えたいと望みます。
今、秘跡によるご聖体を受けることができないわたしの心に、おいでください。
(沈黙)・・・
あなたが、今わたしの心にまことにおいでになったことを信じて感謝いたします。
いつもあなたと一致したいと望むわたしが、あなたから離れることのないようにしてください。

カルメル会編『祈りの友』より

 物理的にミサに与ることができない時や、何らかの事情で聖体を拝領できない時に、目に見えない聖体を霊的に拝領することで、現存なさる主イエス・キリストと一致し、教会全体の交わりに与ることができる。
 神の恵みを霊的に受け取る(と信じる)のである。
 これはカトリック教会の大変ありがたい伝統の一つと言えるだろう。

 コロナ禍のために公開ミサが中止された時、また教会が封鎖された時、教会の指導者たちは、この霊的聖体拝領の祈りを「日常生活に取り入れるように」と促し、信徒たちを励ました。

↓↓関連記事:霊的聖体拝領に関して

2020年3月30日付「東京教区からのお知らせ」より

 この祈りに言及するまでもなく、

 本当に、主キリストは複数の人間が主の御名によって一つに集うならば、遠隔であってもその中に一緒におられるということ。

 祈りは間違いなく天地の時空を超えるということ。

 キリストは望む者に必ず訪れてくださるということ。

 タブレットを用いたバーチャル聖堂でのリモートミサにも主はしっかりと働いてくださり、ご自分を通して互いを一致へと導き、私たちは全教会の交わりに与ることができるということ。・・・


 そういったことを、神はジョー・マークス神父にも私にも、実際に体験させてくださった。

 そう、私たちは大きな交わりの中に置かれ、互いに強く結ばれていることを感じていた。

 そこは紛れもなく光の煌めく聖堂であった。

 主イエス・キリストはバーチャル聖堂「煌堂」にご自分を現され、そこに臨在しておられた。

 神秘。ただ神秘であった。

 主よ、あなたが賛美されますように。
 ジョーがこのミサを立てる気になってくれたこと、あなたがジョーをその気にさせてくださったこと、そしてこの聖なる時間、聖なる場所を与えてくださったこと、心から感謝します。

 この恵みを、どうか世界中の人々が受け取れるようにしてください。
 この煌めく光を、世界中の人々に届けてください。
 どうか主よ・・・・・

 初めての煌堂ミサが終わった時。
 長い長い沈黙の後、ジョー・マークスは満面の笑みを浮かべ、ウィンクしながら言った。
 「ミカ、ありがと。明日もまた煌堂で!」


補足:
マークス神父が奉仕していた教会では、2020年4月5日の受難の主日(枝の主日)より、主日ミサ中継のインターネット配信を開始した。

なお、日本で最大の信徒数を有するカトリック東京大司教区は、そういった配信について、あくまでも「ミサ」のライブ配信ではなく「ミサ映像」のライブ配信であるとし、ミサ映像はミサそのものとは厳密に区別されるべきものであると言明した上で、しかし、配信は霊的聖体拝領の機会を提供するものであり、信徒が教会共同体と一致することに役立てて欲しい、と記している。

↓↓関連記事:ミサの映像配信に関して

2020年4月18日付「教区からのお知らせ」より


mikageです:

コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。

更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。

なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。

読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。

また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。

続き(連載11)はこちら↓

本記事(3-4)「霊的な交わりと一致」の
(3-1)はこちら↓

連載の第1回はこちら↓

(↓たまに単発で短編を挟むことがあります)

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今後ともよろしくお願いいたします。

目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage

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