〈古武士〉受け継がれしもの-4
蝉の季節になると思い出す。
あの夏、古武士が遠路はるばるやって来た。
その人、テル神父はもともと夫の母が敬愛していた修道司祭であった。
かつて、彼女がお世話になっていた友人のご主人が、定年すぎて洗礼を受けることになり、夫も洗礼式に参列した。
その司式司祭がテル神父であった。
洗礼式はめでたい祝いであり、司祭も参列者も笑顔である。…はずであるが。
テル神父はニコリともせず、気難しい仏頂面で淡々と式を進めた。
さらに驚いたのは説教だった。
「人間は、神様のありがたみを、これっぽっちも理解していない」
社会の一線を退いて、ようやく洗礼を受ける気になった高齢者に贈る言葉として、これは果たして適切なのか?
夫はヒヤヒヤしたという。
夫の心配をよそに、人々はそんな神父をごく自然に、ありがたそうに受け入れていた。
どうやら、それが普段変わらぬテル神父の日常だったらしい。
信徒に媚びる?ような真似は一切しない、古武士のような司祭であった。
その何年か後、我が家だけの小さなミサを、テル神父に依頼した。
教会の小聖堂に入ると、老師はすでに祭服を身につけて祭壇の前に座し、目を閉じて祈っていた。
その祈りの姿は凛としていて威厳に満ち、異彩を放っていた。
どう表現すれば良いだろう、近寄りがたいほどの神々しさを感じ、私は初めて人間に「畏れ」を覚えた。
頭を上げることができず、足がすくんで動けなかった。
カトリック教会において、叙階の秘跡によって油を注がれた司祭は、「キリストの代理者」と呼ばれる。
私がその意味を実体感として理解したのは、この時が最初であった。
老師は古武士の気品を漂わせつつ、キリストの代理者としてミサを捧げた。
我が家の子どもたちも、神妙な面持ちでミサに与っていた。
そのミサ直後のことである。
祭服を脱いだテル神父のことを、二人の子どもたちはなんら畏れず、あろうことか「テルジィ、テルジィ」と呼んで、しきりに老師にまとわりついた。
極めて不遜である。血の気が引いた。
ところが当のテル神父は、なんと、「テルジィ」と呼ばれる度に、見事に目尻を下げた。
私は面食らった。
古武士が笑った顔はひどく愛嬌があって、あまりにも愛らしかった。
テル神父の本性は、一途で純粋無垢な心根の少年であった。
子どもたちは見抜いていたのだった。
夏の盛り、蝉の季節。
その年、すでに八十を超えていたテル神父は、骨董品のような軽自動車を転がして、はるばる東京からキリシタン巡礼に出て来た。
当時、私たち家族は九州に住んでいた。
彼は旅の途中、息抜きに我が家に滞在し、いつものように祈りの時間をともにした。

友人たちを交えてミサを捧げ終えた時、息子が唐突に、「ねえ、テルジィ!」と呼びかけた。
当時、息子は小学五年生。
「ねえ、どうして聖書には、イエス様がオシッコ漏らしそうになったとか、オナラが出たとか、そういう話が全然ないの?」
あーあ、言っちゃった! 言っちゃったよ、この子!
もし義母がその場にいたならば、間違いなく「コラっ!」と叫び、慌てて息子の口を塞いだだろう。
でもね、お義母さん、常日頃から息子だけでなく、あなた様のご子息(つまり夫)も一緒になって、息子と不思議がっていたわけですよ。
「なぜだろうねえ」と。
「完全な神であり、同時に完全な人でもあったなら、イエスもたまには粗相をすることだって、あったのではないか」とか。
或いは、「おっチョコちょいの弟子たちが、ついつい間に合わなくて困ったことも、旅の途中であったのではないか」とか。
不謹慎で大変すみません。
だけど、我が家はずっとこんな感じなんですよ、お義母さん。
さて問題です。
「福音書の中に、イエスや弟子たちが粗相した、という話がなぜ出てこないのか」という息子の大真面目な疑問に対し、テル神父はどう反応したでしょうか。
次の三択からどうぞ。
一、呆れてスルーする。
二、笑って「さあねえ」と言って済ませる。
三、きちんと答える。
いかがでしょうか?
答えは・・・三です。
テル神父はなんら動ぜず、表情ひとつ変えることなく、厳かに宣言した。
「それはなぜか? 人類の救いに関係がないからだ」
「・・・・・」
息子は(夫も)一瞬ポカーンとしてから、でも霧が晴れたように「あ、そっかあ〜」・・・
お見事!としか言いようがない。
眉ひとつ動かすことなく、次のように続けたテル神父の、この言葉を私は決して忘れない。
「お前、信仰深い人間になれよ!」

み言(みことば)は人となり…。(John1:14)
心と言が離れては駄目だ。(そんな大人が多い)
テル神父は正直で率直で、誠実で、曲がったことが大嫌いで、テレ屋で不器用で、融通が効かず、愛情表現が極めて下手くそだったけれど、どこまでも愛深く、真っ直ぐで、どこまでも懐の大きいキリストの代理者であった。
そういうところは本当に、ジョー・マークス神父によく似ていた。
テル神父もマークス神父も、この世のことに一切興味がなかった。
さんざん着古した衣服を「まだ着られる」と、肘も袖もボロボロなまま身にまとっていた。
彼らは神にしか興味がなかった。
そして彼ら二人とも、神にも人にも愛されていて、自分が愛されていることを知っていた。
彼らは口にする言葉も似ていた。
テル神父の口癖は、「私たち人間は、神様のありがたみを、これっぽっちもわかってない」
マークス神父の口癖は、「神様は大きい」
どちらの言葉も、違う方向から、違う表現で、でも結局は同じことを伝えている。
二人は最後まで、本気で感嘆していた。
「神様は、なぜ自分のことを、これほどまでに愛してくださるのだろう」
「人々は、なぜこんな私のことを、こんなふうに愛してくださるのだろう」
「なんとありがたいのだろう」
「感謝すること以外に、いったい自分に何ができようか」と。
古武士には金言が多いが、今、一つだけここに記しておきたい。
「たとえ何もできなくても、神様を賛美するというそのためだけでも、私たち人間には生きる意味も価値もある」
補足:
テル神父は、かつては軍国少年であった。
しかし終戦後、一人の宣教師に出会った。
「あの方に出会って、それまで白黒だった人生が、一瞬にして天然色(カラー)に切り変わったんだ」
「これからの日本にはキリスト教が必要だ!と無条件に確信し、だから自分は宣教のために司祭になろうと思った。それで洗礼を受けた」
「私はね、司祭になるために洗礼を受けたんだよ」
「勉強は大変だった。だって、頭が一番柔らかい時期に戦争だったでしょ。若いころ、勉強なんて全然していない。ラテン語なんてサッパリ。無茶な挑戦だった。出鱈目な神学生だったよ、ほんとに」
敗戦を機に宣教師に出会った古武士が、苦労の末に司祭となり、同胞である大勢の日本人を導いてきた。

テル神父の訃報を受け取った翌朝、夢を見た。
あの少年のような無垢な笑顔をこちらに向けて、古武士はまず夫に手を差し出し、無言で握手をした。
次に私の方を向き、にっこりと笑って手を握った。
当時と変わらず、とても力強い握手だった。
バトンは受け継がれた。
夢を見たその日は、奇しくも故マークス神父の誕生日だった。
テル神父もマークス神父も、どこまでも神に感謝しながら、どこまでも神に信頼しながら、御国に帰っていった。
とこしえに主は賛美されますように。
主に栄光が帰されますように。
↓↓関連記事:終戦のころに来日した宣教師たち
↓↓関連記事:司祭として生きること
↓↓関連マガジン:受け継がれしもの
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(本作は単発の短編記事です)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
テル神父も仮名です。
連載の第1回はこちら↓
単発短編はこちら↓
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舞い上がって喜びます♪
今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
