〈司祭として生きる人に〉受け継がれしもの-2
毎年春3月になると、叙階(注:カトリック教会で人が聖職者として任命されること)される人たちのことを思う。
マークス神父の生前は、神学生やかつての教え子たちが、毎週のように彼を訪ねてきていた。
ジョー・マークスは、その方面では卓越した「霊的指導者」(注:近年は「霊的同伴者」と称されるとか)として名を馳せていた、らしい。
その真偽を本人に問うた時、彼は否定も肯定もしなかったが、一瞬だけドヤ顔になった。
帰天の少し前も、「今朝は、〇〇地方から神学生が面談に来ました」と言っていた。
その何年かの後、〇〇の地で司祭が叙階されたと聞き、おそらくあの時の神学生なのだろうと感慨を覚えたものだ。
マークス神父は神学生たちを愛し、また彼らのために心から祈っていた。
ジョー・マークスの遺品の中に、古い写真立てがあった。
中には英語で書かれた重厚な招待状。
それは五十数年前の日付で、マークス神学生の司祭叙階を告知し、人々を祈りへと招いていた。
差出人はジョーと彼の母マークス夫人との連名である。
(父はすでに故人であった)
額は錆びつき、紙は色褪せて変色していたが、ジョーがこれを自分のデスク上に置いて日々眺め、大切にしていたのを私は知っている。
掃除でもしてあげましょうと留め具を外したところ、はらりと別のカードが滑り落ちた。
拾い上げると、そこには英語でこう記されていた。
In remembrance of the day
God anointed me His Priest
to offer sacrifice to Him
and to bring to men
His word
His pardon
His love
His Life
今日この日
神が私に油を注がれた
主の祭司として
彼にいけにえを捧げるために
その記念として
そして、人々に もたらすのだ
彼のみことば
彼のゆるし
彼の愛
彼のいのちを
(私訳)
この日は彼の原点であった。
そして、この文言どおりに彼は生き、生き抜いた。
この春、司祭に召される人々の上に、
また今、司祭として生きる人々の上にも、
天のマークス神父とともに、祝福を祈ってやまない。
彼の司祭としての思いが、後の世までも受け継がれていきますように。
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mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(本作は単発の短編記事です)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
連載の第1回はこちら↓
(↓次の短編はこちら)
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今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
