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〈逃亡と帰還〉エマオへの旅路-1

カトリック教会の典礼暦で「復活の水曜日」

この日の福音箇所は、有名な「エマオへの旅路」での話(ルカ24:13-35)である。

受難と十字架を経て、ついに復活したキリストが、そろそろ弟子たちそれぞれに、少しずつ現れ始めていたエルサレム。
しかし、そのうちの二人は、おそらく彼らの故郷であろうエマオへ、いわば逃避行していた。

弟子たちの多くは、生前のイエスの言葉をよく理解しておらず、まだ悲しみと絶望の中に置かれていた。
また現実に、自分たちが「殺されたイエスの弟子だった」と周囲に知られてしまうのは、かなり危険なのであった。
要するに、二人は逃げ出したわけである。

エマオへの逃亡中、さり気なく彼らに合流してきたキリストが、ご自分の「受難と復活の意味」について、道すがら懇々と二人に話して聞かせた。
そして夕暮れになり、宿に入った。

夕食の時間に、復活したキリストが賛美の祈りを捧げてパンを裂き、パンを彼らに手渡した時、二人の目が開かれ、彼らはその時になって初めて、その方が殺されたはずの自分たちの先生であったことに気づく。

途端にイエスの姿は消えてしまった。が、・・・
二人は「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合い、すぐさまエルサレムに引き返した。・・・

これが、エマオへの逃亡物語である。

ジョー・マークスはこの話が好きだった。
彼はよく言っていた、
「ねえミカゲ、ここの箇所、なんとなく、エリヤの話(列王記上19:1-18)を思い出しませんか」と。

「だってね、神様はホレブの山にいたエリヤに対し、『行け、あなたの道を引き返せ』と仰ったよ」

「新しい道を行くのでなく、先に進むのでなく、新しい居場所を探すのでもなくて、『あなたの道』を『引き返せ』と」…

そう、エマオへ逃げていく途中で復活のキリストに出会い、目が開かれた二人の弟子もまた、エリヤと同じように、混乱の地エルサレムに「戻って」行くのである。

帰りなさい。引き返しなさい。戻りなさい。
あなたの道へ。
あなたが来た道へ。
あなたが本来いるべき居場所へ。

逃げてもいい。逃げ出しても構わない。
その途上で、復活のキリストはご自分の方からあなたに歩み寄り、あなたに直接語りかけてくださるから。
あなたはキリストに力をいただいて、そして、自分の道に引き返しなさい。

それがエマオへの道であり、ホレブからの道。
先人たちも同じように逃げて、でもまた自分の道に戻って行ったのだ。
「ねえ、ミカ」とジョーは続ける。

「単に『以前の場』に帰るという、そういうことだけではなくて、『その居場所を、キリストと一緒に新たに築き直せ』『新たに創造せよ』と、そういうことですよね。『新しくなれ』と。だって神様はね、全てを新たにしてくださるから」

「そして」と、ここで一息ついて、
「私自身のことも、いつも新たにしてくださっているから」…

ジョーの黙想は続く。
「この私マークスは、神様が私にこのように在れと望んでいらっしゃるマークスであるのか。そこから離れてしまっていないだろうか」

「自分自身を、主とともに本来の自分自身に新しく創造し直して、そこから周囲にも広げていきなさいよ、と。エマオへの道も、ホレブへの道も、どちらの道の話も、神様が私たち一人ひとりに対し、そう仰っているのだと思う」

「そしてそれがね」

「きっと、私たちが主キリストの復活に与る、ということなのでしょう」

実はジョーの晩年には、とても辛い時期があった。※※
心も体もボロボロになり、できることなら逃避行して、もうそのまま逝ってしまいたいと、あのマークス神父をしてそう思わせるほどの失意と悲しみの闇夜を、彼は長く味わった。
味わい尽くした。

感情の部分では、当時の彼はもう本当に、神の国へ「夜逃げ」したいほどだったのだ。
もちろん、それは神の御旨ではなかった。

長い長い月日を要したが、ジョー・マークスは立ち上がった、主の御手の中で。

その復活体験こそが、後にあのコロナ禍中に、マークス神父をあのようにマークス神父たらしめたのだと、私は思っている。

復活の主イエス・キリストに出会い、真の交わりの時を持て。
そして、本来の自分自身に戻り、主とともに自分も周囲をも新たに創造し直せ。
主はいつだって一緒にいてくださるから。
そうしていれば、生きる。・・・

毎年の復活節に「エマオへの旅路」が読まれる度に、マークス神父の受難と復活を思い返す。
そして、今年も私は自分の道に引き返すのだ。


文中※※↓↓関連記事:最も困難だった時期に関して



mikageです:

コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。

(本作は単発の短編記事です)

更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。

なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。

読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。

連載の第1回はこちら↓

(↓次の短編はこちら)

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今後ともよろしくお願いいたします。

目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage

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