連載9:霊的な交わりと一致〈煌堂ミサ始動〉3-3
マークス神父と「また煌堂で」
受難の始まり/聖週間2020
3-3 霊的な交わりと一致〈煌堂ミサ始動〉
バーチャル聖堂「煌堂」でのミサを提案した時、ジョー・マークス神父はなかなか首を縦に振らなかった。
タブレットの画面越しに説得を試みる私を、ジョーは無言で見つめていた。
「神学や典礼学の専門的なことは、もちろん私にもわかりません」
「インターネットを介したタブレットのこのミサは、もしかしたらあなたが懸念なさるように、正式なミサとしては認められないかもしれません」
「ですが今、大事なことはミサが正式かどうかではなく、一致して祈ることそれ自体だと思うのです」
「社会のこの危機的な状況の中で、私たちが心を一つにして祈る祈りを、主は私たちの真心として受け取って、それを用いてくださるのではないでしょうか」
「仮に正式でないとしても、私は主の慈愛に信頼し、私の思いを主に委ねて捧げます。愛そのものである神が、それを足蹴になさるとは思えません」
目を閉じてジョーは耳を傾けていた。
「ねえジョー、もちろん聖体拝領は恵みです。もし叶うならば、今までのようにご一緒に同じ祭壇を囲み、物理的に一致して、私も聖体を拝領したい。聖体の秘跡を受けたいです」
「でも今の私にとって、ミサ聖祭が司祭マークスの手によって捧げられること以上に、尊い恵みはないのです」
ジョーはまだ目を閉じている。
「ねえ、あなたはいつも、『司祭が自分一人だけで捧げるミサは意味がない、主の食卓は誰かと一緒に囲むべきだ』と、そのように仰るではありませんか」
「今のこの非常事態で、修道院では兄弟たちとのミサがなくなり、司祭は皆さん一人だけで、ご自分の部屋で捧げていらっしゃるのでしょう?」
ジョーが目を開いた。
「あなたが修道院のその部屋で、そのデスクの上で、お一人で捧げなければならないそのミサに、どうか私もご一緒させてください。ね、ミサ道具の脇にタブレットを置いてくださいな」
「ジョー、どうかミサをお願いします。マークス神父の捧げる聖祭に、私は霊的に交わり、一致します」
少しの沈黙があって、ジョー・マークス神父は「わかりました」と言った。
「やってみましょう」と。
そして再び目を閉じて、静かに続けた。
「そうね、確かにね」
「ええミカゲ、大事なことは何をするかのDoingではない。他人がどう判断するかでもない」
「そうね、大事なことは、自分自身がどのような心でそれをするかのBeingであり、神様がそれをどうご覧になるかです」
「私たちが今、二人でごミサを通して捧げたいと願っているものは、ミカ、確かに私たち自身のBeingそのものだ」
「主はきっと、そのまま受け取ってくださり、それを何倍にも増やして人々に与えてくださるでしょう」
ジョーは私を見つめて言葉を重ねた。
「私たちの心からのもの、心からのBeingを、ミカゲ、一緒にお捧げしましょう」
その翌朝。
バーチャル聖堂「煌堂」でのミサ初日。
ジョーは最初こそ、タブレットのこちら側にいる私を恨めしそうに一瞥し、困った顔でモジモジしていたが、エイヤ!っとばかりに十字を切って、「父と子と聖霊の御名によって」と祈り始めると、もうそこからは普段と変わらぬキリストの代理者、祈りの人ジョー・マークス神父の聖なる祭儀であった。
mikageです:
コロナ禍中に
恩師マークス神父(仮名)と過ごした
バーチャル聖堂「煌堂」での祈りの日々を
連載で綴っています。
(たまに単発で短編を挟むことがあります)
更新は不定期です。
1話ごと、祈りの中で言葉を紡いでおります。
気長にお付き合いくださいませ。
なお、本作は実話録ではありますが、
主人公はじめ登場人物・組織名等は、
(少なくとも当面は)仮称を用います。
読者の皆様には、ジョー・マークスを、
世間的な「肩書き」や、修道会・教会という組織の名称とは切り離された、ただ「神の御前に何ものでもない、一人の無名の老人」として、受け取っていただきたいと望んでおります。
また、記事は事実をベースとしつつ、
一部の出来事や時系列などに、再構成や脚色を含みます。
続き(連載10)はこちら↓
本記事(3-3)「霊的な交わりと一致」の
(3-1)はこちら↓
連載の第1回はこちら↓
(↓たまに単発で短編を挟むことがあります)
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今後ともよろしくお願いいたします。
目を留めてくださるお一人おひとりに
祝福を祈りつつ…
mikage
