04_シェイクスピア『ハムレット』考察:墓掘りになった日が意味するものとは?
Q. 墓掘りになった日が意味するものとは?
『ハムレット』の後半、ハムレットはオフィーリアを埋葬するための墓穴を掘っている墓掘りたちとこんな会話をします。
ハムレット 墓掘りになって何年になる?
墓掘り ほかでもねえ、この稼業を始めたのは先代の王ハムレット様がフォーティンブラス王をやっつけなすったその日からで。
ハムレット とるすと何年になる?
墓掘り ご存じねえんで? どんな馬鹿でも知ってまさあ。王子のハムレット様がお生まれになった日だ——ほれ、気が狂ってイギリスに送られなすった。
この戯曲において、墓掘りになった日にはどんな意味があるのでしょうか。本稿の解釈はこう。
A. 先王が未熟な若者から、立派な大人へと昇格し、王子ハムレットが自分の墓を掘り始めた日。
以下に理由を述べます。
シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。
1 『恋の骨折り損』幼いヘラクレス
前回、『ハムレット』では神話の英雄ヘラクレスの強い面だけでなく、弱さや未熟さについても語られており、それが若く未熟なハムレットと重ねられているのではないかと述べました。『ハムレット』以外の作品でも、シェイクスピアはヘラクレスにまつわるモチーフを何度も描きこんでいます。そしてそこでも、ヘラクレスの強さと弱さ、善い面と悪い面を比較するような表現がなされている。今回はまず、『ハムレット』以外の作品に書かれたヘラクレスから見ていきたいと思います。
『恋の骨折り損』では、ケルベロスを退治した(177)という、ヘラクレスの強く偉大な英雄としての側面が語られ、「勇気の点では、恋はヘラクレス、/竜が守る金のリンゴのなる木にも易々と登れる」(119)という言い方で、困難を克服する大きな力の例えとして使われています。同時に、偉大な人物でありながら、恋をした英雄として名前が挙げられ(32)、「キューピッドの矢にはヘラクレスの棍棒もかなわない」(39)と表現されています。偉大なヘラクレスだって恋をしたのだから、凡人が恋に落ちて心を揺さぶられるのは仕方がないという励ましとして、言及されているんですね。
ちくま文庫の注釈で訳者松岡氏が指摘されているように、ヘラクレスには恋に狂ったというエピソードはありません。けれど、前回も触れたように最初の妻を狂気のせいで、自らの手で殺してしまう。さらに、次の妻の嫉妬によって自らも命を落としている。そういう意味では、夫婦間の痴情のもつれに翻弄されたキャラクターといえそうです。
そして、『恋の骨折り損』では、劇中劇で小柄な体型のモスがヘラクレスを演じることになります。「あの小なる身体は英雄ヘラクレスの親指にも足らず、その棍棒の頭ほどの大きさもない」から、その配役は不適切だという意見が上がるけれど、モスには幼少期のヘラクレスを演じてもらえばいいということで話がまとまる。ヘラクレスは生まれてすぐに大蛇を絞め殺したという伝説から、モスには「登場退場のたびに蛇を絞め殺す仕草をしてもらう」(131)という、これも思わず笑ってしまう楽しい場面ですね。天丼というのでしょうか、シェイクスピアの時代から笑いのツボは同じなんだなと思うと親しみがわいてしまいますが。
今回のポイントは、ヘラクレスの偉大さと同時に、偉大な英雄も感情的なものごとに振りまわされて運命を決められしまう、そんな弱さがあるのだと示されていること。そして、ヘラクレスが偉大な英雄へと成長する前、幼少期には身体が小さかったのだという点が、ことさら強調されて描かれているということ。この作品でヘラクレスを演じるモスは、道化的な役回りで鋭いことも言いますが、学のある周りの貴族や教師、牧師たちと比較すると、知性に乏しく、どこか抜けたキャラクター(でも、知識ばかり持っているのが本当の賢さではないよね、というのがこの作品の主題のひとつでもあるわけですが、ここでは置いておくとして)。幼少期から力は強かったかもしれませんが、それを使いこなす術を知らなかった未熟なヘラクレスが、どこか頼りないモスの姿と重ねて示されているんですね。
2 『ヴェニスの商人』双面のヘラクレス
シェイクスピアは『ヴェニスの商人』でも、ヘラクレスの強さと弱さの両面を使って表現しています。この作品では、美しくお金持ちのヒロイン、ポーシャのもとには連日多数の求婚者がやってきます。父からの遺言で、ポーシャに求婚する者は、金・銀・鉛の三つの箱から好きなものを一つ選び、正しい箱を選んだものと結婚する定めになっている。前半、求婚者の一人としてやってきたモロッコ大公は、箱を選びながら以下のように呟きます。
仮にヘラクレスとその従者リカスがサイコロを使って
どちらが強いかを決めるなら、それは運次第
弱いほうが大きな目を出すこともある。
この英雄(ヘラクレス)が狂乱に打ち負かされたように、
私も盲目の運命に導かれ
私よりつまらぬ者でさえ獲得できるものを取り逃がし
悲嘆に暮れつつ死ぬかもしれない
注釈によれば、従者リカスは、毒がまわって狂気に陥ったヘラクレスに殺されたのだそう。ここで言及されているのは、だから狂気にとらわれたヘラクレスの弱い面。モロッコ大公は強く人格的にも優れた人物として描写されていますが、ポーシャへの恋心という狂気にとらわれ、正しい判断をすることができず、運に負けてポーシャを得ることはできない。モロッコ大公が選んだ銀の箱に入っていたのは、阿呆・道化の似顔絵。狂ったglobeを担ぐヘラクレスは、未熟な道化なんですね。
続いて後半、以前からポーシャと知り合いで、実は互いに思いあっているバサーニオが求婚にやってきます。箱を選ぶバサーニオを密かに見守り、ポーシャはその凛々しい姿をヘラクレスに重ねて、意中の男性が正しい箱を選ぶようにと祈りながらつぶやきます。
堂々としたお姿は、若き日のヘラクレスにも劣らない、
さあ、ヘラクレス!
あなたが勝てば私も勝つ
このとき、ポーシャは、ヘラクレスが成した十二の功業のうちの九つ目のエピソードを思い浮かべ、自分を海の怪物に捧げられた生贄の娘に例えて、ヘラクレスが娘を助けたように、父の遺言から自分を救い出してほしいと願っています。そして、その思いは見事に届く。バサーニオは正しい箱を選び、二人は結ばれます。ここでポーシャが思い浮かべているヘラクレスは、狂気にとらわれて犯した罪を悔いて償うために十二の功業を成し遂げているときの、強く成長した姿なんですね。
シェイクスピアはモロッコ大公とバサーニオの箱選びに、ヘラクレスの弱い面と強い面を重ねながら、敗者と勝者を描き分けている。ヘラクレスの双面性を意識し、場面ごとの意味と重ねているのは間違いないですよね。箱選びを、前回述べた「ヘラクレスの選択」と重ねて読んでもいいかもしれません。楽そうな道を選んだモロッコ大公は失敗し、困難な道を選んだバサーニオは望みを叶える。
また、この作品で、アントーニオは自分の命と財産を失う危機にさらされながら、ぎりぎりのところでポーシャに救われます。ほとんど死を覚悟するような試練を経ることで、負の要素が浄化され、真実の愛や友情を手に入れ、対立していた者が和解し、世界がひと回り大きなものへと更新される。
ヘラクレスもまた、妻子を自らの手で殺めるという最悪の狂気をくぐり抜け、自らの罪を贖うための試練、十二の難行に耐えたからこそ、最強の強さを手に入れた英雄。自分の中にある弱さや脆さ、過ち・汚れ・罪深さを嫌というほど思い知らされ、死ぬよりもつらい苦しみを乗り越えた者だけが、真の成長を遂げられる。どん底を味わってこそ、最高のものを手に入れられるという神話の法則と重ねて読むこともできますね。バサーニオが手に入れるポーシャの「金の羊毛のような光り輝く髪」(20)はヘラクレスが手に入れた黄金のりんご=聖杯を思わせます。
3 『アントニーとクレオパトラ』嫉妬で死んだヘラクレス
『アントニーとクレオパトラ』で、主人公のアントニーは「ヘラクレスの血を引くローマ人」(36)といわれ、ヘラクレスを祖先に持つという言い伝えに触れられています。部下の兵士も「ヘラクレスにかけて」(148)というなどこれが部隊の誇りとなっているんですね。
だけれど別の場面では、クレオパトラがアントニーを「酔わせて寝かしつけた、/それから私のティアラをかぶせ、マントを着せ掛け、/私はあの人の名剣フィリパンを腰につけた。」(84)という。注釈には、神話でヘラクレスが女装させられてリディアの女王の奴隷になった逸話を想起させるものとあります。男女の性別や役割が揺さぶられ、入れ替わるエピソードとして重要なのですが、今回はクレオパトラがアントニーをヘラクレスになぞらえて着替えさせたという点に注目したい。さらに別の場面でも、クレオパトラがアントニーに鎧を着せる場面が印象的に描かれています(192)。
その後、クレオパトラの後を追って逃げたことで戦争に負けそうになると、アントニーは愛人クレオパトラを憎み始める。そして、「ネッソスの血にひたした肌着が俺をさいなむ。我が祖先/ヘラクレスよ、お前の怒りを授けてくれ。/肌着を届けに来たリカスを月まで投げ飛ばさせてくれ」(215)と嘆きます。
これは、神話において、ヘラクレスの妻デイアネイラが、夫の浮気を疑い、ネッソスから「媚薬になる」と渡された血に浸した衣服を夫に着せた。けれど、実はその血が猛毒で、ヘラクレスは激痛にのたうち回って臣下のリカスを投げ飛ばして殺した(『ヴェニスの商人』にも描かれていました)あげく、自らも命を落としたというエピソードに基づくもの。
ここでは、かつてはシーザーらとともに、ローマを治めるほどの強さを誇ったアントニーが、クレオパトラという魔性の女の魅力、恋の毒に溺れて狂気に陥り、死に瀕していることをヘラクレスに重ね、嘆いているわけですね。
いよいよアントニーが倒されようとする場面では、舞台床下から、不気味で超自然的な雰囲気のオーボエの調べが響くというト書きとともに、兵士たちが「何だ、あの音は?」「地下からだ」「アントニーの愛するヘラクレスの霊が/いまあの人から離れていくんだ」「不思議な音だな」「不思議だなあ」(190)(二度繰り返されるのは悪い予感)と語られます。
夫婦関係のもつれから命を落としたヘラクレスが、恋愛に現を抜かして戦争に負け、命を落としたアントニーと重ねられている。この作品でも、ヘラクレスの強さと脆さの両面が示されているといえそうです。
神話のヘラクレスは、幼いころから強大な力を持っていた。けれど、若い頃はそれを制御しきれず、狂気におちいり、妻や子供など大切な人を手にかけるという最悪の罪を犯した。その後、十二の功行という試練に耐え、最強の英雄となった。でも、夫婦間の愛情のもつれによって命を落としてしまう。死後、冥界の神となって、やっと偉大な神と認められてその地位を確実なものとした。
ヘラクレス神話は、精神的に未熟な若者が、いくつもの試練をくぐり抜けて己の狂気を制御する力を身につけ、罪を浄化し、悲しみを乗り越えて成長する物語。前回の記事でも述べた通り、シェイクスピアはこの点に注目して、自作にヘラクレスにまつわる言葉を散りばめているのだと思う。だから、『ハムレット』のヘラクレスも、これをふまえて解釈していいのではないでしょうか。
4 『ジュリアス・シーザー』神さまだって弱かった
次に、ヘラクレスとは関係のないのですが、別の作品の例をひとつ押さえておきます。『ハムレット』の中盤、ポローニアスはハムレットに、学生時代に芝居を演じたことがあると話し、「ジュリアス・シーザーをやりまして、ローマの神殿で殺されました。ブルータスの手で」(135)という。これがハムレットに殺されることの伏線になっているともいわれますね。
さらに、墓掘りの場面で、ハムレット王子は、「皇帝シーザーも死して土と化せば/隙間風を防ぐ穴ふさぎ」(237)という言い方で、死ねばどんなに偉大な英雄も、他の人々と同じように大地に還るという無常観を語ります。ここでハムレットらが言及するシーザーについて書いた作品といえば、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』。この戯曲で、今やローマの頂点に君臨するシーザーの過去の姿を、キャシアスは以下のように述懐します。
(二人で河を渡る競争をしていたところ)
目的の地点につく前にシーザーは
「助けてくれ、キャシアス、溺れる!」と悲鳴を上げた。
俺は(中略)テヴェレ川の荒波から
疲れ果てたシーザーを救い出した。そんな男が
いまや神となり、(中略)
スペインでやつ(シーザー)は熱病に罹った、そのとき
俺はこの目で見た。やつめ発作のたびに
ガタガタ震えた。嘘じゃない、神さまが震えたのだ。
(中略)あんなひよわな意気地なしが
この壮大な世界の先頭を切って走り、
栄誉という栄誉を独り占めにしている
いまは神だ、王だと民衆から崇められている立派な英雄も、かつては未熟で弱く情けない姿をさらしていたことが暴かれる。最初から完璧な人など無く、誰もが未熟で、そこから立派な大人へと成長するのだという考えが、シェイクスピア作品にはある。これが、若い頃は未熟で狂気にとりつかれていたヘラクレスが、試練を経て偉大な英雄に成長するという神話とも重なっていると思うんですね。
そして、この戯曲では、今や神と称えられるシーザーもまた、頂点に君臨した時代を経て、若い者たちに倒されていきます。弱い者が強い者へと成長し、民衆を引っ張って一時代を築き、やがて倒され、新しい時代がやってくるという流れがある。
さらに、ブルータスは、かつてローマにいたブルータスという名前の偉大な祖先(27・53)について言及しながら、自らも世直しを試みる。ブルータスに倒される際にシーザーが言う有名なセリフ、「お前もか、ブルータス?」は、注釈によれば種本では「お前もか、我が息子よ」の趣旨のギリシャ語だとのこと。そして討たれたシーザーは、偉大なポンペイウスの銅像の足元に倒れる。その後、シーザーの養子オクテヴィアス・シーザーが、「第二のシーザーたる私」(168)と名乗りながらブルータスらを追い詰めていくというように、いくつもの象徴的父と息子の戦いと、世代交代という宿命の連鎖が描かれていきます。
このとき、象徴的父から息子へと同じ名前が引き継がれていくことが、歴史が繰り返されることのひとつの印となっています。親から子供へ名前が引き継がれるのは、特に珍しいことではないのでしょうが、シェイクスピアはこれを神話的な親子や兄弟などの分身関係の表現として、かなり意識的に使っていく。『リチャード三世』など、同じ名前の人たちが幾人も出てきてややこしいことこの上ないですが、あえてそういう表現にすることで、彼らが鏡像関係であることを示しているんだと思うんですね。
5 父と同じ運命を辿る息子
『ハムレット』で亡霊として登場する先王の名もまたハムレット。王子は父と同じ名前を引き継いでいる(フォーティンブラスも同じ)。ということは、先王もまた、若かったころは息子ハムレット王子と同じ問題を抱えていたのかもしれない。息子ハムレットの性質、彼が直面している問題点は、先王から引き継がれたものだと考えてみるのも、不自然ではないでしょう。
シェイクスピアは、父から息子へ性質が受け継がれていく、似たような歴史が繰り返されていく、息子もまた父と同じような運命を辿るという神話の法則のようなものを意識している。そして、このこととヘラクレスの神話が重ねられている。ともにハムレットの名を持つ父王と息子は、どちらも若いころには英雄になる前のヘラクレスと同様、狂気にとりつかれるような若者だった。強い王になるべく試練に立ち向かうが、奮闘むなしく、命を落としてしまう。死後には、周囲から立派な人物だったと称えられるようになる。そんな流れがあるように思います。
シェイクスピアの『リチャード二世』も王権の移り変わりを描いた作品で、注釈によれば現王のリチャード二世と、次期王のボリングブルックは史実では同い年、この時点で二人とも三十二歳とのこと。そんな相手に、リチャードはあえて、「従兄弟よ、私はあなたの父としては若すぎるが、/あなたは私の世継ぎとして十分な歳だ」(133)という言い方をしています。王権の交代は世代交代だから、父と息子の闘いと重ねられるわけですね。
そして、同作品の前半では、決闘に望まんとするボリングブルックが「ああ、地上における私の血の造り主、/父上の若き日の気力が私の中によみがえり、息子の活力を加えた二倍の勢いに駆られ、/この頭上に勝利をもたらしますよう」(33)といいます。親子が似ていて、血が受け継がれていくというのは当たり前で、ここだけ読めば何気ないですが、わざわざこういう言い方をしているというのは面白い。
息子が闘おうとするときには、父の〈若き日の気力が私の中によみがえる youthful spirit in me regenerate〉という発想がある。シェイクスピア作品において、決闘をするということは狂気にとりつかれているということで、〈二倍〉というのはそのしるし。若い血は燃え上がりやすく、狂いやすく、闘いへと駆り立てる。父もかつてそうであり、その性質が今は息子へ受け継がれているのだという考え方がありますよね。
また、別の場面では、敵に決闘を申し込むとき、相手に「嘘つきのお前もその嘘も土の中に埋めてやる、/そこでお前の親父の頭蓋骨のようにおとなしくしていろ」(147)といって挑発するセリフがあります。父の頭蓋骨が土の中に埋まっていて、息子もやがては同じ運命を辿ることになるという発想がある。これはそのまま、『ハムレット』の墓掘りの場面で、父の道化ヨリックの頭蓋骨が掘り出される場面を連想させます。
6 『ハムレット』先王が父になった日
『ハムレット』では、若気のいたりによる過ちが、悲劇の引き金になっており、これを克服できるかどうかがひとつの主題になっていること、神話の英雄ヘラクレスを鍵として、深層には未熟な若者が成熟した大人へ成長しようとする姿が描かれていることは、前回(下記)もみたとおり。
神話やそれに倣うシェイクスピア作品において、領土は心の内の象徴。それを治められるようになること、王になることは、大人になることと同義。『ハムレット』ではそれがさらに、父になることとも重ねられています。
王子ハムレットが「男の中の男、何から何まで完璧だ」(33)と評する先王にもまた、未熟な若者だった過去があった。先王にも若いころのヘラクレスのように失敗を重ねていた頃があり、そのような時期を克服したからこそ、息子ハムレットから見て「完璧」な王になったという歴史がある。
そして、最初に引用した墓掘りの言葉からわかるのは、先王は、ハムレットが生まれたその日、つまり父になった日に、ノルウェイ王フォーティンブラスに勝利し、領土を治められるようにもなったということ。それは父王が、自分の精神を思うままに制御できる成熟した人間になったことを意味するのではないでしょうか。狂気のヘラクレスと重ねられた未熟さを克服し、その役割を生まれたばかりの息子に譲って、父王は立派な大人(偉大な英雄)へと昇格した。
さらにいえば、「何から何まで完璧」だという表現も、息子のひいき目なのではないでしょうか。若い頃よりは落ち着いた性格になったからこそ、王にも父にもなれた、という意味で、先王は確かに立派な男性だったのでしょう。例えば、自分の欲望のために殺人を犯す弟クローディアスなどと比べれば、人格者だったのだと思う。けれど、先王にも依然として、ほんの少しかもしれないけれど、未熟な部分、弱さや脆さがあったからこそ、妻を信じ切ることができずに、耳から流し込まれる毒=悪魔の囁き(おそらく王妃の嘘の噂話)に心を惑わされ、命を落としたというのが私の解釈です。この詳細、先王が殺される〈ヘボナhebenon〉の毒とは、ヘラクレスの妻〈へーべー hebe〉の不在を意味するのではないかという考察については『ハムレット』読解記事の01(上記リンク)で述べました。
前回も述べましたが、神話でヘラクレスがヘーベーを妻に迎えるのは、死後、神の座に上ってからなんですね。このあたりも、殺されて亡霊になった先王とヘラクレスが重なり合う部分かと思います。
これは逆にいえば、今は未熟なハムレットもまた、先王と同じように、何から何まで完璧だといわれる、立派な大人・王になれる可能性を秘めていることでもある。神話の英雄ヘラクレスと同じように、今は狂気にとりつかれ、周りの人を傷つけるような愚かな過ちを犯してしまう弱さや脆さを持っているとしても、いつかは克服できる潜在能力を持っている。けれど、運命のいたずらで、ちょっとずつ歯車がずれていって、ヘラクレスや父と同じように、ハムレットもまた悲劇的な最後を迎えてしまう。そんな部分まで、『ハムレット』という戯曲はヘラクレス神話に見事に重ね合わされているように思います。
冒頭に語られるクローディアスの以下の言葉は、この父から息子へと引き継がれ、繰り返される宿命のようなものを感じさせる一節といえるかもしれません。
お前の父も父をなくし、
亡くなったその父もまた父をなくした(中略)
父親が先立つのは当然で、
人類の最初の使者から今日死んだ者にいたるまで
「それが必然だ」と道理は説いてきた。(中略)
私を父と思ってくれ。そうだ、いま公にしよう。
次に王位を継ぐのはお前だ
7 ポローニアスを真似るレナルド―
『ハムレット』には、象徴的父(生物学的父や育ての父ではなく、もっと広い意味で、社会のルールを教える人というほどの意味)から息子へ言動や行動が受け継がれていく様子が繰り返し描かれています。
例えば、ポローニアスは従者レナルドーとの会話中に自分が何を言いかけたのかわからなくなり、「どこで脱線したのかな? Where did I leave?」(72)と問う。レナルド―は、ポローニアスが脱線する直前にいったセリフ、「あいづちを打ってこう言うだろう」(72)をまったく同じように繰り返すことで、上官の言葉を完璧にコピーし、上官とまったく同じように動く従者となる。この戯曲で繰り返される物まねは、ハムレットが役者に演技指導をする場面とも結びついていきます。これについては改めて考察します。
8 ポローニアスを真似るハムレット
また別の場面では、ハムレットがギルデンスターンに、「少しは真面目にお聞きください、そう脱線ばかりなさらずに。 put your discourse into / some frame and ⟨start⟩ not so wildly from my / affair.」と言われるんですね。これが上記のポローニアスの脱線と呼応する。象徴的父ポローニアスと、義理の息子ハムレットが似たようなミスをすることで、両者が同じような行動をとることが印象付けられていきます。
さらに、別の場面では、ポローニアスが「殿下、いささかお耳に入れたいことが My lord, I have news to tell you.」といったのを、ハムレットが「殿下、いささかお耳に入れたいことがMy lord, I have news to tell you.」と物まねをしてみせる(102)。このとき、ハムレットは象徴的父の言葉をそのままなぞる息子としての自分を相対化して、滑稽に茶化しはじめているんですね。
これまでハムレットは、父世代から教わった言葉をなぞるように真似て生きてきた。けれど、それが本当に正解なのか分からなくなっている。その迷いが、父の言葉をなぞる自分を自分で笑うという行動となって現れてくるんですね。いわゆる反抗期のような状態で、親から教わってきたことに疑問を感じて、物まねをしつつ、本当にこれでいいのかと自分に問いかけているようなところがあるんだと思うのです。
9 王妃の言葉を更新するハムレット
物語がすすみ、王妃と会話する場面になると、物まねに次のようなアレンジが加わります。
王妃 お前のことで父上はたいそうご立腹です。
ハムレット 母上のことで父上はたいそうご立腹です。
王妃 まあ、まあ、そんなふざけた返事がありますか。
ハムレット あら、あら、そんなたわけた質問がありますか。
QUEEN Hamlet, thou hast thy father much offended.
HAMLET Mother, you have my father much offended.
QUEEN Come, come, you answer with an idle tongue.
HAMLET Go, go, you question with a wicked tongue.
先王の亡霊の姿が、ハムレットにだけ見えていて、王妃には見えない。だから、王妃の再婚を先王が苦々しく思っていることを、ハムレットだけが知っている。という事態を巧みに利用した、ウィットに富んだ切り返し。であると同時に、ポローニアス=親世代の言葉をまったく同じように繰り返していた息子ハムレットが、ここでは母の物まねをしつつ、相手の言葉を崩し、自分なりのアレンジを加えて言い返しているという点がポイント。親から引き継いだ言葉に、子供が新しい価値を加え、別のものに変換して乗り越えていると読めます。
『ヴェニスの商人』で、父の遺言に縛られていたポーシャが、証文に記された肉を切りとるという文言の解釈を更新し、父の言葉を乗り越えてアントニーを救い、意中の相手と結婚し、ハッピーエンドになるのと同じ。これが、シェイクスピアが描くひとつの世代交代の形ですね。親の言葉を子供が書き換えることで、世界が更新され、進化していく。そんな流れがあると思います。(この内容はサリンジャーの「エズメ」読解でも触れていますので、ぜひ併せてご覧ください。最後にリンクをおきます)
10 クローディアスと同じ行動をとるハムレット
劇中で、王になりたい、妃を横取りしたいという自分の欲望のために、罪なき先王を毒殺したクローディアスは明らかに悪であり、ハムレットの敵。ですが、ハムレット自身が「客観的な善悪などない、主観が善悪を作るんだ」(94)というように、悪の反対側にいるハムレットが完全なる善かといえば、そうともいい切れない。
義父クローディアスへの復讐をたくらんでいるハムレットも、殺人を計画しているという点ではクローディアスと大差ないし、仮に復讐を果たせばほとんど同罪。当時の騎士道精神から考えれば、復讐は実父の名誉を回復するための正しい行いなのかもしれませんが、倫理的、道徳的、宗教的には、いかなる理由があっても殺人は許されざる大罪。だからこそ、ハムレットは「To be, or not to be」と苦悩する。
劇中劇でハムレットが役者たちに演じさせるのは、ゴンザゴー殺し。注釈には、「王の甥が王を殺すので、亡霊が告げた先王ハムレット殺害の再現であると同時に、ハムレットが叔父クローディアスの命をねらっているという脅しにも見える」(144)とあります。
ハムレットがこの黙劇の内容について「たくみな悪さ、悪だくみさMarry, this is miching mallecho. It means mischief.」(138)と評するとき、似た表現を二度重ねている。ここには、この戯曲における現実と劇中劇、黙劇とセリフ付きの劇の鏡像関係とともに、クローディアスとハムレット、義理の父と息子の鏡像関係が仄めかされているのかもしれません。クローディアスが犯した罪や悪は鏡映しになって、ハムレット自身にはね返ってくる、復讐が新たな罪を生む。そんな可能性について、ハムレットは考え始めているのではないでしょうか。
また、ハムレットが演じさせる劇中劇で、ハムレットがクローディアスに見立てている毒殺者は、「王妃に贈り物を差し出し求愛する。王妃はしばらくはつれない素振りをするが、ついにその愛を受け入れる」(137)。
ハムレットもまた、恋人オフィーリアに数々の贈り物をして、求愛していることが、オフィーリアから「頂戴した品々」を「ご返却したい」(122)といわれることでわかりますね。
ハムレットは無意識のうちに、敵であるクローディアスとほとんど同じような行動をとっている。息子は憎んでいるはずの義父の真似をしてしまっているわけです。そのことを、意識はせずとも心のどこかで予感しているからこそ、ハムレットは復讐をためらう。同時に、再婚した母を非難しながら、自身もオフィーリアとの恋愛について悩み始めるという悪循環へ陥っていきます。
クローディアスが、劇中劇に気分を害して席を立った後、ハムレットは浮かれて、「ほい、手負いの鹿は泣かせとけ/無傷の鹿は跳ねまわれ」(146)と歌います。シェイクスピア作品で、獣になることは、狂気に陥ること。『お気に召すまま』に記されているように、特に、子供の頃にまだら模様のある鹿は、未熟な道化のまだら服と重ねられ、阿呆の象徴。
この歌をうたった後、ハムレットが「帽子に山のような羽飾りをつければ、(中略)すかし模様の靴に薔薇結びしたリボンをつけて、役者の仲間入りもできるんじゃないか?」というセリフは、彼が道化になることを示すものですね。
ここでは、兄殺害の罪悪感に苛まれているクローディアスも、復讐する理由が決定的になり、実行の決断を迫られるハムレットも、ともに精神的な地獄を彷徨っています。生きながら地獄めぐりをすることは、道化になること、狂気に陥ることとイコール。クローディアスは手負いの鹿として泣いていて、ハムレットは無傷の鹿として跳ねまわっているのですが、この歌が示しているのは、二人が正反対の境遇にいるように見えて、実は似た者同士であるということではないでしょうか。
ハムレットは、先王(実父)、現王(義父・叔父)クローディアス、義父(恋人の父)ポローニアスという三人の象徴的父の真似をし、似た行動をとりながら、それでいいのか迷い、与えられた価値観を乗り越えて、自分が正しいと信じる道を切り拓こうともがく若者の典型なんですね。最初に引用した墓掘りとの会話は、ヘラクレスの記述とともに、そんな父から息子へと引き継がれ、繰り返される宿命が示された一節として読めるように思います。
11 墓掘りになった日
そして、もう一つ注目したいのが、墓掘りがこの稼業を始めたのは、ハムレットが生まれたその日からだと語ること。むろん墓掘りが今掘っているのはオフィーリアを埋葬するための墓穴。だけれど、より深い場所で、彼は誰の墓を掘っているのでしょうか。人は生まれた瞬間から、いつか死ぬことを運命づけられる。生きることは墓を掘ること。道化は影・シャドウ。では、ハムレットが生まれた日に墓掘りになったこの道化は、いったい誰の影なのか。ハムレットが「おい、これは誰の墓だ?」と問うのに、墓掘りが「あっしのでさあ」「あっしはこの中に入るわけじゃねえけど、でもあっしのでさあ」(232)と答える理由は明らかですよね。
このすぐ後、墓の中からは先王の道化ヨリックのしゃれこうべが掘り出されます。二人の墓掘りはハムレットとホレイショ―のシャドウであり、ヨリックは先王のシャドウ。ハムレットがヨリックの頭蓋骨に執着するのは、ファザー・コンプレックスで頭を肥大させたハムレット=狂った天球globeを担いだヘラクレス(サリンジャーが描いたズーイもまたヨリックの頭蓋骨=シーモアの亡霊に夢中)。シェイクスピアのウィットというかペシミズムというか、しびれますよねえ。
今回はここまで。お読みいただき、ありがとうございました。
つづきはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解はこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

