03_シェイクスピア『ハムレット』読解:ヘラクレスの二面性とは?
Q. 『ハムレット』におけるヘラクレスの意味とは?
シェイクスピアの『ハムレット』には、神話の英雄ヘラクレスや、ヘラクレスにまつわるモチーフが複数描きこまれています。物語の展開に合わせて、各場面でヘラクレスに与えられる意味も変化しており、それを考えていくことが『ハムレット』読解のひとつの鍵となるように思います。今回は場面ごとのヘラクレスの意味を辿ってみます。
本稿の解釈はこう。
A. 偉大な英雄ヘラクレスも、かつては狂気にとりつかれた未熟な若者であった。そんな二面性が描かれているのでは。
以下に理由を述べます。
シェイクスピア『ハムレット』読解をマガジンで連載しています。こちらの記事からでもお楽しみいただけますが、01から順番に辿る場合は下記よりご覧ください。
1 理想像としてのヘラクレス
物語で最初にヘラクレスについて言及されるのは、王子ハムレットの実父(先王)が亡くなり、ハムレットの叔父(先王の弟)のクローディアスが王位を引き継ぐことが宣言された直後。ハムレットは、新たに王座につき、先王の妻(ハムレットの母)を奪って自分の妃にしてしまった現王クローディアスを「むかつく下劣なもの」(30)と評し、それに対して先王を、「男の中の男、何から何まで完璧だ」(33)と述懐します。そして、現王と先王の差を、「俺とヘラクレスほどの差」だと表現するんですね(30)。
ここで示されているのは以下のような単純な対比。
現王(義父):先王(実父)=ハムレット:ヘラクレス
注釈によれば、ここでのヘラクレスは「ギリシャ神話最大の英雄。ゼウスの子。十二の功業を成し遂げた。ハムレットにとっての理想像と考えられる」とのこと。
このときハムレットは、先王の死と母の再婚により、ひどい憂鬱症にとりつかれて、自殺を考えるほど落ち込んでいます。そして、そんなことを考える自分の精神的な弱さを嘆き、ヘラクレス=実父のような強い男性になりたいと望んでいる。ここで言及されるヘラクレスは、ハムレットにとって、父のように強くて偉大な英雄、憧れの理想像なんですね。
2 ヘラクレス vs. ネメアの獅子
その後、ハムレットは実父の亡霊を目撃し、後を追いかけます。そのとき、引き留めようとする友人ホレイショ―を、ハムレットは次のようにいって振り払います。
俺の運命が呼んでいる。
体じゅうの動脈には
ネメアの獅子の筋肉のように精気がみなぎっている。
注釈によると、ネメアの獅子とは不死身の猛獣で、この獅子退治はヘラクレスが成し遂げた十二の功業のうち第一のものだとのこと。このとき、ハムレットはまだヘラクレスの中に理想とする強い男性像を見ており、それを実父と重ねています。そして、そんな強い父に挑戦する自分を、ネメアの獅子に重ねているわけですね。
神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、神話の英雄の多くが、自分のルーツを求めて父を探し、父と対決すると述べています。ハムレットもこの法則にのっとり、自分が目指すべき理想像として父を求めて、亡霊と対決すべく挑んでいく。ネメアの獅子がヘラクレスに負けたように、この時点では、未熟者のハムレットはまだ父にはかないません。自分をネメアの獅子に例えることで、ハムレットは自分の負けを宣言しているようにも思えます。
ヘラクレス vs. ネメアの獅子 = 父 vs. 息子ハムレット
【勝者】ヘラクレス=父 【敗者】ネメアの獅子=息子ハムレット
3 ヘラクレス vs. 子供劇団
けれど、父を理想と崇め、父=ヘラクレスのような英雄になるべく奮闘するハムレット、父に負けたまま引き下がることはしません。戯曲の本筋では、それが義父クローディアスへの復讐として語られていく。それと並行して、ヘラクレスとの戦いも新たな展開を見せていきます。
物語の中盤、旅役者がやってくるのに際して、学友ローゼンクランツはハムレットに、当時ロンドンで実際に話題だったという少年劇団について言及する。「子供の一座」が人気を博し、大衆劇の役者と「なぐりあう場」や「すさまじい悪口合戦」を演じて喝采を浴びているというんですね。
ハムレット 子供が勝ったのか?
ローゼンクランツ はい、そうです。ヘラクレスが、肩にかついだ地球ごとやられたというか。
このやり取りは、注釈によると「シェイクスピア劇団の常打ち小屋、グローブ(地球)座の表象」である肩に担いだヘラクレスごと倒された、という意味とのこと。ここで、「子供(の劇団)が勝ったのか?」とハムレットがことさら尋ねているのがポイントだと思う。代理戦争ではありますが、ここで父と息子の形勢が逆転し、子供が父を倒しているんですよね。
globeを担いだ大衆劇団(大人) vs. 子供劇団
= 父 vs. 息子ハムレット
【敗者】globeを担いだ大衆劇団(大人)= 父
【勝者】子供劇団 = 息子ハムレット
神話の英雄(息子)は最初、父を究極の理想像として崇めている。やがて成長すると、自分の力を試すために父に戦いを挑む。最初のうちは、父の圧倒的な力の前に息子は屈するしかない。けれど、息子は少しずつ力をつけていき、いずれ父を倒す日がやってくる。父殺し(象徴的な意味で)を果たし、逆説的に父を自分の内に包摂することで、息子は大人へと成長する、というのが典型。
ハムレットはここで、ローゼンクランツから子供劇団の話を聞くというエピソードを通して、自分もまた、もっと力をつけて弱さを克服すれば、ヘラクレスのように強い父にいつか勝てる日が来るかもしれないという希望を見出しているように思えます。
『ハムレット』において、王子が闘う象徴的父は、第一に亡霊となった実父であり、第二にその代理としてのクローディアス、第三にその影としてのポローニアスだというのが私の解釈ですが、これについては別の記事で説明します。
神話の父殺しは、前の世代から受け継いだものを子ども世代が包摂しつつ乗り越えて、新しい世界を作っていく、世代間交代とイニシエーションの儀式とも重ねられます。『ハムレット』は親世代(先王・現王・ポローニアス・王妃ら)と、子供世代(ハムレット・レアティーズ・オフィーリアら)との世代間対決がひとつの主題。
親世代は子供世代に自分たちの価値観を教えることで、子供が社会人の一員としてまっとうに生きていけるように導き、子供たちは親のようになりたいと憧れ、真似をしながら社会のルールを覚えていく。と同時に、親世代は子供達を自分たちの思い通りに支配しようとし、子供たちはそれに反抗して、自分たちなりの新しい世界観を構築すべくもがく。『ハムレット』はその一部始終が描かれた戯曲であり、その深層にはヘラクレス神話が見え隠れするように思うのです。
上記の子供劇団が大人劇団を倒した話を聞いて、ハムレットは「別に不思議はない」、現に父王が生きていた頃は叔父に向かって渋い顔をしていた連中が、今は叔父を崇めているのだとつぶやいています。ここでは、先王(兄)の座を奪った現王(弟)の兄弟対決に話がすり替わっているんですね。けれど、最初に見たように、ハムレットは現王と先王の差を、「俺とヘラクレスほどの差」だといっている。すると、親子対決も兄弟対決も、世代交代について語られている点では同じと読んでいいのではないでしょうか。
4 狂ったglobe
父と対等に戦い、倒せるほどの力を得ると、次はハムレットがヘラクレスに重ねられていきます。ハムレットは、戯曲の序盤、父の亡霊に出会う前から、「俺の頭がどうかしたか I do forget myself!」(32)と自虐的な冗談をいい、頭・脳が憂鬱や狂気にとりつかれつつある不安定な精神状態を仄めかしていますね。父を殺され、母を取られた悲しみと憎しみに、オフィーリアへの「恋ゆえの狂気」(76)も加わって、「気違いのふり」(67)は、徐々に「己をなくすほど/理性を狂わす」(78)本物の「狂気」(115)へと発展していきます。
ハムレットは、父の亡霊に「この狂った頭(distracted globe)に/記憶の座があるかぎり」(61)父の言葉を忘れないと誓う。この〈頭=globe〉が、先に述べたグローブ座の旗印である天球=globeを担いだヘラクレスを思わせることは、先行研究で指摘されていること(『謎解きハムレット』河合祥一朗 ちくま学芸文庫、2016年)。ここでは身体の上に〈狂った頭 globe〉をのせたハムレットが、〈天球 globe〉を担いだヘラクレスに重ねられているわけですね。
狂ったglobeを乗せたハムレット = 天球globeを担ぐヘラクレス
そして、その根本的な原因は、「父の言葉を忘れない」というまさにその〈誓い〉にあるというのが私の解釈。象徴的父から与えられた言葉や価値観による支配がハムレットの苦悩のもと。前の世代から引き継がれた騎士道精神と、自分の心から湧き出る倫理観や反抗心との齟齬と葛藤がハムレットの頭を狂わせていく。墓掘りとの会話で父の分身である道化ヨリックのしゃれこうべに執着するのも、オイディプス・コンプレックスによって狂気に陥り、ハムレットの〈頭=globe〉が〈fool〉と化していることの表現だと思うのですが、このテーマについては別の記事でまとめます。
5 狂ったヘラクレス
ヘラクレスは、生まれたばかりのころから並外れた力と知恵を持ち、数々の偉業をなしたとされるギリシャ神話最大の英雄ですが、その伝説はいい話ばかりではありません。
若い頃にはヘラに狂気を吹き込まれて、最愛の妻子や兄弟を殺してしまうという大きな過ちを犯しています。その罪を償うために、怪獣退治などの十二の功業を成し遂げる。けれど、最後はヘラクレスの浮気を疑った妻の勘違いで、猛毒に浸した衣服を着せられ、激痛にのたうちまわって命を落とす、という不幸なエピソードも持っています。ヘラクレスは死後に功績が認められ、オリュンポスの神として崇められるようになった英雄ですが、現世に生きていた間はとにかく波乱万丈。
けた外れの強さと魅力を持ちながら、生涯それに振り回され続け、最後まで自らの才能をうまく制御しきれなかった英雄。善悪二つの面を併せ持つキャラクターで、半神半人という設定がその双面性を象徴しています。民俗学者の山口昌男は「様々な文化の神話の中で『至高神は双面神』である」と述べていますが(『文化と両義性』)。ヘラクレスはそれにあてはまる例といえそうです。
6 分かれ道のヘラクレス
ヘラクレスの双面性といえば、《分かれ道のヘラクレス》という有名な絵画作品が思い浮かびます。これはヘラクレスが道を歩いていて三叉路に行き当たり、どちらに進むか悩んでいるところを描いた作品。ヘラクレスが真ん中に描かれ、両隣に女性が一人ずつ描かれています。向かって右側に立っている女性は悪徳・快楽・安楽な道を、左側の女性は美徳と苦難の先にある栄光を表しており、「ヘラクレスの選択」を表現しているといわれています(Wikipedia)。
楽で快い道を選んで悪に染まるか、苦難の道を選んで善を成すかの二択は誰もが行き当たる普遍的なテーマ。ヘラクレスは伝統的に、その迷いを象徴するキャラクターなんですね。『ハムレット』では、妹に分別を説く兄レアティーズに向って、オフィーリアが下記のように言い返します。
私(オフィーリア)には天国への険しいイバラの道をすすめておいて、
ご自分(レアティーズ)はいい気になって放蕩三昧、
桜草の道を浮かれて歩くんじゃないでしょうね
先行研究で、このセリフは、「ヘラクレスの選択」を表現したものだといわれているそう。この戯曲で、レアティーズはハムレットの分身(鏡像・義兄弟)として解釈できるので(この詳細は改めて)、レアティーズにいわれたセリフはハムレットと重ねて考えていいと思う。ハムレットは、基本的には苦しくても美徳の道を選ぼうとする好青年ですが、クローディアスの悪行や恋愛の行き詰まりによって、狂気にとりつかれていく。そうして、復讐を果たすべきか否か、「to be, or not to be」と相反する二極に揺らぎ、どちらが本当に正しい道なのかが分からなくなり、苦悩する。その意味でヘラクレスに重ねられるのではないでしょうか。
7 若い血のいたずら
ハムレットは自殺したいけど死にきれず、復讐を誓いつつも実行をためらい、オフィーリアを「愛していた」といった直後に「お前を愛したことなどない」と前言を翻す。決断できずに揺らぎつづけ、その場しのぎの衝動的な言動や行動で大切な人たちを傷つけて、周囲を巻き添えにしながら悲劇的結末へと向かっていきます。
父のような強い男性になりたいと望みながら、未熟さばかりが際立つハムレットは、三叉路で立ち止まり、右へ行くか左へ行くか決めきれず、狂気を吹き込まれて家族を殺したヘラクレスそのもの。若者ゆえの熱く激高しやすい気質、あふれる生命力に対して理性が十分に身につけられていないために引き起こされる過ち、人一倍優秀な力を持ちながら、それを支えきれない精神的な弱さ、脆く崩れやすい性質は、劇中下記のような言葉によって繰り返し注意されます。
「若い血のいたずら」(39)
「若い血はほうっておいても勝手に騒ぎ出すからな」(42)
「生来のある気質が肥大して/理性の囲いや砦を打ち壊すことがある」(50)
「火のように激しい気性のほとばしり、/血気にはやった無茶無体」(70)
「惚れたはれたは若気のいたり」(228)
〈ヘボナ〉の毒という言葉はこのテーマと結びついているのではないか。そこにはヘラクレスの冥界での妻ヘーベーが関係しているのではないか、という解釈については、『ハムレット』読解の一回目(上記リンク)で述べた通り。
また、前半でレアティーズに、「賭けごとをなさって」「したたか酔って」「テニスの試合で喧嘩になって」「どこそこの店(女郎屋)に入るのを見た」(73)など、若気のいたりによる過ちのイメージが付与されているのも、このテーマを補強するものとして読めますね。王子という立場上、直接的には表現しがたいけれど、実はハムレットの中に潜む若さゆえの未熟さ、永遠の少年性が、義兄弟・分身・鏡像であるレアティーズに投影して語られているのではないでしょうか。
前半では偉大な英雄として先王に重ねられていたヘラクレスの意味が、中盤になると、若い未熟者へと変化していく。そして、その狂気に陥りやすい気質や優柔不断な性格が、王子ハムレット=レアティーズと重ねられていく。そんな風に読めると思います。
8 強さと脆さ
強さばかりが注目されがちなヘラクレスですが、ヘラに狂気を吹き込まれ、我を失って愛する者を殺してしまうエピソードなどは、ヘラクレスの心の弱さを示すもの。強さは裏返せば堅さ・頑なさ。対する弱さ・脆さは裏返せば柔らかさ。どちらが良いというものでもなく、体と心の強さ・堅さ・頑なさ、脆さ・弱さ・柔らかさに常に揺らぎながら、いかに折り合いをつけていくかが重要。熟達した道化のごとく、狂った globe のうえで、上手にバランスを取れるかどうかが、生き残れるかどうかの分かれ目。どちらかに偏ってしまうことによって破滅にいたるのが『ハムレット』の悲劇。以下の台詞はそのような思想を表すもの。
堅い堅いこの体、いっそ溶けて/崩れ、露になってしまえばいい(29)
もろきもの、お前の名は女(30)
曲れ、かたくなな膝。鋼と化した心よ、/生まれたての赤子のように柔らかになってくれ(159)
若い娘(オフィーリア)の頭が/老人の命のようにもろく崩れるのか?(205)
心の弱さが、柔らかく腐りやすい魚の身に例えられていることは下記で示したとおり。反対に頑なに凝り固まった心もまた、剣のひと突きであっという間に脆く崩れ去ってしまう危うさを秘めている。その脆さがシェイクスピア作品で、魚と同時に蝋やガラスに例えられていることも(サリンジャー作品でそれがシーモア・グラスになったことも)下記で考察したとおりです。
9 オズリックとヘラクレス
ハムレットと従臣オズリックによる以下の滑稽な会話も、二項対立で心を迷わせるヘラクレスを体現したものではないでしょうか。ハムレットの前に、帽子をきちんと被っていないオズリックがやってきて、レアティーズとの決闘について話す場面。
ハムレット 帽子は正しく使うこと、頭に被るものだよ。
オズリック ありがとう存じます。ひどく暑うございますので。
ハムレット いや、とんでもない、ひどく寒いよ。北風だし。
オズリック ごもっとも、かなり冷えてまいりましたな。
ハムレット しかし、なんだか蒸し暑いような気もする。僕の体質のせいかな。
オズリック まったく蒸し暑くてかないませんな——まるで、その、何と申してよいやら。(中略)
ハムレット (帽子を被るよう身振りで示し)どうか帽子を——
王子の言動に振り回されて、自分の意見をころころ変えるオズリックの受け答えは、信念のかけらもない浅はかなもの。そんなオズリックをハムレットは、「上っ面の社交辞令だけを身につけた」吹けば弾けて消える「あぶく」(255)のような者と軽蔑しています。
そんなハムレットが理想とする人物像は、友人ホレイショ―への誉め言葉として語られる「運命が下す打撃も恩賞も/等しく感謝の心で受け止め」「情熱と理性が見事に調和し」た「激情の虜にならない男」。自分の心に正直に、信念をもって物事を判断でき、周囲からの影響には揺らがない強さを持っていること。同時に、悪いことがあっても、良いことがあっても、いちいち心を掻き乱されたり、激情にとらわれたりすることなく、平常心で受け止められる度量の大きさと柔軟さがあること。他人が暑い寒いというたびに、自分が感じている気温の感覚さえ揺らぐオズリックの弱さとは真逆の性質です。
ハムレットがオズリックに、「帽子は正しく使うこと、頭に被るものだよ」(249)「どうか帽子を」(250)と繰り返すのは、未熟者の狂気や精神的な迷いが、頭や脳、すなわちヘラクレスが担いでいる〈globe〉の問題であることの表現。
このあとホレイショ―は、オズリックが帽子をかぶって立ち去る様子を「ああやって駆け出していく姿は、生まれた途端に頭に殻をのせて走り回るタゲリそっくりだ」(254)と評します。注釈によれば、「タゲリという鳥は、卵からかえって数時間で巣から出て走り回るという。そこで、今や帽子をかぶって走ってゆくオズリックをこの早熟なとりになぞらえている」とのこと。この表現を、生まれたばかりの頃から怪力で、揺りかごに放り込まれた蛇を絞め殺したという伝説を持つ早熟なヘラクレスになぞらえているとも読むこともできるでしょう。
『から騒ぎ』でもヘラクレスが女装をさせられるエピソードが取り上げられています(37)。そして、ウィットに富んだ会話は得意だけれど、好きな人に本音とは裏腹の憎まれ口ばかりいってしまうビアトリスは「タゲリみたい」(81)だと表現されています。これも『ハムレット』と同じですね。早熟な鳥=ヘラクレスは、生意気でおしゃべりで、表面的には若さの割に有能に見えるけれど、目に見える価値観にとらわれて、その奥にある本質を見過ごす未熟者だという感覚が表現されているのだと思います。
10 間違った殺人
ギリシャ神話で、狂気にとらわれたヘラクレスは、兄弟・妻・子供を殺してしまいます。狂気におちいり、殺すつもりのない相手を間違って殺してしまったという意味では、ハムレットの犯した罪と重ねられますね。ハムレットもまた、ガートルードの部屋で壁掛けの裏に隠れているのがクローディアスだと勘違いして剣を振りかざす。しかし、壁掛けの裏から死体となって出てきたのはポローニアスでした。
殺した相手がクローディアスだったなら、(殺人という手段が正しいかは別として)父の復讐という名目があった。けれど、何の罪もないポローニアスを間違えて殺すのは、完全にハムレットの過失。しかもポローニアスは、別れたとはいえ、元恋人オフィーリアの父。オフィーリアもまた、この父の死にショックを受けて発狂して死んでしまうのだから、ハムレットが殺したようなものともいえる。その意味では、ハムレットもまた、ヘラクレスと同様に、最も愛する人の命を奪ったことになります。
ハムレットがポローニアスを殺したのは、復讐すべきかどうかで心を悩ませているときに、母の部屋で人の気配に気づいて驚き、激高したから。つまり、一時的に若者特有の狂気にとらわれたから。ハムレットはこれを、レアティーズに以下のように言い訳し、謝罪します。
僕はひどい精神錯乱に悩まされてきた。
僕のしたことは
君の父上に対する情愛や名誉をふみにじり、不快感を
掻き立てたことだろう。だがそれはすべて狂気のなせるわざ。
レアティーズに害を加えたのはハムレットか? 決してハムレットではない。
もしもハムレットが正気を奪われ
己をなくした時にレアティーズに害を加えたとすれば
それはハムレットの仕業ではない。ハムレットがそれを否定する。
では誰の仕業か? ハムレットの狂気だ。とすれば
ハムレットも被害者の一人。
彼の狂気は哀れなハムレットの敵だ
狂気の中で大切な人々の命を奪った、間違った殺人を犯した、という意味において、ハムレットはヘラクレスとほぼ同じ試練に直面しているんですね。そしてここでは、ハムレットの心が正気と狂気に分裂し、正気と狂気が敵となって闘い、正気が狂気の被害者になるイメージが示されています。父と息子、兄と弟の対決が、ここでハムレットの正気と狂気の闘いへとスライドするんですね。それは、ヘラクレスの偉大な英雄としての一面と、若く未熟な一面との対決。ヘラクレスという一人のキャラクターの中にある、強さと弱さの二面性の闘いと言い換えられます。
11 ヘラクレスの二面性
最初に示したとおり、『ハムレット』でのヘラクレスへの最初の言及は、強く偉大な英雄を父王と重ねたものなので、この意味でのみ解釈されることが多いようです。けれど、この読み方だと、そのあとに出てくるヘラクレスの意味が曖昧になってしまうんですね。
『ハムレット』では、ヘラクレスの強い英雄としての側面と、立派になる前、若い頃には狂気にとりつかれて罪を犯す未熟者だったという側面の両方が重ねられているように思います。ヘラクレスの意味が場面ごとに移り変わっていき(これが通常のヘラクレスが生まれてから立派になるまでの成長の順番と逆になっているのが少々ややこしいのですが)、ヘラクレス神話と重ねるようにして、息子ハムレットと象徴的父たちとの戦いや、若気の至り、狂気にとりつかれて起こした間違った殺人の罪が表現されているのではないでしょうか。
神話のヘラクレスは、十二の功業を成し遂げてなお、妻の嫉妬という夫婦間の痴情のもつれと、浅はかな勘違いという、俗っぽくみみっちくて、なんとも情けない理由で命を落とすところがポイントなのだと思う。誰からも崇められる理想の英雄ヘラクレスでさえ、そういうしょうもなさを抱えている、どんなに立派な人間でも、ふとしたきっかけで狂気にとりつかれたり、命の危機にさらされたりするというのは、シェイクスピアが複数の作品で繰り返し描いているテーマですね。作中には、「些細なことで悲しみは歓びに、歓びは悲しみに姿を変える」(142)とありますが、些細なことで正気は失われて狂気にのっとられてしまう。昨日までは曇りない人生を歩んでいた立派な人物が、ある日を境に悲劇の渦に巻き込まれていってしまう。その一部始終、その切なさこそが読みどころですよね。
ハムレットが狂気に陥ったとき、オフィーリアが「気高いご気性が壊れてしまった!/宮廷人、武人、学者の、目、口、剣/この国の希望ともバラの花とも仰がれ、/流行の鑑、礼節の規範、/あらゆる人の注目の的でいらしたのに、みんな、みんなおしまい!」(125)「若々しく花開いたたぐいまれなお姿も/狂気の嵐に枯れはてて」(126)と嘆くように、ハムレットはもともと文武に優れた能力を持ち、性格も良い好青年だった。けれど、クローディアスの悪企みや、ポローニアスの恋愛への介入などが絡み合い、ふとしたきっかけでそれまで育ててきた立派な人格は脆く崩れ、正気を失ってしまう。
これは『ハムレット』で描かれる聖俗一致の思想にもつながります。ハムレットにとっての究極の女神、美しく、どこまでも清らかで純粋無垢な女性である母(王妃)と恋人オフィーリアに、同時に娼婦のイメージが重ねられていること、「尼寺へ行け」というセリフはそれを象徴するものであることは、以下でも述べた通り。男性も女性もどっちもどっちで、誰もが聖俗、善悪といった二面性を抱え、揺らぎながら、迷っている姿が描かれているのだと思います。
神話のヘラクレスが、立派な英雄として揺るぎない地位を確立するのは、命を落として冥界の者となってから。『ハムレット』と重ねるなら、息子ハムレットによって優れた人物として語られる先王と同じですね。息子ハムレットが亡き父を思い出して語る父親像こそ立派ではあるものの、ヘラクレス神話と重ねて読むなら、生前は先王にも多少未熟なところがあったと想像したくなってしまう。これが〈ヘボナ〉という毒と結びついていることは、『ハムレット』読解の一回目で考察したとおり。これがさらに、墓掘りの場面で語られることとも結びついていきます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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