01_シェイクスピア『ハムレット』読解:両耳に流し込まれるヘボナの毒の謎
シェイクスピアの『ハムレット』読解をマガジンで連載していきます。こちらが第1回目の記事です。タイトルのはじめにある番号順にお読みいただくと、より分かりやすくお楽しみいただけると思います。
※『ハムレット』その他、シェイクスピア作品についてネタバレになりますのでご注意ください。
Q. ヘボナの毒とは何か?
シェイクスピアの『ハムレット』では、ハムレットの実父(先王)が王宮の庭園で昼寝をしている最中に、弟クローディアス(ハムレットの叔父)に殺されます。先王は亡霊となって息子ハムレットのもとへ現れ、その時のことをこう回想します。
忍び寄ったお前の叔父が
手にした小瓶のヘボナの毒を
この耳に注ぎ込んだのだ
thy uncle stole,
With juice of cursed hebenon in a vial
And in the porches of my ears did pour
ここでの〈耳ears〉が複数形なのは、訳者松岡氏が指摘されていること。両方の耳に毒を注ぐというのはずいぶん奇妙な殺し方。また、〈ヘボナ〉はシェイクスピアが作った架空の毒の名前で由来は分かっていないようです。今回はこの両耳に注がれるヘボナの毒の謎について考察します。
本稿の解釈はこう。
A. 若さの女神ヘーベーが不在である、という毒。
以下に理由を述べます。
1 両耳に毒を盛られるのはなぜか?
1-1 『ハムレット』で描かれる耳・聴覚
昼寝をしている人の片方の耳に毒を注いだ後、頭を反対に傾け、もう片方の耳にも毒を注ぐというのは、ずいぶん奇妙な殺し方ですよね。劇中劇で再現される際にも、やはり〈ears〉になっています(137・146)。
『ハムレット』では、耳や聴覚が重要なモチーフのひとつ。先王の亡霊とハムレットのやりとりは「聞け」「聞こう」(55)という言葉から始まり、「心して聴け」「よし、聴かずにいられるか」「聴けば、復讐の覚悟がいるぞ」「だがこの永遠の国(死後の世界)のありさまを/生身の耳に語ることは禁じられている。聴け、聴け、おお、聴いてくれ! But this eternal blazon must not be / To ears of flesh and blood. List, list, O list!」(56)と続きます。ここでは、〈生身の耳〉や〈聴く〉という行為が強調され、ハムレットは、現実の世界では聞こえないはずの亡霊の声に耳を傾けるわけですね。
また、亡霊は自分の死因について、虚偽の情報が「デンマーク中の耳に/その作り話の毒が流し込まれているSo the whole ear of Denmark / Is by a forgèd process of my death / Rankly abused.」(57)と訴えます。耳に注がれる虚偽の情報を〈毒〉と表現することが、直後に自身の耳に注ぎ込まれた〈毒〉と呼応している。
さらに、「防備の堅いその耳に/もう一度俺たちの話の矢玉を撃ち込んでみよう」(11)「短剣のように耳に突き刺さる」(168)と、言葉が武器になって耳を攻撃するようなイメージも出てきます。
クローディアスは、ポローニアス殺しの汚名を着せられることについて、「口さがない連中にはこと欠かない。/父親の死にまつわる有害な話を彼(ポローニアスの息子レアティーズ)の耳に吹き込んでいよう。/その結果、何の根拠もないままに/この身に対する非難攻撃が/耳から耳へ伝わっていくのだ」(199)「それが散弾のように全身を狙い撃ち/私に無数の死をもたらす」(200)と嘆きます。
また別の場面でクローディアスは、失恋した上に、かつての恋人に父を殺されて狂気に陥ったオフィーリアについて、「深い悲しみは猛毒だ」(198)、レアティーズの剣の腕を羨んだハムレットが「嫉妬の毒さいなまれ」(218)ているとも語っています。クローディアスがレアティーズに、ポローニアス殺しの犯人について話し、ハムレットを殺す計画を練る際にも、「耳を貸してくれ」(208)「その耳ではっきり聞いたとおり」(211)としつこく繰り返していますね。
これらを結び付けると、〈耳〉に流し込まれる虚偽の情報は〈毒〉であり、深い悲しみや嫉妬は〈毒〉となって心身を蝕み、オフィーリアのように狂気にとりつかれて死に至る原因となる、ということになります。
1-2 『オセロー』の毒薬
耳に流し込まれる嘘は〈毒〉だという考え方がわかりやすく表現された作品といえば『オセロー』。将軍オセローの権力に嫉妬した部下のイアゴーは、オセローの耳にオセローの妻デズデモーナのあらぬ噂を吹き込み、不安と嫉妬を掻き立てて、破滅へと追い込んでいきます。
イアゴーは、オセローの耳に虚偽の噂を囁くことを、「オセローの耳をたぶらかし」(54)「耳に毒を注ぎ込む」(100)「俺の毒薬」(163)と表現しています。
Wikipediaによれば、『オセロー』が描かれたのは『ハムレット』が書かれた数年後とされているよう。『ハムレット』の執筆時点で、耳にあらぬ噂を吹き込むことは毒薬を流し込むことと同じようなものだ、という発想があった可能性は高そうですよね。
1-3 『じゃじゃ馬馴らし』の耳
『じゃじゃ馬馴らし』は、ひどいじゃじゃ馬娘のキャタリーナを、夫のペトルーチオが調教して、夫に従順な妻へ生まれ変わらせてしまう物語。キャタリーナは「うんざりするようなガミガミ屋」(59)で、周囲の者たちはみな辟易している。そんななか、彼女に求婚するペトルーチオだけは、キャタリーナのガミガミ声に動じることなく、下記のようにいいます。
ちょっと喧しい音がしたくらいで、この耳がたじろぐと思うんですか?
私はライオンが吠えるのを聞いたことがある。
烈風にあおられた大海原が盛り上がり、苛立って汗を散らす
イノシシのように、たけり狂うのも聞いた。
戦場にとどろく大砲の音も、ジュピターの武器の
雷が大空に鳴り渡るのも聞いた。
敵を迎え撃つ戦闘のさなか、味方を鼓舞する軍鼓のひびきや
軍馬のいななき、ラッパのおたけびも聞いた。
その私が、女の舌一枚におじけづくというのですか?
そんなのは、農家の暖炉で
栗がパチンとはぜる音の半分にもなりゃしない。
あえて長く引用したのは、シェイクスピアがここで、かなり大げさにペトルーチオが〈強い耳〉の持ち主であること強調していると示したかったから。キャタリーナの喚き声に動じない強い耳を持っていたからこそ、ペトルーチオは彼女を調教することに成功した。この作品では、〈強い耳〉がじゃじゃ馬を調教できる者の資格になっているんですね。
1-4 両耳に流し込まれた毒とは
シェイクスピア作品には、耳から吹き込まれる嘘の情報は毒であり、それに惑わされる弱い耳と精神の持ち主は、オセローのように、破滅する運命にある。反対にペトルーチオのような、普通の人々がうるさいと感じるような喚き声にも動じない強い耳と心を持った者は、未熟なキャタリーナのような人を調教できる力を持っている、という意識があるといえそうです。
すると、『ハムレット』で先王が殺されるときに、毒が〈両耳 ears〉に流し込まれたと記されているのは、先王の心を掻き乱し、狂気や怒りや悲しみで死に至らしめるような噂話を囁くとの例えかもしれない、と考えられますね。
ハムレットはホレイショ―が謙遜しても「俺の耳は信じない」(32)と答え、レアティーズはオフィーリアにハムレットの「恋の歌に/聞き惚れてわれを忘れ」てはいけない(41)と戒める。彼らも、耳から入ってくる情報に惑わされてはいけないと頭では分かっていて、抗おうとしているのだけれど、最終的には耳から入ってくる情報によって狂気にとりつかれていきます。
実は、ここまではAIも近いことを教えてくれたので、ある程度定説になっていると思われるのですが、このあとヘボナの謎を解き、『ハムレット』を読解していくにあたり重要なので押さえておきました。では、クローディアスが先王の耳に吹き込んだ毒薬=嘘の情報とは何だったのでしょう?
2 ヘボナとは何か?
2-1 夫婦は一心同体
ヘボナの毒について、ちくま文庫の注釈には「どの植物から取ったどんな毒かは不明」「シェイクスピアの創作と言ってよかろう」と記されています。検索したところ、ヘンベイン(ヒヨス)という植物や、イギリスで聖なる意味を持つイチイの木から取った毒のことだと推測されることが多いようです。
作中で、王子ハムレットは、現王で義父のクローディアスに向かって「さようなら、母上」とあいさつし、「父だ」と答える義父に、「母上です。父と母は夫と妻、夫と妻は一心同体、だから母上」(187)と答えます。
また、シェイクスピアの『間違いの喜劇』では、妻が夫(そう思い込んでいるだけで実は別人)に、お前など知らないといわれ、以下のように訴えます。
なぜあなた自身によそよそしくなったの?
そう、あなたにつれなくされている私は、あなた自身、
だって私は、あなたとは切っても切れない一心同体
あなたの一番大切な魂だもの。
ああ、私からあなた自身を引き裂かないで
一心同体の私たちのうちあなたが不義を犯せば、
あなたの肉の毒は私の体にまわり、
その毒に感染して、私は娼婦になってしまう
先のハムレットの言葉は、先王の死後にその弟と再婚した母とクローディアスへの嫌味とも取れますが、同時に、シェイクスピア作品においては、夫婦は一心同体でいなければならないという考え方があります。『オセロー』や『間違いの喜劇』など、本来一緒にいるべき夫婦が船旅で離れ離れになるところから悲劇や混乱が生じるというのもシェイクスピア作品のひとつのパターンですよね。
2-2 豆と豊饒神話
夫婦は一心同体というのは、神話的な考え方。夫と妻は豆の片割れ同士であり、二人の結婚によって子孫は繁栄し、大地には豊饒がもたらされるというのが豊饒神話の基本です(参考下記)。
殺される直前、王がまどろんでいた王宮の庭園は、神話における楽園。豆の片割れ同士がいくつも結びついて、草花が咲きほこる庭は、愛する妻や息子に囲まれて幸福に暮らす先王の精神状態を反映したものと読めます。
先王が亡くなった後、ハムレットは憂鬱症にとりつかれて、浮き世を厭い、この世界を「雑草が伸び放題の/荒れ果てた庭」(30)だと嘆きます。豆・植物の種の片割れが失われて、大地が荒廃すれば、心の中の楽園はたちまち荒廃してしまう。
『ハムレット』は、荒地になった大地に再び豊饒を取り戻すために、試練に立ち向かう、太古の豊穣祭祀を起源とした神話と重ねて読むことができるんですね。T.S.エリオットの『荒地』、それに影響を受けたサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も同じテーマを読み取れることは、下記で示したとおりです。
2-3 天国から地獄へ
『ハムレット』で、妃を得て楽園で幸せに昼寝をしていた先王は、〈豆の片割れ〉を失って命を落とし、庭園という楽園から地獄へ落下したと考えられる。先王の亡霊は息子ハムレットに、地獄で「硫黄」の業火に身を焼かれる辛さを語り(55)、ヘボナの毒が「水銀」のように素早く五体を駆けめぐった(59)ときの苦難を語って聞かせます。
シェイクスピア作品では、豆の片割れ同士が結びついて豊饒がもたらされるという神話が、男女や夫婦をはじめ、善悪・聖俗・貴賤といった対立物を一致させることで、精神的な黄金がもたらされるという錬金術とも結びついています。錬金術は、硫黄と水銀を結び付けて黄金を得る秘儀だともいわれますね。
だから、硫黄と水銀が別個のものとして先王を苛む地獄とは、楽園、つまり精神的な黄金を獲得していた幸福な日々から、一体化していたはずの〈豆の片割れ〉が失われたことによるもの。先王にとっての〈豆の片割れ〉とは、妃ガートルード(ハムレットの実母)のことですね。
2-4 ヘーベーの不在
劇中で、ハムレットは、現王クローディアス(叔父)と先王(実父)は「俺とヘラクレスほどの差」(31)だといって、先王を神話の英雄ヘラクレスに例えています。
神話で、ヘラクレスの妻は〈へーべー hebe〉。〈ヘボナhebenon〉という綴りを解体すると、〈へーべー hebe〉が〈いない non〉。だから、先王は一心同体であった妻を失うという毒によって殺されたということが、ここでは仄めかされているのではないか、というのが私の推測です。
つまり、クローディアスが眠っている兄に吹き込んだ毒薬=嘘の情報とは、『オセロー』同様、王妃ガートルードの不貞に関する嘘であり、先王は嫉妬に気が狂って死んだことが仄めかされているのではないか、と思うのです。(ハムレットに責められたときに、王妃に罪の意識がないことから、それはクローディアスの嘘、作り話であった可能性が高いのではないでしょうか)
2-5 偉大なヘラクレス
ところで、『じゃじゃ馬馴らし』で、強い耳を持つペトルーチオは「偉大なヘラクレス」(65)に例えられています。これは、『ハムレット』で、先王がヘラクレスに例えられるのと同じ。ならば、『ハムレット』の先王の耳が弱いというのは矛盾ではないか、という疑問が出てくるかもしれません。
『ハムレット』では、息子ハムレットから見れば先王(実父)は偉大なヘラクレスに見えるけれど、先王にもまた、息子にはわからない未熟さがあったということが表現されている、と私は考えています。このテーマは改めて、『ハムレット』におけるヘラクレスの意味について考察する際にまとめます。
2-6 楽園追放
『ハムレット』において、デンマークの国民に説明された先王の虚偽の死因は「庭園で眠るうち/毒蛇に噛まれた」(57)というもの。これは、アダムとエヴァの楽園追放のイメージにつながりますね。有名なセリフ「もろきもの、お前の名は女」と合わせて考えれば、蛇にそそのかされて甘い果実をほお張った女性の精神的な弱さが、母(王妃)ガートルードが貞節を守れないという弱さと結びつきます。
これはさらに、欲望に負けて兄を殺害し、王位と妃を奪ったクローディアスの弱さ(クローディアスは自分を娼婦より醜いといっていますね(119))、恋人オフィーリアの純粋な愛を信じられず、「尼寺へ行け」と言い放つハムレットの弱さにも重ねられます。ハムレットの弱さは、物語の深層で先王(ハムレットの実父)の弱さと重なり合います(この理由もヘラクレスの考察にて)。
だから、毒蛇に噛まれて命を落とすという虚偽のイメージもまた、妻の不貞への疑いによって精神が乱れて死に至った、という仮説と響きあうように思う。先ほど見た『オセロー』には、「邪推ってのはもともと毒を含んでる」(133)という言葉があり、オセローの耳にあらぬ噂を吹き込むイアゴーが毒蛇に例えられています(241)。ここにも同じ、聖書の楽園追放のイメージがあると思います。
2-7 強い腕
ペトルーチオのように〈強い耳〉を持っているものは、妻を調教してみせるような力を持って強かに生き抜く。対して、『ハムレット』の先王、王子ハムレット、オフィーリアら、〈弱い耳〉を持っているものは破滅する運命にある。耳の強さ、弱さはいうまでもなく、聴いたことに動じない心の強さ、弱さの比喩。
では『ハムレット』には強い耳を持っている者はいないのか、という疑問が出てきますね。『ハムレット』では、精神的な強さを持って生き残るものといえば、〈強い腕〉の意味を持つ〈フォーティンブラス〉。次のデンマーク王になる資格を持つ者の精神的な強さは、腕で示されている。端的にいえばこれは〈聖杯〉に結びつくイメージ、サリンジャー流にいうなら〈キャッチャー〉ですね。フォーティンブラスの解釈は、改めてまとめます。
3 若さの女神の不在
3-1 若気のいたり
Wikipediaによると、ヘラクレスの妻〈へーべー〉は、若さや青春の女神で、若さを保つための不死の霊薬を給仕する役割を担うのだそうです。若さも『ハムレット』のテーマのひとつ。
若さを満喫するがいい(25)
若い血のいたずら(39)
若い血はほうっておいても勝手に騒ぎ出すからな(42)
惚れたはれたは若気のいたり(228)
これらの言葉は、若く未熟な精神とそこから派生する行いこそが、この戯曲で起こるすべての悲劇の元凶であることを示すもの。自らの低俗な欲望のために殺人を犯したクローディアスや、先王との誓いを破ってクローディアスと再婚してしまった王妃は、年齢的にはハムレットらの親世代ですが、自らの内なる汚れや弱さを克服できずに、浅はかな行いを繰り返しているという意味では未熟者。
以下は『冬物語』からの引用。
十から二十三までの歳なんか無きゃいいんだ。さもなきゃそのあいだは眠っててくれりゃいい。だってよ、その年ごろの若けえもんのすることときたら、娘っこはらませる、年寄りゃいびる、盗みは働く、喧嘩はするって、ろくでもねえことばっかしだからな。
ここに端的に示されているように、シェイクスピア作品は、生命力にあふれながら、時としてその力が制御できなくなる若者(ユングのいう永遠の少年)の未熟さが問題だという考え方があって、彼等の未熟さが原因で事件や問題が起こり、物語が展開する作品が多い。上記には年齢が示されていますが、問題なのは実年齢ではなく精神年齢なんですね。たとえばリア王は、八十歳過ぎの設定ともいわれていますが、ところどころ子供として描かれています。子供や若者が象徴的父と母との三角関係の中で、いかに成長するか(できずに破滅するか)が英雄神話の典型のひとつで、シェイクスピア作品もこれに倣っている。なかでも『ハムレット』はこのオイディプス王的なテーマがひとつの軸になっている物語です。
下記で考察したような、シェイクスピアが描いた未熟者や、サリンジャーの「バナナフィッシュ」に描かれた、ナルキッソス、イカロスのような永遠の少年が若くして命を落とす神話と重なり合うものですね。
3-2 息子世代 vs. 親世代
さらに、ハムレットは、「筋肉よ、急に老けこむな。/俺をしっかり支えてくれ」(61)といい、ポローニアスは「わしのように年を取ると/つい取り越し苦労をしがちだが、/こうなると若い者の無分別といい勝負だな」(77)と年齢差に言及する。
ハムレットはポローニアスに、「老人は髭白く、顔はしわだらけにして、目からは琥珀色のやにを出し、知恵はいちじるしく欠落し、そのうえ足腰はよろよろ」(91)「お前(ポローニアス)だってカニのように後ろ向きに這えれば、俺(ハムレット)と同い年くらいにはなれるだろうからな」(91)と皮肉をいい、「うるさい老いぼれだ」(92)と吐き捨てます。
ハムレットとポローニアスの口喧嘩として表現されている息子世代(王子)と父世代(王)の対決は、若者のイニシエーションや世代間交代、フレイザーの『金枝篇』でも描かれたような王権交代の儀式を起源とする神話の中心テーマのひとつ。シェイクスピアも『ロミオとジュリエット』『トロイラスとクレシダ』など複数の作品でこのテーマを扱っており、『ハムレット』もそのひとつ。
この作品では、ハムレット・レアティーズ・オフィーリア(フォーティンブラスや劇中劇のピラス)ら若者世代と、クローディアス・ポローニアス・王妃(ノルウェイ王・劇中劇のプライアム)ら親世代の対決という構図がありますね。
3-3 大人の役者 vs. 子どもの役者
これはさらに、作中で、大衆劇の役者が、子ども芝居の役者たちと喧嘩をしたというエピソードでも繰りかえされています。喧嘩は子どもたちの勝ち。大衆劇団は「ヘラクレスが、肩にかついだ地球ごとやられた」(100)という描写は、父親世代が築いた世界観=地球儀を子どもたちが倒し、若い世代が新しい世界観を構築していこうとする意志と解釈できますね。
「芝居が目指すのは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡をかかげ、美徳にも不徳にもそれぞれのありのままの姿を示し、時代の実体をくっきりと映し出すことだ」(129)とは、『ハムレット』の有名な言葉。舞台外で行われた大人の役者と子どもの役者の対決が、ハムレットらの世代間対決と重なり合うわけです。
3-4 ヘーベーの不在
息子世代と父世代が対決し、父世代を乗り越えて若者たちが世界を塗り替えるというのが、神話の基本パターン。ですが『ハムレット』では、ハムレットはクローディアスへ復讐できない。世代間対決に勝つことができず、若者世代も親世代もみな未熟な心のまま、相打ちとなってみな死んでしまう悲劇。
言い換えるなら、『ハムレット』にはヘラクレスの妻〈へーべー〉がもたらすはずの若々しい力の良い面が欠けている。それゆえ、ハムレットの「筋肉よ、急に老けこむな。/俺をしっかり支えてくれ」(61)という嘆きに象徴されるように、ハムレットら若者世代もまるで年寄りのように、魚のように(下記参照)脆く崩れ去り、死んで大地へ還ってしまう。レアティーズは妹が狂気にとりつかれた妹について「若い娘の頭が/老人の命のようにもろく崩れるのか」(205)と嘆く。
運命のいたずらによって、未熟なエネルギーが若気の至りという間違った方向にだけ暴走し、試練を乗り越えるための正しい方向へは機能しなかった。これを、若さの女神〈へーべー〉の不在こそが、『ハムレット』の悲劇をもたらしたと読むこともできるのではないでしょうか。
前述したように、『じゃじゃ馬馴らし』や『ヴェニスの商人』など、他のシェイクスピア作品でも、英雄のような人物をヘラクレスに例える場面はいくつかあります。が、『ハムレット』ではヘラクレスへの言及が前半から後半にわたって複数回あり、これが物語の中心に深く複雑に絡み合っている。
詳細は改めてまとめますが、神話のヘラクレスもまた、若いころにはハムレットと似たような狂気にとりつかれ、死後に神となって妻ヘーベーを迎えたあとにやっと落ち着いたというキャラクター。これがそのままハムレットや先王の運命と重なり合う。
若さの女神hebeヘーベーのnon不在というヘボナの毒が、先王に死をもたらしただけでなく、その息子たちの行動にまで影響を及ぼしている。それがこの戯曲のクライマックス、悲劇的なラストの根本的な原因とも結びついているように思うのです。
今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。
続きはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

