シェイクスピアが描いた永遠の少年とは?
※こちらのマガジン〈サリンジャー×シェイクスピア読解〉では、J.D.サリンジャー作品を読み解くにあたり、押さえておきたいシェイクスピア作品の解釈を掲載しています。サリンジャー読解(最後にリンクを張っています)と合わせてお楽しみいただければうれしいです。
サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」には、ナルキッソス、イカロス、バベルの塔の神話がモチーフとして使われているのではないか、という解釈については、同作読解で述べたとおり。シェイクスピア作品で同様のモチーフとして読める部分を、参考資料として以下に挙げておく(キリがないので一部ですが、随時更新)。
◆『お気に召すまま』
「自分の若い力を試そうとしているだけです」(30)といい、「母なる大地に抱かれて寝たがっている粋がった若いの」(31)といわれるオーランドーは、永遠の少年。下記はそんなオーランドーと、道化になりたいジェイクイズがともにナルキッソス=阿呆であることを示す滑稽なやり取り。
(ジェイクイズ)君の最大の欠点は恋をしていることだ
(ジェイクイズ)実は、さっき私は阿呆を探していたんだ、そうしたら見つかった、君がね
(オーランドー)阿呆なら川で溺れてますよ、のぞいてご覧なさい、見えるから
(ジェイクイズ)のぞいて見えるのは私自身の姿だろう
ナルキッソスはジェイクイズ/ヤコブ=巡礼者。サリンジャーの『フラニーとズーイ』でフラニーが巡礼の本に傾倒しているように、鏡を見て心を迷わせている人はしばしば巡礼者と重ねられるようです。
◆『アントニーとクレオパトラ』
「お前がナルシスのように美しい顔をしているとしても」(90)という言葉がそのまま出てくる。恋に狂ったアントニーとクレオパトラは悲劇的な結末を迎える。
◆『ハムレット』
以下はハムレットが母にいう憎まれ口。
屋根に登って鳥籠を開け
小鳥を放してやることです、そうしたら昔話の猿のように、
ものは試しとその鳥かごにもぐりこみ
転がり落ちて首の骨でも折ればいい
ひどい言い草だが、神話には、未熟者は一度、象徴的・精神的に死に近い経験をすることで、成長した姿で再生できるという思想がある。このときのハムレットにとって母は堕落した罪深い未熟者なので、深層では母が罪を清めて生まれ変わり、正しく生き直してほしいという思い、母への深い愛情があればこそでたセリフと読んでいいのではないだろうか。神話における英雄の致命傷は首で表されることが多く、『ハムレット』のなかで、首に包帯を巻いて再生することへの願いまで描かれていることは下記で示したとおり。
そして、この言葉は、母を鏡にしてハムレット自身に反射する。この戯曲の中で誰よりも死にたがっているのはハムレット自身であり、そうすることで自分の中の未熟さをのりこえて強い人間になりたいともがき続けている。周囲の人々を巻き込んでしまうのはやるせないけれど、その意味で彼の悲劇は自ら招いた出来事でもある。
また、「猿がりんごを頬ばるように」(182)というセリフがあるが、りんご=バナナはアダムとエヴァが楽園で口にした知恵の実、甘い果実(参考下記)。これが「父の言葉を忘れるな」(61)から「言葉、言葉、言葉」(91)の塔・バベルの塔の崩壊の表現へと結びついていく(言葉の崩壊については改めて)。
◆『リチャード二世』
この戯曲は、幼くして王位に付き、子どもの心のまま傲慢な王となった永遠の少年リチャード二世の「天高く舞い上がる鷲の翼にも似た傲慢な野心と敵対する憎悪」(リチャード二世が敵に対してはなつ言葉だが、リチャードの姿を投影していると読める)(36)の戦いの一部始終と、王の「栄光がまるで流れ星のように/高い天空から下賤な地上へと落ちるさま」(99)が語られる、まさに太陽を目指して高みへ昇ったイカロスの墜落する様を描きだす物語。
強欲ゆえに王権の座から引きずり降ろされようとする様子が、「いまこそ王は食べ過ぎた報いに病のときを迎え」(79)と表現されるのは、サリンジャーの短編「バナナフィッシュ」でバナナを食べすぎて熱を出し、死んでしまう愚かな魚(下記参照)を思わせる。リチャード二世は、「五感を持たぬもの(senseless)への私の祈りを笑ってくれるな」(105)と自嘲しながら自分が治めてきた領土に祈りを捧げ、彼にとってのイカロスの翼であった王冠と玉座を奪われると、アイデンティティとともに存在意義を失い、最後は自らも五感(上記[13_亜鉛華軟膏の女]参照)を持たぬ者すなわちバナナを味わう肉体を失った死者となって、母なる大地へ還っていく。
◆『オセロー』
たちまち天の高みから
奈落の底に突き落とされてもかまうものか
イカロスの急上昇と急降下を思わせる一節。
◆『リア王』
娘たちに裏切られた父王リアが、嵐に向かって叫ぶ場面。
そびえる塔を水没させ、風見の鶏を飲み込め!
Till you have drenched our steeples, drowned the cocks.
このセリフからは、リアが父として天の神に同化し、傲慢な娘たちに怒りの鉄槌をくだせと望む気持ちが読みとれる。そびえる塔は若者や未熟な人類が天へ向かっていこうとする反抗心を、風見の鳥はイカロスを思わせる。エリオットの『荒地』5章にある、荒廃し倒錯した精神状態をしめす「逆さまの塔」「ロンドン橋が落ちる落ちる落ちる」を想起させる表現。
◆『ロミオとジュリエット』
ロミオがジュリエットと再会するためにいうセリフ。
縄梯子を持っていかせる。
夜の闇に紛れて、歓びのマストの天辺まで
僕を運んでくれるものだ
小鳥の巣に昇っていらっしゃる
彼が漁夫王であることや、恋という狂気にとらわれて、イカロスのように舞い上がる若者特有の精神性が現れている。この縄梯子が、サリンジャー作品ではエレベーターになる(参考下記)。
◆『夏の夜の夢』
父親はお前(娘のハーミア)にとっては神に等しい。
お前の美しさの創り主だ、
いやそれどころか、お前は
父の手で蝋の上に型押しされた人形にすぎない
この一節からは、父=神にとって、娘=子どもが蝋のようにたやすく型押ししたり、溶かしたりできる人形にすぎないという意味が読み取れる。神が溶かしたイカロスの翼の蝋がここでは人形のイメージに結びついている。人形のイメージは、『テンペスト』でプロスペローが操る精霊たちの人形劇を思わせる。象徴的父の価値観に支配されながら生きる子どもはゼペットに支配されるピノッキオ。サリンジャーは「ズーイ」でマリオネットのような動きについて描いている。詳しくは改めて。
◆『マクベス』
以下は、ヘカテが狂気に陥った典型的な永遠の少年マクベスを表現する言葉。自分のことしか見えなくなり、傲慢になる未熟者の特徴が端的に表されている。
あいつが可愛いのは自分だけ、お前らのことなどそっちのけ
人間どもの大敵は
自信過剰というやつだ
また、これより前、マクベスがダンカンを殺害した夜については、「昨夜はひどい荒模様でした。我々の宿舎では煙突が吹き倒された」(62)と描写される。ナルキッソス=永遠の少年の過剰な自信と傲慢さが犯した罪は、神の怒りに触れ、煙突=塔が倒れるような嵐によって戒められる。
たとえお前たちが風という風を解き放ち、教会を
吹き倒そうと、逆巻く怒涛が
船を吞み込もうと、かまうものか。
穂をつける前の麦畑をなぎ倒し、木々を根こそぎにしようと、
城をうち崩し衛兵を生き埋めにしようと、
宮殿もピラミッドも頂きが傾き
土台へとなだれ落ちようと、知ったことか。
大自然の宝庫に納まる種子が混ぜ返され
破壊そのものが吐き気を催してもいい
天に向かう教会や城やピラミッドの尖塔もここでは大海にのみこまれる。難破しそうな船に乗る漁師・漁夫王については下記で示した通り。(「バナナフィッシュ」のシーモアも「漁師」)
実る前に倒れてしまう麦畑は豊饒神話、『キャッチャー』にも通じる永遠の少年像。神話の中での浄化のための世界崩壊が荒々しい描写で語られる場面。
◆『ヴェニスの商人』
アントーニオが投資をした商船の航行は「翼を広げて飛ぶように」(10)という飛行のイメージと結び付けられる。船乗り・漁夫王・魚であることと鳥であることは、どちらも足・脚もとがおぼつかない代わりに、空や水中に引き寄せられる永遠の少年像に当てはまり、シェイクスピア作品で両者のイメージはしばしば結びつく。
これは後半の、シャイロックの駆け落ちした「娘さんが飛び立つための翼を作った仕立屋」(94)「雛鳥の羽が生え揃ったのを知っていた。そうなれば雛鳥が親鳥から逃げ出すのは当然のおちだ」(94)という表現と呼応する。若々しい恋心(狂気)がもたらす無謀な行動は鳥の飛翔に例えられ、ここではそれが、英雄のマント(傷ついた英雄を癒すアイテム)でもある〈仕立服〉と結びついてる。
以下はアントーニオが投資した商船について悲観的な想像を巡らせるセリフ。
帆柱のてっぺんを横ざまに倒して、自分の墓に
口づけしてる様が目に浮かぶ。教会へ行って
石造りの聖堂を見れば、
すぐさま危険な暗礁を連想してしまう
船の座礁が教会の尖塔(バベルの塔)が倒れるイメージ、墓や象徴的な死と結び付けられる。
同作で商船に投資したアントーニオの行動は、一種の博打。船が難破せずに予定通り陸へ到達し、商売がうまくいくかどうかは海の天候その他の運任せである中、アントーニオはそこに自らの財産をつぎ込んでいる。そのうえで下記のように語られる。
たった今こんなに価値があったものが
もう何の価値もなくなるんだ
そういうことが起きれば
どんなに憂鬱になるか
『ハムレット』では、レアティーズ(に投影したハムレット)の若々しく血気盛んで未熟な精神状態が博打打ちに例えられる。シェイクスピア作品において、博打がうまくいくかどうかに一喜一憂して気持ちを急上昇させたり急降下させたりするのは、イカロスを思わせる典型的な永遠の少年像。『ヴェニスの商人』の後半、アントーニオの商船が難破して精神的に落ち込み、経済的な危機を迎えるのはイカロスの墜落。
『ヴェニスの商人』は、ポーシャの箱選びという博打で婿を決めるという、もう一つの博打と重なりながら、未熟者の心をわざと急上昇急降下させる博打をストーリーの要として、登場人物たちをいちどは窮地に追い詰めながら、停滞した汚れや敵対心を浄化し、ユダヤ教徒とキリスト教徒をはじめ、憎みあう人々を和解させようとする物語。
アントーニオの破滅を喜び、娘の駆け落ちに怒りをあらわにするシャイロックもまた、アントーニオを鏡写しにした精神の急上昇と急降下を繰り返すイカロス。恋という狂気にとらわれたその他のカップルらも同様。その愚かさが「憂鬱じゃないからああ愉快。双面神ヤヌスに誓って」(12)という言葉や、泣き虫の哲学者ヘラクレイトスと笑う哲学者デモクリトスとの対比で表現されている。
以下は言葉の通じない求婚者に対するポーシャの嘆き。
あの人には私の言葉が通じないし、私にはあの人の言葉が分からないんだもの。何しろラテン語もフランス語もイタリア語もだめときてるし、私の英語がどんなにお粗末かはあなたが証人
コミュニケーションのすれ違いから、ランスロットの父息子による道化的な言葉遊びと言語の意味の崩壊へとつながっていく表現は、以下の語りと合わせて、バベルの塔の崩壊のイメージを読み込んでもいいのではないだろうか(言語の城の崩壊については別途まとめます)。
多くの臆病者が、砂の階段のように頼りない
心を持ちながら
それは、「バナナフィッシュ」でシビルが踏みつける砂のお城とも結びつく。
◆『ジュリアス・シーザー』
戦いに勝ち、頂点に立ったシーザーは、以下のように批判される。
やつら(市民たち)はシーザーの翼に生えかけた羽根だ、いまのうちに
抜いておけば、あの男もそこそこの高さまでしか飛べないだろう、
だが放っておけば、人の目も届かぬ天空に舞い上がり、
俺たちを一人残らず奴隷の恐怖に縛り付ける(15)
謙虚さが梯子だというのは常識ではないか、
高みを目指す者はまず謙虚という梯子に目をつける。
だがいったん頂辺に昇り詰めれば、
すぐさま梯子には背を向け、
さらに高い雲を見上げ、それまで足を掛けてきた
低い段など一顧だにしない(51)
あなたの分別は過剰な自信に吞み込まれてしまった(77)
この批判が的を得たものかどうかは、作中において微妙、史実・真実はさらに分かりかねますが、いずれにせよ、王様だと持ち上げられて調子に乗っていると人の目に移れば嫉妬と批判の的になり、引きずりおろされ、ときには命さえ脅かされる。なんて、今の時代でさえそこらじゅうにあふれすぎてて、ぜんぜん笑えません。
◆『トロイラスとクレシダ』
ユリシーズら年長者が、若者の傲慢さを批判する言葉が、何度も繰り返される作品。
序列というものは/高邁な企てを目指す梯子だ、それがぐらつけば/大事業そのものも病み衰える(47)
(アキレウスの慢心は)空虚な名声を耳いっぱいに詰め込み、/おのれの価値を過信して(49)いる
あの高慢な頭(64)
傲慢は度を越し、/礼儀に欠け、人が判断する以上の大物だと/自画自賛している(97)
なぜ人は慢心するんだろう?
高慢な人間は自分自身を食い尽くす。高慢は自分を映す鏡であり、自分のラッパであり、記録なのだ(99)
(アキレスは自分が)大物だという思い込みに取りつかれ
独り言を言うときさえ自分の息に喧嘩を売るほどの
慢心ぶり。自分は偉いという妄想で
のぼせ上がり、かっかと熱くなったせいで、
アキレウス王国は上を下への大騒ぎ、
精神と肉体がせめぎあって
しまいに崩壊するでしょう。何と言ったらいいか。
もう高慢病も重体で、死の兆候が現れ、
治る見込みはありません(100)
自分の息に喧嘩を売るという言葉に、精神分裂の兆候が表れている。シェイクスピア作品では、永遠の少年の傲慢さは精神分裂と結びつき、それが狂気の原因となって、心身を〈崩壊〉させ、破滅へ至らせる。これが、トロイの城の城壁が崩れるイメージを経由して、バベルの塔の崩壊と結びつく。だから、アキレウスは土木専門の策士(89)(この詳細は改めて)。
以下はディオメデスについてユリシーズがいうセリフ。傲慢をとことん喜劇的に茶化す場面。
歩き方で彼(ディオメデス)だと分かる、
爪先立っていますから。上昇志向のせいで
ひとりでに地面から浮き上がるんです(182)
また、以下は若者の高慢・慢心が病気や憂鬱症と結びつけられているという意味で注目したい。
(アイアスがアキレウスについて) 病気です、獅子の病、つまり高慢病だ。好意的に見れば憂鬱症ですが、間違いない、あれは慢心です。(95)
『トロイラスとクレシダ』のトロイラスしかり、『ハムレット』の主人公しかり、『ヴェニスの商人』のアントーニオとポーシャしかり、狂気へと向かっていく登場人物たちの多くは、憂鬱症にとりつかれているというのは、シェイクスピア作品でしばしば見られるパターン。『じゃじゃ馬馴らし』では「憂鬱は乱心の育ての親」(27)と語られる。その根本には、どうやら慢心があるらしい。
評判なんて表が自信、裏がうぬぼれのリバーシブルの革の上着だ、どっち側出して着たってろくなこたねえ(150)
A plague of opinion! A man may wear it on both sides, like a leather jerkin.
リバーシブルの上着は、道化のまだら模様の衣装。過剰な自信・自己愛はふとしたことで、憂鬱・自己嫌悪へと反転する。サリンジャーの『キャッチャー』でホールデンが着ているリバーシブルのコートもこれと同じだと思う。
以下と合わせて読むとよりお楽しみいただけます。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
