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03_耐震性に秀れた腕時計とは何か?_ J.D.サリンジャー「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」考察

Q. エズメから贈られた、耐震性に秀れた腕時計とは何か? 
「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」の最後に、Xはエズメから送られた小包をひらく。中にはエズメの父の腕時計とともに、「これは耐水・耐震性(shock-proof)がすごく秀れております」(175)というメッセージが添えられています。衝撃吸収性に秀れた時計というのは確かにありますが、ここでそれがことさらに取り上げられているのには理由があると思うんですよね。
 
本稿の解釈はこう。
A. 精神分裂に耐えるお守り。
以下に理由を述べます。



J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』に収録の「エズメに捧ぐ——愛と汚辱のうちに」読解をマガジンで連載しています。こちらの記事から読んでいただいてもお楽しみいただけますが、01から順番に辿りたい方は下記よりご覧ください。

1 疼く指先

前回、「エズメ」前半の語り手〈私〉の中には白と黒、善と悪、「いまは、銃撃戦に飛び込んでいって殺し合いをしたくてしょうがない」(「最後の休暇」_54)という気持ちと、誰も殺したくないし、自分も殺されたくないという相反する感情が潜んでいるのではないかと考察しました。
 
訓練が終わり、いよいよノルマンディ上陸作戦へ向けて出発する日のことを、語り手は「引き金を引く指が、ごくわずか、目ではわからぬほどわずかに疼いていた。 my trigger finger itching imperceptibly, if at all.」(柴_149)と回想します。
 
〈疼き・痒み itching〉という言葉には、語り手が銃の引き金を引きたい、でも引きたくない、どちらが正しいのか、自分が本当はどうしたいのかわからないという葛藤が表現されているように思います。

サリンジャーの初期短編「ロイス・タゲット」において、善良でやさしい心の持ち主であるカールが、白以外のソックスを履くと足が痒くなる(英文未確認ですが、itchingかこれに似た意味の言葉が使われているはず)という描写がありますね(143)。白い靴下を好むのはカールの汚れのない心の現れであり、色のついた靴下を履くことは、自分の心に嘘をつくのと同じこと。自分の好みの靴下を身につけることと、妻の好みに合わせた装いをすることによる違和感、ホンネとタテマエの乖離、内面と外見のズレの感覚がカールにかゆみをもたらしていると読めます。
 
サリンジャー作品では、精神のありようが足に現れることは「バナナフィッシュ」読解で示した通り。サリンジャーは靴下の記述を、シェイクスピアの『十二夜』をヒントに書いているのかもしれません(詳細下記)。

また「ズーイ」には、シーモアが弟・妹たちから誕生日にかゆみ粉(itching powder)をプレゼントされる(262)、というエピソードが書かれていますね。グラス家サーガでシーモアは基本的には聖人のように語られていますが、「シーモア—序章—」では「首筋はほんとうに汚れていた」(249)と記されています。これは内面にひどい汚れを抱えていることの表現かもしれない。普段は高い知性や良識を持った人物であるかのように振舞っているシーモアも、内面には負の要素を隠している。兄弟たちはそれを見抜いているからこそ、彼に〈かゆみ粉〉を贈るのではないでしょうか。

2 『オセロー』の痒み

うしろめたさが痒みとなって現れる例としては、シェイクスピアの『オセロー』が思い出されます。劇中で、夫への貞節を守るヒロイン・デズデモーナは、夫に浮気を疑われて殺される直前、ほんの一瞬だけ他の男性に目を奪われ、その容姿を褒めます。
 
ただ遠くから見つめて「ロドヴィーゴーって素敵な人ね」(202)というだけ。夫はそれを知らないし、デズデモーナが殺された理由とは直接は関係ないのですが、物語としてはここで、誤解により殺された悲劇のヒロインも、必ずしも心の奥深くまで完全にまっさらな純潔なわけではないのだということが、ちらりと仄めかされる(この読解は改めて)。その時に、デズデモーナは「何だか目がかゆい/涙の前触れかしら?」(203)と、後ろめたさからやたらと目の痒みを訴えるんですね。
 
サリンジャーがこれをどれほど意識していたかわかりませんが、至る所にシェイクスピアからの影響がみられることは、『キャッチャー』「バナナフィッシュ」読解でもみてきたとおりです。

3 指先の震え

後半で、Xは「微かに小止みなくぶつかり合う指をあやつりながら」煙草に火をつけ、「自分の精神が、いわば碇がきれて、頭上の網棚の上で揺れる荷物みたいに動揺するような気がした。」(162)と述べ、その後でXの部屋にZ伍長が訪ねてきます。この揺れは、精神の揺らぎを表しており、〈私〉がXとZに分裂する兆候。
 
この兆候は、前半の「引き金を引く指が、ごくわずか、目ではわからぬほどわずかに疼いて(itching)いた。」という記述からつなげて読んでもいいかもしれません。
 
Zが去った後でXは、「便箋をローラーの間にちゃんと挟むことができない。指のけいれんがそれほど激しくなっていた」(173)と語られ、Zとの対話で精神状態がさらに悪化していることが示されます。指先のけいれんは、精神が動揺していることの現れ。指先の疼き、かゆみが、身体の震えや精神的な動揺となり、やがて二つに分かれるイメージへとグラデーションでつながっているように思います。

4 『ロミオとジュリエット』『マクベス』の震え

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、大地震の日にジュリエットが乳離れした(36)と語られます。シェイクスピア作品では、大地や領土は主人公の精神の象徴なので、大地震とは、ジュリエットが母体から分離した瞬間を表現しているのではないか、という解釈については下記で述べました。

『マクベス』でも主人公は、「心に浮かぶ殺人は、まだ空想にすぎないのに/俺の五体をゆさぶり My thought, whose murder yet is but fantastical, / Shakes so my single state of man」(25)と精神的な動揺、善悪への分裂を震えとして語り、自分が殺したバンクォーの亡霊がマクベスの席を奪うと、「貴様、俺だとは言わせない。血まみれの髪を/俺に向かって振り立てるな Thou canst not say I did it. Never shake / Thy gory locks at me.」と、自分の玉座=存在の根幹が亡霊にのっとられることを恐れ、「震えるものかShall never tremble.」「不気味な影!/幻め、/俺を馬鹿にする気か、失せろ! horrible shadow! /  Unreal mock’ry, hence!」(102)と抗いながら、幻影=狂気=悪魔にとりつかれていきます。震えに抗いながらマクベスが闘っている〈不気味な影〉は、自分の後ろめたさ、罪悪感からくる狂気が作り出した幻影。その意味で、Xが見るZと近いと思うのです。

5 耐震性に秀れた時計

シェイクスピア作品から影響を受けているサリンジャーにとって、震えは精神分裂と狂気の兆候。ここに自分が精神的に病んだ実体験が重ねられ、「エズメ」のけいれんや動揺の表現が出てきているのではないでしょうか。
 
すると、エズメが送ってくれた時計の「耐震性がすごく優れて」(175)いるのは、精神の分裂を予防するのに、この時計が役立つことを暗示しているのかもしれない。
 
また、〈碇〉は船乗りを思わせる言葉。シェイクスピア作品、サリンジャー作品で、精神的に揺らぐ者は、波に揺れる漁師でもあることは、過去記事で見てきたとおり。だからこそ、その揺らぎ、心身の震えは〈碇〉が切れたと表現される。大地が揺らぐことは、足元がおぼつかなくなること、船乗りになって海へ出ること、波に翻弄される者になること、永遠の少年になることと結びついているわけですね。

「頭上の網棚の上で揺れる荷物」や、指先の痙攣を「正常に返すためには、こめかみの所を両手できつく押さえる」(162)という表現は、「バナナフィッシュ」読解で示した頭・脳の狂気、こめかみに銃弾を撃ち込むというシーモアの最後につながる描写。詳しくは下記「バナナフィッシュ」読解を参照ください。

今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。


J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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