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24_犬と猫_ J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』考察

Q. シビルが犬をいじめるのはなぜか?

「バナナフィッシュにうってつけの日」で、シビルとシーモアは次のような会話をする。

「シャロン・リプシャツ好き?」と、シビル。
「うん。好きだとも」と、青年は言った「あの子の特にどこが好きかというとだね、あの子はホテルのロビーにいる小ちゃな犬たちを決していじめたりしない、そこが好きさ。たとえば、あのカナダから来た奥さんのあのチビのブルドッグ。きみは信じないだろうけど、小ちゃな女の子の中にね、小ちゃなあの犬を風船の棒でつつくのが好きなのがいるんだ。でもシャロンはやらない。あの子は意地悪な真似をしたりいじめたりなんかしないんだ。だから僕はあの子が大好きなのさ」
シビルは黙っていた。

(28)

明言はされていないが、二人の様子から、どうやら小ちゃな犬を風船の棒でつついていたのはシビルで、シーモアはそれをやんわりとたしなめているらしい、と想像できる。シビルはなぜ犬をいじめたのだろうか。
 
本稿の解釈はこう。
A. シビルは冥界の猫で、冥界の番犬と対立しているから。
以下に理由を述べる。



J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解をマガジンで連載しています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。

1 シビルとシャロン、猫と犬

シャロン・リプシャツは、シビルと同じようにフロリダのホテルに宿泊している幼い女の子。前の晩にシーモアがピアノを弾いているとき、シャロンをピアノの椅子に一緒に座らせてやったことを聞きつけて、シビルは「今度はその子、押しのけてね」と嫉妬心をあらわにする。
 
シーモアが「シャロンをきみ(シビル)だと思うことにしたのさ」(25)というセリフで、シビルとシャロンが分身関係であることが仄めかされる。ここにはシビルは犬をいじめる悪い子で、シャロンは犬をいじめたりしない良い子という対比があり、シーモアが実像と鏡像に分裂していることをはじめ、本作に複数散りばめられている善悪、聖俗、生死といった様々な対比関係のひとつである。
 
だからおそらく、ここで犬をいじめていたのはシビル。シーモアは遠回しに彼女の行いをたしなめ、シビルは自分の悪い面を指摘されたのが気まずくて黙ってしまう、という微笑ましい場面。
 
さらに、シビルは母親から「子猫ちゃん Pussycat」(柴_23)と呼ばれており、猫が重ねられている。犬をいじめるシビルと犬をいじめないシャロンの対比に、猫と犬の対比が重なってくる。

サリンジャーは、「ズーイ」や「エズメ」でも猫と犬の対比を使っているから、ここでもある程度意識していた可能性が高いと思う(詳しくは各作品読解にて)。

2 ケルベロス

「バナナフィッシュ」にオルフェウス神話のモチーフが使われていることは下記で示したとおり。

オルフェウス神話の犬といえば、冥界の番犬ケルベロス。シャロン・リプシャツが、永遠の少年が崖から地獄へ落下しないように守る人、ライ麦畑のキャッチャーを体現する名前であることは下記で示したとおり。

だから、シャロン・リプシャツは、シーモアがオルフェウスとなり、冥界の入り口オーシャン・ルームでピアノを奏でているとき、生者シーモアがたやすく彼岸へ足を踏み入れないように、その入り口を守る犬ケルベロスと重ねられる。
 
また、エリオットの『荒地』の注釈には、犬は植物発生の精と考えられていたとある(『荒地』T.S.エリオット、西脇順三郎訳、土曜社、2021年)。『荒地』には豊饒を願ってオシリスの模造を大地に埋める儀式についての記述がある。模造を掘り出すような犬の振る舞いが、大地に埋めた種の発芽を促すような働きと重ねられているのだろうか。それは、無意識の領域に抑圧したトラウマを意識の側へ表出させる動きの象徴といえるかもしれない。犬には彼岸と此岸の境界線に立ち、意識と無意識の記憶の仲介役として大地=精神を活性化し、豊穣をもたらすようなイメージがあるようだ。

3 冥界へ誘う猫

Wikipediaによると、シーモアが自殺に使う拳銃オルトギースは、しゃがんだ猫に「S」のマークがついているという。巫女として、シーモアに「鏡をもっと見るか」「水に入るか」と尋ねることで冥界へ誘っていたシビル=Sは、最後に「子猫ちゃん Pussycat」として拳銃に憑依し、シーモアを死へと導く。
 
そして、死んだシーモアもまた猫になる。『ナイン・ストーリーズ』収録の「エズメに捧ぐ」ではZ伍長が戦場で殺した猫について語られており、これが戦争で殺された無垢な存在の象徴となっている。「大工よ」では、生前のシーモアが「死んだ猫になりたい」(96)といっていて、「S」はシーモアの頭文字でもあり、「ズーイ」の中で、バディはズーイへの手紙にシーモアのことを「S」と記している。
 
サリンジャー作品の登場人物たちがみな道化であることは下記で述べた通り。

フンドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンスの絵画作品〈道化と猫〉のように、伝統的に猫は道化が連れている動物でもある。サリンジャーの初期短編「ロイス・タゲット」では、未熟な主人公が大人へと成長していく過程で、フランドル絵画を学ぶ。フランドル絵画には道化やカーニバルを描いた作品が複数あり、サリンジャーはおそらくそれをふまえて、ここでフランドル絵画という記述を入れている。道化やカーニバル、その起源である豊饒祭祀や通過儀礼について知ることが、ロイス・タゲットにとってのイニシエーション儀式のひとつになっているわけだ(詳しくは同作品読解にて)。そんな表現を使うほどだから、サリンジャーが〈道化と猫〉の組み合わせに意識的だった可能性も高いだろう。道化は伝統的に冥界の案内人であり、道化の腕の中にいる猫もまた冥界の住人である。
 
サリンジャーの「ブルー・メロディー」で、消防車の梯子を思わせる場面があることは、[21_大工の息子]で述べた通り。この場面は以下のように語られる。

消防士がふたりいらいらしながら、木に登った子猫を下ろすのを見物した。日本のキモノを着た女性が偉そうに耳障りな声で消防士に指図をしている。

(猫は)突然、高い枝から片方の消防士の帽子の上に飛び下りて、それを踏み台にして隣の木に飛び移った

(135)

ここにいる消防士が〈ふたり〉なのも、おそらくは彼らが道化的な揺らぎを抱えた世俗的な人々であることの表現。猫が踏み台にする消防士の帽子も、ここでは道化・阿呆のしるしであろう。現世的な悩みに心を悩ませている消防士の二人組には、冥界を思わせる木の葉の向こうに隠れながら、樹々の上を自由に飛び回る猫を捕まえることはできず、だから二人はいらいらしている。
 
対して、この直前に「消防車のはしご車みたいにでっかい」(131)二日酔いを引きずっていたピアノ弾きのチャールズなら、きっと猫を捕まえることができただろう、という含みがここにはある。優れた芸術家は、サリンジャー作品において、冥界の事情に精通している人。人を魅了するピアノを奏でるチャールズなら、木の上の猫を捕まえるのはたやすいはずなのだ。
 
日本のキモノという東洋的なアイテムも、サリンジャー作品においては、西洋世界=此岸に対する〈あちら側〉のイメージが強く、それはときとして彼岸を思わせる。猫の描写の直前には、これも[21_大工の息子]で触れた少年少女が建設中の家の梁の上で遊ぶ描写が入るのだが、梁の上にいることは木の上にいる猫と同様、磔刑にかけられたイエスになること、つまり彼岸に近い場所にいることといえるだろう。幼いころに少年が初恋ともいえる相手と二人で遊んだ思い出は、夢の中の出来事のような位置づけにあるわけだ。
 
「ズーイ」では、ズーイが窓の外で少女と一緒に散歩をしている犬を見て幸福な気持ちになるのと対照的に、飼い猫のブルームバーグが、精神的に落ち込んで彼岸に片足を踏み入れているフラニーの膝で丸くなっている。フラニーがかけている青い毛布の下で、無意識に抑圧した記憶の欠片のようにもぞもぞと動き続けて、フラニーを落ち着かない気持ちにさせている。
 
これらの表現から分かるのは、猫には冥界や無意識の深淵を自由に飛び回り、ときとして心の奥深くに埋めていたはずの記憶を携えたまま意識の側へ飛び出して、心を掻き乱すようなイメージが付与されていることだ。エドガー・アラン・ポーの短編「黒猫」のクライマックスで、崩れた壁の中から現れる妻の死体の上に黒猫が鎮座し、主人公が隠していた罪を警官に向かって暴露してしまう場面を思い出す方も多いだろう。
 
これは、ポーの「天邪鬼」や「告げ口心臓」にも通じるテーマ。心の奥深くに秘密や罪を隠そうとすればするほど、気持ちが乱れていつしか狂気にとりつかれ、自分でもいけないと分かっていながら、ついつい白状してしまう様子を描いたもの。
 
シェイクスピアも『ハムレット』で、「殺人そのものには口はないが/不思議な力の働きでひとりでに語りだすものだ」(114)「俺なら(笛を)吹きこなせる、心の秘密も引き出せる」(152)と、似たような現象について語っている。これが、『ハムレット』の「猫はニャーニャー、犬はワンワン、そのうちいい目もみるだろう The cat will mew, and dog will have his day.」(242)というセリフと響きあう。
 
ここでハムレットが語る猫と犬は、ハムレットとレアティーズの、心の奥深くに抑圧した獣的・本能的な感性が騒ぎ出すことの表現として読める(この詳細は改めて)。

人間的な理性よりも、獣的な本能の方が優位になることは、神話において正気を失って狂気にのっとられることと同じ。正気=実像を失って狂気=鏡像にのっとられたシーモアは、神託を告げる巫女・冥界の使者の猫でもあるシビルに導かれて、オルトギースの拳銃を自分に向かって発射する。
 
シーモアが彼岸に足を踏み入れないように守ろうとする冥界の番犬シャロンに対し、シビルは、獣的な本能が発する声に従い、死んでこそ成長した姿で再生できるという神話の法則にのっとって、シーモアを冥界へ誘う猫。だからシビルはシャロンに対抗心を燃やし、犬をいじめるのではないだろうか。
 

今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。
「スキ」をいただけたらうれしいです。

つづきはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解21~29のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。

J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。


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