25_部屋の香り_ J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』読解
Q. 仔牛皮と除光液の香りとは何か?
「バナナフィッシュにうってつけの日」の最後の場面、若い男(シーモア)がホテルの部屋へ戻ると、部屋には「仔牛皮の新しいトランク類やマニキュアの除光液の臭いが漂っていた」(32)と記されている。この意味は何だろうか。
本稿の解釈はこう。
A. 変容を遂げるための、象徴的父と母の気配が漂うウロボロス空間の表現。
以下に理由を述べる。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解をマガジンで連載しています。前の記事を未読の方は、もしよろしければ、01からお楽しみください。
1 嗅覚と変容
除光液はミュリエルが冒頭でマニキュアを塗り直した際に使ったもの。塗ったばかりの色を落としてしまった可能性もあるが、ここで重要なのは、シーモアの妻の指先に何らかの変化があったらしいこと。
黄色、青、緑が持つ意味についてはすでに説明した通り。特に黄色が黄金に変わるような色の変容は、卑近な素材から錬金術的な黄金が誕生するイメージに結びつく。
「コネティカットのひょこひょこおじさん」では、前半で語られる、学生時代の同級生が赤毛の髪をブロンドに染めていた思い出が、後半のエロイーズの精神的な変容と重ねられている。赤毛は『キャッチャー』読解(下記)で示したとおり、未熟な若者の象徴。それが金色(豊饒の麦畑と同じ色)になることは、大人(神話の王・自らの精神を統率できる者)へと成長することだ(詳しくは同作読解にて)。
「バナナフィッシュ」では、甘い香りの果実バナナを食べすぎることが堕落の象徴であり、鼻に亜鉛華軟膏を塗り、現世的な嗅覚を麻痺させた女がシーモアの正体を見抜ける存在であることは下記で述べた。
除光液のきつい臭いで嗅覚が狂うこともまた、現実世界における五感のひとつを失うこと、すなわち、冥界へ行くことを意味するだろう。
「ズーイ」でも、アパートの壁のペンキが塗り替えられること、家じゅうにシンナーの臭いが漂っていることが、精神的な変容の表現となっている。その「ズーイ」に記された「優秀な詩人が死を迎えている。しかし同時にやはりこのすぐ近辺で、若い女性がその美しい身体から、膿汁(うみ)をたっぷり一パイント抜かれている」(94)という一文の意味は下記でみた通り。
この一文にも示されているように、除光液の臭いとミュリエルの指先の色の変化は、シーモア・ミュリエル夫妻の精神的な変容・メタモルフォーゼを表現していると読める。ミュリエルが「髪をミンク色に染めてもらったりして」いるかもしれないと語るのも、同じ意味のほのめかしであろう。
2 『荒地』の香り
「バナナフィッシュ」でシーモアがつぶやく「記憶と欲望を混ぜ合わし」が、T.S.エリオットの『荒地』の一節であることは有名だが、その『荒地』のなかには、上流階級の女性が自室にいる様子が下記のように描写される。
香水瓶は栓が抜かれ、
その中にひそんでいたのはその女の使う
異様な合成人造の香料、ねり油、粉、液体
——馥(におい)の中で感覚は乱され、混沌として
溺れた
ここでは、女性の香水や化粧品のきつい香りが、堕落し頽廃した生活を送る女性が混沌のなかへ還る、正気を失い、現実世界から離れて、夢のなかや幻想の世界へ引き込まれていくための装置として使われている。
その女性の部屋には鏡があって、宝石や風に煽られて燃え上がる蝋燭の焔を反射し、女性が座る椅子は「磨かれた王座」と表現される。『荒地』ではこれが、水死と浄化の場面、神話における英雄の象徴的な死へとつながっていく。この一連の表現が「バナナフィッシュ」に影響を与えていることは間違いない(下記参照)し、シーモアに『荒地』の一節をつぶやかせているということは、読者にも合わせて読むように促していると考えていいだろう。
嗅覚はサリンジャー作品において、道化の鼻と結びつき、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」の鼻に啓示の光が射し込む場面や、「シーモア-序章-」のゾゾの鼻のディレンマなどとしても語り直されていく。
3 除光液の臭い
永遠の少年が死ぬことは、母なる大地・海へ還ること。この場面では、除光液の臭いを部屋中にたちこめさせることで、ミュリエルはグレートマザーとして最終的に、決定的にシーモアを自分の空間へ呑み込んだ、という言い方もできるだろう。ホテルの部屋は、英雄を癒し、再生へ導く神話的なクジラの腹に見立てられる。
これは、『ハムレット』における母ガートルードの部屋にあたる。母の部屋へ向かう直前、ハムレットは天井画の雲を指して「クジラか」(153)とつぶやく。
4 仔牛皮の臭い
「ズーイ」では、ズーイがフラニーに「僕はまだヨリックの頭蓋骨に夢中になっている」(286)という。これは『ハムレット』の墓掘りの場面について言及したもの。まだ恋人の死を知らないハムレットは、オフィーリアの墓を掘る者たちに出くわして言葉を交わす。
そのとき、墓掘りがヨリックの頭蓋骨を掘り出す。ヨリックはハムレットの父王の道化だから、その頭蓋骨はハムレットにとって父の影・分身の意味を持つ。シェイクスピアはここで、ヨリックの頭蓋骨を通して、息子ハムレットがかかえる象徴的父との精神的な葛藤について語っている。
そして、サリンジャーは「ズーイ」で主人公にヨリックの頭蓋骨について言及させることで、ズーイの中にある象徴的父シーモアとの精神的な葛藤について表現しようとしている、と読める。(詳しくは『ハムレット』読解、「ズーイ」読解にてまとめます)
この『ハムレット』の墓掘りの場面で、ヨリックの頭蓋骨が出てくる前に掘り出された別人の頭蓋骨を見て、ハムレットは「法律家の頭かもしれない」(231)という。そして、法律家が使う証書類には「仔牛の皮」で作るものもあると続ける。
また、シェイクスピアの『尺には尺を』では「法律の手枷足枷から/兄上を解き放てるとする」(81)と、法律が、象徴的父からの抑圧としての足枷、オイディプスの足を傷つけた父のイメージと結びついている。『十二夜』『ヴェニスの商人』『トロイラスとクレシダ』など、他のシェイクスピア作品でも、若者たちを縛る父親世代からの束縛が法律と結び付けられて語られるのがお決まりの表現となっている。
これらシェイクスピア作品に影響を受けているサリンジャーは、現世における象徴的父親からの価値観の押し付けと、それに抗おうとする息子の葛藤を、『キャッチャー』においては父親が弁護士であること、「笑い男」においては、ゲザツキーが法律を学ぶ学生であることで表現している。
神話・シェイクスピア作品やそれに倣うサリンジャー作品において、善悪を定めて世の中の秩序を守る〈法〉は、広い意味での父なるもの、父親世代から息子へと与えられる教え。これに抗い、父から与えられた価値観を壊して、自分なりの世界観を打ち立てていく闘いが、英雄神話の典型。『ハムレット』は、王子が父王・義父・ポローニアスらが押し付ける騎士道精神(復讐せよ、という命令)に抗い、迷いながら、それを乗り越えようとして失敗する物語、としても読める。
だから、「バナナフィッシュ」に記された「仔牛皮のトランクの臭い」というのは、象徴的父の気配を表現しようとしたものではないかというのが私の推測である。
シーモアが、除光液の臭いの漂ったホテルの部屋=ミュリエルの空間=グレートマザーの胎内を思わせる場所で、「仔牛皮」の臭いを感じ取る姿は、「クジラか」とつぶやいて向かった母ガートルードの部屋で、父の亡霊に出会い、ポローニアスをとおして父殺しを果たすハムレットと重ねられる。
「仔牛皮の新しいトランク類やマニキュアの除光液の臭いが漂っていた」ホテルの部屋は、象徴的な父と母、両方の気配が感じられる原初的なウロボロス空間。これは『キャッチャー』において、ホールデンが、兄DBの部屋で妹フィービーと会話する場面とも同様の表現だ(詳細下記参照)。
シーモアが自殺をし、ミュリエルと夫婦一心同体となるホテルの部屋。ハムレットが父殺しをし、父との一体化を果たす王妃の部屋。ホールデンがフィービーにキャッチされるDBの部屋。これらはいずれも、英雄たちが女神や両親(として現れる自分の分身)と出会い、分裂していた心の一部が統合され、再生へ導かれるクジラの腹として読める。
そこは、原初的な両親の気配が濃密に漂うウロボロス空間。ユング派の研究者エーリッヒ・ノイマンが、神話において、原両親が一体となった姿は、二匹の蛇が一体となったウロボロスとして現れると説明している(Q)ような場所(上記リンク参照)。物心つく前の赤ん坊のころにいたような、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、快と不快、好きと嫌い、是と非が混ざり合った世界、現世の〈法〉を超越した彼岸世界。ピノッキオが呑み込まれたクジラの腹の中にゼペットがいるように、シーモアは除光液の臭いとともに、仔牛皮の臭いをかぐのだ。そして、死んだシーモアもまたその空間で、原初のバターに還るのではないだろうか。
トランクは、下記でみた死者シーモアを埋葬する棺のイメージに結びつく。
今回はここまで。お読みいただきありがとうございます。
スキをいただけたらうれしいです。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解11~20のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」読解21~29のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読解01~10のまとめはこちらから。ぜひご覧ください。
