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OSの女|第2章 間違った前提の恋愛


第2章 間違った前提の恋愛


一 欠落した男しか、愛せなかった

いつ来るんだろう。
何度もスマホの通知を確認していた。
待ちくたびれて眠る時でさえ、
スマホを握ったまま寝ていた。
振動を逃さないように。
あなたのために、
いつでも近くにいられるように。
深夜でも電話に出た。
どんな時間でも会いに行った。
確信めいたことは何も言わない男だった。
それでも構わなかった。
ただ共通の秘密があれば、
それだけでよかった。
その秘密が、誇らしかった。
連絡が来るのはいつも気まぐれで、
それでもスマホを手放せなかった。
着信が来た瞬間だけ、
全身に熱いものが広がった。
その一瞬だけ、私は私を許せた。
一番目の彼女には見せない顔を、
私は知っていた。
一番目にはできないことを、
私がしてあげていた。
「可哀想な人」だと思うほど、
強く求められていると感じてしまった。
いつか一番になれると、夢見ていた。
バカみたいに。
笑えてきた。でもそれは強がりで、
本当は心の中で泣いていた。
欠落した男しか、愛せなかった。
たぶんあの頃の私も、欠落していたから。


二 情愛と呼んでほしい

私は恋愛をしていたんじゃない。

母に作られた前提を確認していただけだった。
そう気づくのに、2年半必要だった。

派遣で入った職場で出会った。
初めから何か感じた。
でもその時彼は、
社内の女性とそういう関係だった。
不倫なんて、と思っていた。
彼女に嫌悪感を抱いていた。
自分が彼女に敵意を向けられるまでは。

彼女は確信には触れず、ただ親切だった。
やましいのは、私だけだった。

後から彼から聞かされた。
彼女とはちゃんと別れたよって。
時期が、重なっていた。

背徳感にまみれた関係は、私を毒していった。始終クラクラしていた私は壊れ始めていった。

彼との約束があった。

「奥さんを愛してる。それは変わらない、
ごめん。でも、君のことも愛してるよ」

残酷な愛の言葉でさえも、私を狂わせた。
体だけの関係のはずが、
互いに毒されていった。
転勤しても、
何か理由をつけて毎週私のもとに帰ってきた。旅行にも行った。
奥様と呼ばれて、舞い上がった。

彼の単身赴任先に遊びに行ったことがあった。彼の家に入れてもらった。
ここに家族も来るんだろうか。
そう思ったら、取り返しのつかないことをしてるんじゃないか、頭に浮かんだ。
でも同時に、心は弾んでいた。
私が最初に泊まったからだ。
一番になれたみたいで、
誇らしかった。
なんて浅ましい女なんだろう。
心の奥にしまって、彼との情事に溺れた。
それから二人で観光した。
彼はたくさん写真を撮ってくれた。
二人の写真じゃなくて、
私だけが楽しそうなやつを。
見返すと切なくなった。
どこまでいっても、
私は一番から遠い方を選んでばかりだった。
それでもやめられなかった。
すっかり酔ってしまっていた。
彼は私のもの。
その勘違いから目が覚めるのに、
2年半もかかってしまった。

はっきりとした目覚めではなかった。
眠くて、まだ彼に包まれていたいような、
そんな寝起きだった。
それでも私は、
好きな人ができたわけでもなく、
ただ何となく、そろそろかなと思った。
ふいに連絡を絶った。
彼への仕返しのつもりで。
別れようとしたことがあった。
私が都会に引っ越すタイミングで。

少し会わない間、私は別の男に夢中で、
彼のことなど気にもとめていなかった。
久しぶりに連絡が来た時、思いの外、
胸が苦しくなった。思い出してしまったのだ。彼との熱を持った日々を。
迷ったが、会うことにした。
何もしない約束で。
久しぶりに見た彼は、少し太っていた。
こんな顔だったっけ。
あれほど会いたかった人なのに、
知らない人みたいだった。
私の灯火は、
もう消えてしまったのかもしれない。
別れ際、今日はどこに泊まるの?
何気なく聞いただけだった。
ホテル取ってない。泊めて?
突っぱねればよかった。
でも私は、求められると弱かった。
そのまま私の家に泊まった。
いつも優しい彼が、その日は少し乱暴だった。消えたはずの灯火に、また火がついた。
でも翌日、私たちはちゃんと別れた。
拍子抜けするほど、彼は引き止めなかった。

彼から去ったあと、
私は5年も彼氏ができなかった。
誰に触れられても、安全すぎて退屈だった。
普通の男では、心が動かなかった。
彼らに触れるたびに思い出す。
あの夜の体温を。奥様と呼ばれた声を。
冷たいシーツの中で、
自分が溶けていくみたいだった。

私はずっと、愛されていたかったんじゃない。
壊れていたかったのかもしれない。

これは恋愛ではなかった。
情愛と呼んでほしい。

三 彼女の方が、好きだった


彼女の方が、好きになっていた。
彼はもともと友人だった。
今よく遊んでるんだよね。
そう言って彼女を紹介してくれた。
私たちはすぐ仲良くなった。話が合った。
一緒にいると楽しかった。彼の彼女なのに。
私は少し浮ついていた。
でもその頃にはまだ、
彼との関係は終わっていなかった。
彼らが付き合い始めても変わらなかった。
私は彼女に隠れて彼と会った。
彼は何も言わなかった。
やめようとも言わない。
続けようとも言わない。
ただ私を求めた。
私は軽く考えていた。
彼女ができたら終わるだろう。
そんなものだろうと思っていた。
でも終わらなかった。私も彼に依存していた。

彼の何がよかったのか、今もよくわからない。
顔が特別好きだったわけじゃない。
性格だって普通だった。でも求められた。

それだけだった。
私は求められると弱かった。
与えたくなった。応えたくなった。
それだけで、自分に価値がある気がした。
でも時間が経つほど、
彼女の存在が大きくなった。
彼女は本当に優しい人だった。
私が落ち込んでいる時は連れ出してくれた。
一人暮らしの部屋に招いて、
ご飯を作ってくれた。

何も知らない顔で。

もしかしたら気づいていたのかもしれない。
それでも何も言わなかった。
私はそんな彼女を裏切り続けた。
彼を拒めなかった。
でもだんだん分からなくなった。

彼より彼女の方が好きだった。

人として。

彼女の方が、ずっと私を大切にしてくれていた。
ある日から彼が触れてくることが嫌になった。
冗談みたいに肩を抱くことも。
親友の前で距離を縮めてくることも。

全部が不快だった。

彼への気持ちは、
いつの間にかなくなっていた。
終わりは案外静かだった。私は彼を捨てた。
でも彼女だけは最後まで裏切った。
彼女の家でご飯を食べながら、
私はずっと箸をうまく持てなかった。
彼女が名前を呼ぶたび、
少しずつ自分が削られていく気がした。
彼女だけは傷つけたくなかった。

だから今も、言えない。



四 名前なんてつけてあげない


あれは、選ばれない方になった日のこと。
まだ忘れない。

偶然目に入った、LINEの通知。
見たくなかった。
でも先に声が出ていた。
「今の何?」知ってる自分の声じゃなかった。
心の中で自分をなじった。

私は選ばれている側だと思っていた。
確信していた。
何も知らずに、心は無防備で、
傷つく準備はできていなかった。
大丈夫だと思い込んでいた日々が、
想い出という名前で私の首を絞めた。

自分で絞めていた。それはずっと前から。

いつからか、思い当たることが増えていった。
スマホに夢中な彼の顔を、画面の光が照らす。
私は話すタイミングを失う。
ドタキャンも増えた。
なんだろう、一人置いて行かれた気持ち。
でも、核心に触れるのが怖かった。
何かが音を立てて崩れていく。

それなら、もっと壊して、
愛ごと、気持ちごと、
全部なかったことにしてしまおう。

名前なんてつけてあげない。
私のこの気持ちには。



五 その頃の私へ


今になって思う。
欠落した男を選び続けていたのは、
完全な人間に選ばれる自信がなかったからだ。
最初から「二番目」でいれば、
捨てられる前に自分で終わりにできる。
必要とされる側にいれば、
価値を証明できた気になれる。
全部、母が作ったOSの続きだった。

「ダメな私は愛されない」
という前提を抱えたまま、
私は男を選んでいた。
正確には、選ばれていた。
欠落した人間同士が、
互いの隙間に滑り込んでいた。

痛かった。
でも痛みの中に生きている実感があった。
壊れそうな場所でしか、
自分を確認できなかった。

5年間、まともに人を
好きになれなかった時期。
誰に触れられても安全すぎて退屈だった。
その「退屈さ」の正体を、
当時の私はまだ知らなかった。
それが回復の入り口だったことも。

壊れていることに慣れすぎると、
修復されることが怖くなる。
手をそっと当てられることが怖くなる。

私はたぶん、その境界線のあたりで、
ずっとうろうろしていた。

▶︎次の話
第3章|婚活という戦場



▶︎はじめから読みたい方はこちら

▶︎ この話は、
『OSの女|母に作られ、暗闇を愛し、日常を夫と呼ぶまで』

母との関係、恋愛、婚活、夫婦。

別々の話に見えるけれど、全部ひとつの場所に繋がっています。


▶︎ 目次
プロローグ|布団の中から始まった
第1章|OSの生成
第2章|間違った前提の恋愛
第3章|婚活という戦場
Interlude|触れていない
第4章|OSの書き換え
第5章|日常という、まだ慣れない場所
終章|まだ書いている


※本作は創作大賞2026応募作品です。


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