【連載小説】夏の果実が未来を紡ぐ。——翠緑の循環【6】(全9話)
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【登場人物】
主人公:ミキ 1997年9月6日生まれ
ミキの兄:ケンイチ 1992年生まれ
ミキの父:マコト 1964年生まれ
ミキの母:マヤ 1966年生まれ
ミキの祖母:ナツエ 1937年7月1日生まれ
ミキの祖父:コウイチロウ 1933年生まれ(享年58歳)
伯父(マヤの実兄):ソウタロウ 1963年生まれ
伯母:ヨシコ 1966年生まれ
従兄:リョウタ 1989年生まれ
従姉:アンズ 1994年生まれ
従姉:カナエ 1997年7月27日生まれ
カナエの同級生:サクラ、アキコ、カケル、トモヤ
5日目の朝。
ミキは課題を早く終えて、ばあちゃんの家の掃除を手伝っていた。すると、仏間の小さな戸棚に、背表紙が薄く脱色された緑色のアルバムを発見した。
「ばあちゃん、何これ?」
「あら懐かしいね。ちょっと休憩にして、見てみるかい?」
ばあちゃんの節の太い指が、アルバムに伸びる。
「なにこれ、私とそっくり!」
中身をペラペラとめくっていたミキは、白黒に写った女の子を見て、大声を出した。
「ミキもそう思うかいねぇ?ばあちゃん、気付いとったけど、ミキが嫌がるかと思って今まで言わんかったんやわ」
こんなに照れ臭そうなばあちゃんは、初めて見る。
「ミキを見てたら、いつも昔が懐かしくてな」
ばあちゃんは、両手でミキの柔らかい頬を優しくつまんだ。
「こっちの写真は何?とっても可愛い!」
ミキは、二枚の写真を前にして、指を止めた。海を背景にして、若い男女が写っている白黒写真。
向かって左の体格の良いソウタロウおじさんに似た背広姿の男性は、コウイチロウじいちゃんだろうか。すると右の若い女性は——。
「これね、ばあちゃん25歳、新婚旅行のときの宮崎やねぇ」
「凄い!もっと教えて!」
「まだまだ新婚旅行なんて贅沢な時代だったけど、じいちゃんも、ひいじいちゃんも、新しいもの好きだったもんでねぇ。気前よく行かせてくれたんやわねぇ」
ばあちゃんは、写真の横に貼られている<昭和37年、青島にて>とペンで書かれた紙片を、フィルムの上からなぞった。
「何日も寝台列車やらバスやら乗り継いで、そりゃあ大変やったけど。それまで、じいちゃんのこと、無口で怖い人だと思ってたんだけど、すごいはしゃいどるのがわかってねぇ」
「じいちゃん、面白い!」
「ばあちゃんの体も、しょっちゅう気遣ってくれてねぇ。ああ、根は優しい人なんだなって安心したんやて」
そう言って、ばあちゃんはコウイチロウの遺影を見上げた。
「海は綺麗だった!?」
「見たこともない緑色でねえ。2人でずっと見とったよ」
「良いなあ」
ミキは、白黒の中に、テレビで見たようなエメラルドを重ねる。
「そのうち、また行こうなんて言っとったけど、忙しくしとるうちに、じいちゃんも亡くなってしまってねぇ。ばあちゃんも、こんな年になっちゃったよ。でも、もう一度、見て見たかったねぇ……」
ばあちゃんは写真に目を落とし、黙ってしまった。
「じゃあ、私が連れてってあげる!その代わり、お守りに、この写真ちょうだい!」
ミキは、今までこの町で育んだ色んな欠片が、心の中で合わさったように感じて、これが突拍子もないお願いとは思わなかった。
ばあちゃんは、笑いながら右手でミキの頭を撫で、小さく何度も頷くと、
「わかった。写真、大切にしておくれねぇ。ばあちゃん、約束忘れんもんでね」
「長生きしてね、ばあちゃん!」
縁側から優しい光が反射する中、2人はムフフと笑いながら、指切りをした。

掃除を終えると、電話が鳴って、カナエからの報告があった。
「心配しんでも、今朝やっぱりサクラ謝ってきたよ。ミキちゃんにも悪かったって。今日は昼から公園にたくさん呼んどるで、皆でケイドロやろうって!」
ミキは、首から上が熱くなる感じがして、元気に返事した。
「お昼食べたら行くから、待ってて!」
炎天下に、白いキャップを被ったミキは、立ち乗りでペダルを漕いでいた。
キャップの輪っかが頭囲を圧迫し、熱せられた空気が、せわしなく喉の奥を行ったり来たりする。
口の中には、トマトの酸味が余韻を残し、サラサラと汗が背中を落ちていく。
数日前まで赤かった皮膚も、美しく光る褐色に変化していた。
公園に着くと、十数人の子供たちが集合していて、ドッジボールが始まっていた。
「あ、ミキちゃん、こっちこっち!」
カナエが、口の横に右手を当てて叫んだ。
「ミキちゃん、昨日はごめんね、疲れてたもんで」
少し言いづらそうにしながら、サクラも寄ってくる。
内野にいたカケルは、ミキを見つけると、腰のあたりで小さく手を振った。
来年は受験一色だろう。ミキは、本当に何も気にせず遊べる、小学生最後の楽しい夏の日を、精一杯に過ごした。
「じゃあ、元気でな」
夕方になると、子どもたちは、それぞれ帰路に就く。
「また、絶対会おうね」
サクラとアキコが、デコレーションシールを貼った、手紙を渡してくれた。
カケルとトモヤは、
「じゃ!」
と言って、自転車で去って行った。
あまりにもあっけない、別れだった。
所詮よそ者はこんなものだろう。ほんのひと夏の良い思い出だ。
ミキの全身の筋肉に、軽いだるさが残る。
山あいからの風が頭のてっぺんを通り過ぎて、ヒグラシの声が響いていた。
6日目の朝。
早朝からカナエの家族がやって来て、一緒に朝食を摂ることになっていた。
ミキとカナエは、ばあちゃんと庭の横の畑でトマトを収穫していた。すると、どこからかウグイスのさえずりがあたりに響いた。
「あ、ウグイス!」
トマトの籠を持ったカナエが、周囲の木々に目をやる。
「この季節には珍しいけど、時々おるんやわ。頑張ってお嫁さん探してるんかいねぇ」
ばあちゃんも、枝を覗くようにして顔を上げる。
「ホントに、ホーホケキョって鳴くんだね!」
ミキも、顔を上げる。
「私には、フー、ハケチョン、に聞こえるけどな!」
カナエがそう言うと、ミキは大笑いした。お腹の底まで温かくなる朝だった。
ミキが帰る準備を済ませると、お茶と一緒に、木のお盆に入った硬いゼリーみたいなお菓子を楽しんでいた。
壁時計がボーン、と9時を指した。
すると、カナエが急に、
「時間だ!行こう!」
と、ミキの手を引っ張った。
カナエは無理やりミキにヘルメットを被せ、自転車で走りだした。
頑張ってしばらく走ると、石造りの地味な鳥居が見えてきた。去年夏祭りがあった神社だ。

2人が自転車を置いて奥に進むと、
「あっ!」
と、ミキが声をあげた。
青い自転車が停めてあった。
「おはよう……」
カケルだった。
カナエは、無言で、ミキの背中を押した。
ミキは、咄嗟に顔を横にやり、口の周りを手首のあたりで一生懸命に擦ってから、カケルの方を向き直した。
「渡したいものがあったんだわ。これ、こないだお父さんと、体験工房で作ったもんで」
と、カケルは、自作のプラ板キーホルダーをつまみ上げた。
黄色と水色の縞模様の、尖った帽子が特徴のキャラクターだった。
「こないだ、国体のマスコットに決まったばかりなんだ。結構上手に出来たやつやで、良かったらあげるよ」
カケルは、キーホルダーを握りしめた。
「本当に貰っていいの?絶対大事にする!」
ミキは両手をお椀のようにして、カケルからキーホルダーを受け取った。
「いらんなったら、捨てていいでね。じゃあ、勉強頑張ってね。また、絶対来いよ!」
カケルは、自転車に跨り、力強く走り去っていった。
ミキは、タイヤと一緒に跳ねる、カケルの体をじっと見送っていた。
キーホルダーを握りしめる両手は、太陽よりも熱くなっていた。
ハイヤーの運転手が、ソウタロウおじさんから出張カバンを受け取り、トランクに積み込む。
「じゃあ、ミキちゃん送りがてら仕事行ってくるわ」
ソウタロウが、後部座席に乗り込むと、運転手はドアの横で直立してミキを待ち構えていた。
「じゃあね、カナエちゃん。三鷹にも遊びに来てね」
「うん、原宿も行きたいもんで、行く行く!」
カナエが小さく飛び跳ねた。
「ばあちゃん、元気でね。合格したら来るからね」
ミキは、ばあちゃんに抱き着く。やっぱり、畳と線香の匂いがした。
ミキもハイヤーに乗り込み、ドアがバタンと閉じられた。その瞬間、石けんのような芳香剤の香りが鼻と口を満たした。
外の音も、光も、匂いも、空気全てが遮断された。
リアガラスからわずかに見える、皆が手を振る光景を、ミキはいつまでも見つめていた。
【次回予告】
「結構、大変なんだ」。
3年ぶりに訪れたカナエの家。一回り小さくなった大人たち。
楽しげな寿司の席で、ばあちゃんの一言がミキの持つ箸を震わせ、幸せな時間の終わりを予感する。
成長するミキと、老いるカナエばあちゃんの現実。
ミキの瞳に映る現実とは――。
