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化学兵器禁止機関 「使わない」ではなく、「存在させない」ための国際制度
化学兵器は、人類が科学技術を戦争へ利用する過程で生まれた大量破壊兵器の一つで、毒性化学物質によって人間の生命や身体を攻撃する。
その被害は兵士だけに限定されるとは限らず、使用された場所や物質によっては民間人にも及ぶ。
第一次世界大戦 では、塩素、ホスゲン、マスタードガスなどが大規模に使用され、その経験から国際社会は化学兵器を規制していく。
この包括的な禁止を実行するために作られた国際機関が、OPCW Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons 化学兵器禁止機関 である。
第一次世界大戦と化学兵器
1915年4月、ベルギーのイーペル周辺で、ドイツ軍が大規模な塩素ガス攻撃を実施し、その後、各国が化学兵器を開発・使用し、第一次世界大戦 では化学兵器によって多数の死傷者が発生した。
防毒マスクなどの防護手段も発達したが、化学兵器そのものが消えたわけではなく、戦後この兵器をどのように国際的に規制するのかが問題となった。
1925年 ジュネーブ議定書
1925年、Geneva Protocol ジュネーブ議定書 が成立した。
正式には、窒息性ガス、毒性ガスその他のガスおよび細菌学的戦争手段の戦争における使用の禁止に関する議定書 である。
これは化学兵器・生物兵器の戦争における使用を禁止する重要な国際的規範となった。
しかし、保有そのものは禁止されていなかった。
開発、生産、備蓄についても包括的な禁止制度ではない。
ジュネーブ議定書 の存在下でも化学兵器を保有し続けることができた。
「 使ってはいけない 」という規範は成立したが、「 そもそも存在させない 」という制度にはなっていなかった。
第二次世界大戦と冷戦
第二次世界大戦 では、主要交戦国間の戦場で 第一次世界大戦 のような大規模化学戦は発生しなかったが、化学兵器を研究・生産・備蓄していた。
さらに 冷戦期 には、Sarin|サリン、VX、などの神経剤を含む化学兵器が大規模に備蓄された。
特に1980年代の イラン・イラク戦争 では、イラク軍による化学兵器使用が確認され、1988年にはイラク北部ハラブジャで化学兵器が使用され、多数の民間人が死亡した。
Chemical Weapons Convention
長期にわたる軍縮交渉を経て、1992年に Chemical Weapons Convention|CWC 化学兵器禁止条約 が採択された。
1993年1月、署名のため開放、1997年4月29日 CWCは発効した。
ジュネーブ議定書が主として、使用を禁止する 制度だったのに対し、CWCは包括的に禁止、すでに保有している化学兵器を廃棄する 義務まで課した。
OPCW誕生
CWC発効と同じ1997年4月29日、OPCW Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons が活動を開始した。
本部はオランダのThe Hague|ハーグ。
OPCW の仕事は、単に各国へ、「 化学兵器を持たないでください 」と呼びかけることではない。
締約国が CWC を実際に履行しているかを、申告と査察によって確認する。
ここに OPCW の最大の特徴がある。
禁止する条約と、それを検証する国際機関が一体として設計された。
申告する
CWC締約国 は、条約で定められた化学兵器や関連施設などについて OPCWへ申告する。
査察する
OPCW は国際的な査察制度を持つ。
査察官が施設を訪れ、申告内容・設備・記録・化学物質 などを確認する。
化学産業では、通常の民生用途と化学兵器製造へ利用可能な物質・設備が重なる場合があるため、一定の化学工業施設も検証対象となる。
Challenge Inspection
CWC にはさらに強力な仕組みがある。
Challenge Inspection|申立査察 である。
締約国が別の締約国について、「 条約に違反している可能性がある 」と疑った場合、OPCW を通じて査察を要求できる。
疑わしい場所そのものを検証する ための制度である。
ここにも CWC・OPCW の制度思想が表れている。
化学兵器を実際に廃棄する
OPCW の特徴は、監視だけではなく、実際の化学兵器廃棄を検証してきた。
締約国が申告した化学兵器について、廃棄施設や廃棄作業を OPCW が検証する。
2023年7月、OPCW は、CWC締約国 が申告した化学兵器備蓄について、100%が不可逆的に廃棄されたことを確認したと発表した。
申告させ、査察し、廃棄させ、その廃棄を国際機関が確認した。
理念が物理的な廃棄まで接続されたのである。
Syria
2013年、シリアは CWC へ加入した。
シリアが申告した化学兵器について国際的な廃棄作業が進められた。
しかし、その後もシリア国内では化学兵器使用をめぐる事件が発生した。
OPCW は事実確認活動を行い、さらに Investigation and Identification Team( IIT )によって、特定の化学兵器使用事件について責任主体を特定する調査も行ってきた。
化学兵器は再び作れる
核兵器には特殊な核物質と高度な技術・施設が必要になる。
一方、化学兵器では民生化学産業と関連する物質・技術が存在する。
化学兵器禁止には、兵器を廃棄する だけでは足りない。
再び作られていないかを継続的に確認する 必要がある。
だから OPCW は、備蓄廃棄後も必要になる。
Dual Use
ここで重要になるのが、Dual Use|軍民両用 という問題である。
ある化学物質や製造設備が、民間産業にも利用できる 一方、化学兵器にも利用できる 場合がある。
科学技術そのものに、平和技術・軍事技術 という絶対的な境界が存在するとは限らない。
2013年 ノーベル平和賞
2013年、OPCW は、Nobel Peace Prize|ノーベル平和賞 を受賞した。
授賞理由は、化学兵器廃絶に向けた広範な活動だった。
第一次世界大戦 から約100年。
毒ガスが大量に使用された時代から、化学兵器そのものを国際的に禁止し、世界規模で廃棄を検証する制度 までが形成された。
これは国際軍縮制度の中でも非常に大きな変化だった。
OPCWは世界政府ではない
条約違反への対応には締約国、国連、安全保障理事会など国際政治の領域が関係し、さらに CWC に参加していない国家が存在すれば、条約の直接的な拘束も及ばない。
IAEAとOPCW
IAEA と OPCW を並べると、国際秩序の違いがよく見える。
IAEA : 核技術そのものは禁止しないが、軍事転用を防ぐ。
原子力の平和利用を認めながら、核物質が軍事目的へ転用されていないかを検証する。
OPCW : 化学技術そのものは禁止しないが、禁止された兵器をなくす。
化学兵器については存在そのものを禁止し、廃棄まで要求する。
核兵器との大きな違い
化学兵器禁止条約には、世界の大多数の国家が参加している。
そして化学兵器を大量に保有していた米国やロシアも CWC の締約国となり、申告した備蓄を廃棄した。
つまり、実際に兵器を持っている主体を制度の中へ入れることができた。
実際に兵器を持つ国が制度へ参加し、その国にとっても廃棄する合理性が成立する必要がある。
OPCW は、その条件が大きく成立した事例でもある。
異なる国家でも、行動基準は共有できる
事情が異なる国家でも「 化学兵器を戦争の手段として認めない 」という一点では、非常に広い国際的合意が形成された。
国際秩序を作るために、すべての国家が同じ価値観になる必要はない。
必要なのは、「 ここから先はやらない 」という最低限の行動基準を共有することである。
禁止を、現実にする
第一次世界大戦 では、化学兵器は大量に使用された。
1925年、人類はその使用を禁止したが、しかし兵器は残った。
1993年、人類はさらに進み、化学兵器そのものを禁止する条約を作った。
1997年、その禁止を実行するためOPCWが動き始めた。
そして2023年、CWC締約国 が申告した化学兵器備蓄の廃棄が完了した。
完全に防げないことと、制度に意味がないことは同じではない。
化学兵器を使用禁止から、保有禁止へ。
保有禁止から、実際の廃棄へ。
そして廃棄から、継続的な検証へ。
OPCW は、国際的な理念が、具体的な行動プロセスを持つことで現実を変えられる ことを示している。
Archive Point
OPCW の歴史的意味は、「 化学兵器は禁止する 」と宣言したことではなく、その理念を、禁止 → 申告 → 査察 → 廃棄 → 検証 → 継続監視 という実行可能なプロセスへ変えたことにある。
そして、実際に化学兵器を保有していた国家までその制度へ参加した。
理念だけでは兵器はなくならない。
理念を実現するプロセスがあって、初めて現実が動く。
OPCW は、その一つの実例である。

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