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MVP ARCHIVE HISTORY | Civilization INTERNATIONAL ORDER : Marshall Plan European Recovery Program|ERP / マーシャル・プラン

Marshall Plan European Recovery Program|ERP / マーシャル・プラン

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Marshall Plan European Recovery Program|ERP / マーシャル・プラン

提唱|1947年6月5日
実施|1948年–1952年
提唱者|ジョージ・C・マーシャル 米国務長官
正式名称|European Recovery Program(欧州復興計画)


戦争で破壊されたヨーロッパを、どう再び動かすのか

1945年、第二次世界大戦 が終結した。
戦争はヨーロッパ各地の都市、工場、鉄道、港湾、発電設備、住宅を破壊し、数千万人規模の人々を移動させた。

しかし問題は、破壊された建物を再建することだけではなかった。
外貨が不足すれば、食料や燃料、機械を海外から購入することも難しい。
さらに戦後直後のヨーロッパでは食料不足、インフレーション、財政問題などが重なっていた。

ヨーロッパ経済を再び動かすためには、国境を越えて生産・貿易・資金・物資の流れそのものを再構築する必要があった。
そのためにアメリカが打ち出した大規模な欧州復興政策が、Marshall Plan
マーシャル・プラン
である。

第二次世界大戦後のヨーロッパ

第二次世界大戦 の主要戦場となったヨーロッパでは、戦争終結後も経済活動の正常化には時間を要した。
戦争によって失われたのは工場や住宅だけではない。
さらに1946年から1947年にかけての厳しい冬は、石炭不足や輸送問題などを一層深刻化させた。

ヨーロッパ各国には復興のための機械・燃料・食料・原材料が必要だったが、それらを海外から購入するためのドルも不足していた。

02|アメリカと戦後復興

一方、アメリカ本土の産業基盤は戦争による直接的な破壊をほとんど受けておらず、戦時中に拡大したアメリカの工業生産力は、戦後世界でも大きな経済力を持っていた。

アメリカにとっても、ヨーロッパ経済の回復は重要だった。
ヨーロッパ経済が停滞すれば、国際貿易そのものが回復しない。
さらに戦後、アメリカとソ連の政治的・軍事的対立が急速に表面化した。

1947年3月、ハリー・S・トルーマン 大統領 は、ギリシャとトルコへの支援を議会に求めた。
後に トルーマン・ドクトリン と呼ばれる政策である。
戦後ヨーロッパの経済復興と、形成されつつあった冷戦秩序は、同じ時期に進行していた。

1947年6月5日 ― ハーバード演説

1947年6月5日。
アメリカ国務長官 ジョージ・C・マーシャル は、ハーバード大学の卒業式で演説を行い、そこで マーシャル は、ヨーロッパの経済状況が深刻であり、アメリカがその復興を支援する意思を示した。

マーシャルは、復興計画についてヨーロッパ側が共同で必要額や計画をまとめることを求めた。
つまり、ヨーロッパ諸国自身が協力して復興計画を作り、アメリカがそれを支援するという構造が示された。
この演説が、後の マーシャル・プラン の出発点となる。

ヨーロッパ側の共同計画

マーシャル演説を受け、ヨーロッパ諸国は復興計画の策定に動いた。
1947年7月、パリで欧州経済協力会議が開催される。
参加国は、ヨーロッパ全体として必要となる食料、燃料、設備、原材料などを検討し、この協力体制は、翌年の OEEC 設立へつながっていく。

ソ連も対象だった

マーシャル・プラン は当初から西ヨーロッパだけに限定して提示されたものではなく、ソビエト連邦や東欧諸国にも参加の可能性が存在した。

しかしソ連は、各国の経済情報や復興計画を共同で調整する仕組みなどを受け入れず、協議から離脱、東欧諸国の参加にも反対した。
チェコスロバキアなど、一度は参加に関心を示した国も最終的には参加しなかった。

1948年 マーシャル・プラン開始

1948年4月、アメリカで Economic Cooperation Act( 経済協力法 )が成立、これによって European Recovery Program マーシャル・プラン が正式に開始された。

援助の実施を担当するため、アメリカには
Economic Cooperation Administration|ECA が設置された。
計画には西ヨーロッパ諸国を中心とする16か国が参加した。
その後、西ドイツも援助対象に加わる。

マーシャル・プラン は1948年から1952年まで実施され、アメリカからヨーロッパへ約130億ドル規模の援助が提供された。

何が提供されたのか

マーシャル・プラン の援助には、食料・燃料・石炭・工業原材料・機械・設備・輸送関連物資 などが含まれ、ヨーロッパ諸国がアメリカから必要な物資を輸入するための資金も提供された。

つまり目的は、生産設備を再稼働させ、経済循環そのものを回復させることにあり、工場が動けば生産が増え、輸送網が動けば商品が流れる。
貿易が回復すれば各国経済が再び接続される。
マーシャル・プラン は、こうした連鎖を再始動させるための復興政策であった。

援助と「見返り資金」

マーシャル・プラン には特徴的な仕組みもあった。
アメリカから提供された物資が各国内で販売されると、その代金は各国の通貨で積み立てられた。

これが Counterpart Funds( 見返り資金 )である。
見返り資金は、各国政府の復興投資や経済安定政策などに利用された。
マーシャル・プラン は、国内経済の再建にも資金を循環させる仕組みを持っていた。

OEECの設立

1948年4月16日、マーシャル・プラン 参加国は、Organisation for European Economic Co-operation|OEEC 欧州経済協力機構 を設立、OEEC の役割は、アメリカからの援助を受け取り、各国の復興計画を調整
などについて協議した。

ここでヨーロッパ諸国は、復興という共通課題を通じて、経済政策を国家間で継続的に調整する仕組みを持つようになった。
OEEC は後に役割を変え、1961年、OECD へ発展する。
マーシャル・プラン は、現在の OECD へつながる制度的な起点の一つでもある。

ヨーロッパ域内貿易

OEEC では貿易障壁の削減が進められ、1950年には European Payments Union|EPU 欧州決済同盟 が成立した。

各国間の貿易決済を多国間で処理することで、限られたドルを使わずに欧州域内貿易を拡大しやすくする仕組みだった。
マーシャル・プラン による復興は、物資援助だけではなく、ヨーロッパ域内の経済活動を再接続する制度とも結びついていた。

経済復興

マーシャル・プラン 実施期間中、西ヨーロッパの工業・農業生産は大きく回復したが、これは各国自身の復興政策、労働力、設備投資、制度改革、戦後需要など、複数の要因が同時に作用していたものによる。

マーシャル・プラン が果たした重要な役割は、必要な物資と外貨を供給し、復興初期の制約を緩和したことそして、国家間の経済協力を促進したこと
にあり、援助そのものと、それを運用するために形成された国際協力制度の双方が、戦後復興に接続した。

冷戦との接続

マーシャル・プラン は経済復興政策である。
同時に、その実施時期は 冷戦形成期 と完全に重なっている。
アメリカは、西ヨーロッパの政治・経済的安定を安全保障上も重要と考えており、経済的混乱が続けば、政治的不安定が拡大する可能性がある。
そのため マーシャル・プラン は、ヨーロッパ復興政策であると同時に、
形成されつつあった西側国際秩序の経済的基盤とも接続していった。

東側 - COMECON

西ヨーロッパで マーシャル・プラン と OEEC による経済協力が進む一方、ソ連を中心とする東側諸国では別の経済協力体制が形成された。
1949年、Council for Mutual Economic Assistance|COMECON 経済相互援助会議 が設立された。
ソ連、ブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアなどが参加、その後、加盟国は拡大する。

西側 : Marshall Plan → OEEC
東側 : Soviet Bloc → COMECON

政治・軍事だけでなく、経済制度にも冷戦の東西分断が現れた。

西側 : Marshall Plan → OEEC東側 : Soviet Bloc → COMECON

1952年 計画終了

マーシャル・プラン は恒久的な援助制度として作られたものではない。
1948年から約4年間実施され、1952年に終了した。
しかし、OEECは存続した。

そしてヨーロッパ経済が復興すると、OEECの役割も、復興援助の調整から、経済成長・貿易・政策協力へ変化していく。

1960年、OECD条約が署名される。
1961年、OEEC は OECD Organisation for Economic Co-operation and Development へ発展した。
戦後復興のために作られた協力機構が、恒常的な 国際経済協力機関 へ変わったのである。

マーシャル・プランが残したもの

マーシャル・プラン はアメリカによる大規模な復興援助であると同時に、ヨーロッパ諸国自身が共同で経済復興を設計する仕組みを促した。

そこから OEEC が生まれ、そして OECD へつながった。
戦争によって分断・破壊された経済を再び接続するために作られた制度が、その後の国際経済協力の一部として残っていったのである。

Archive Point

マーシャル・プラン は、第二次世界大戦 で疲弊したヨーロッパへアメリカが大規模な経済援助を行った欧州復興計画である。

援助を受けるヨーロッパ諸国に共同で復興計画を作ることを求め、その過程から OEEC という国家間経済協力の仕組みが形成された。
戦後復興、欧州経済協力、そして 冷戦初期 の西側国際秩序。
マーシャル・プラン は、それらが接続した場所に位置している。


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