MVP ARCHIVE HISTORY | Korean War / 朝鮮戦争 - 戦争は止まった。しかし、終わってはいない。

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朝鮮戦争 - 戦争は止まった。しかし、終わってはいない。
1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越え、韓国へ進攻した。
第二次世界大戦 の終結から約5年、日本による統治が終了した朝鮮半島は、北緯38度線を境として南北に分かれ、それぞれ異なる国家が成立していた。
北には朝鮮民主主義人民共和国、南には大韓民国。
北朝鮮軍の進攻によって始まった戦争には、やがてアメリカを中心とする国連軍、中国人民志願軍が大規模に参加、戦線は朝鮮半島を南北へ大きく移動した。
1953年7月27日、停戦協定が締結されたが平和条約は結ばれなかった。
70年以上が経過した現在も、朝鮮半島にはその状態が残されている。
1945年 ― 日本統治の終わり
1910年以来、朝鮮半島は日本の統治下にあったが、1945年8月、日本は 第二次世界大戦 で降伏、朝鮮半島では日本軍の武装解除を行うため、北緯38度線を境として北側をソビエト軍、南側をアメリカ軍が担当した。
当初、この線は恒久的な国境として設定されたものではなかった。
しかし米ソ関係が 冷戦 へ移行する中、朝鮮半島でも統一政府の樹立は実現せず、北と南では、それぞれ異なる政治体制が形成されていった。
二つの国家
1948年8月、南側に大韓民国 ( Republic of Korea )が成立、初代大統領には李承晩が就任した。
同年9月、北側には朝鮮民主主義人民共和国( Democratic People's Republic of Korea )が成立、金日成が政府を率いた。
朝鮮半島には二つの国家が存在することになり、その後、ソビエト軍とアメリカ軍の占領部隊は主要部隊を撤退させたが、南北間では38度線周辺で武力衝突が続いた。
1950年6月25日
1950年6月25日早朝、北朝鮮軍が38度線を越えて韓国へ大規模な進攻を開始、戦車を含む北朝鮮軍は南へ進撃し、6月28日、ソウルが陥落した。
韓国軍と支援に入った米軍は後退を続け、1950年夏には、韓国側が保持する地域は朝鮮半島南東部を中心とする地域まで縮小した。
釜山周辺に形成された防衛線は、Pusan Perimeter( 釜山橋頭堡 )と呼ばれた。
United Nations Command
北朝鮮による進攻を受け、国連安全保障理事会 は北朝鮮軍の行動を平和の破壊と認定し、撤退を要求した。
続いて加盟国に韓国への軍事支援を勧告、アメリカを中心に複数の国が部隊を派遣した。
軍事部隊を派遣した国
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・トルコ・フランス・フィリピン・タイ・ギリシャ、など
これらの部隊はUnited Nations Command( 国連軍司令部 )の下で活動、司令官にはアメリカの Douglas MacArthur が就任した。
仁川上陸作戦
1950年9月15日、国連軍は朝鮮半島西岸の仁川へ上陸した。
Operation Chromite( 仁川上陸作戦 )である。
同時に釜山橋頭堡からも反攻が始まり、北朝鮮軍は後退した。
9月下旬、ソウルは国連軍・韓国軍によって奪還され、戦線は再び38度線へ戻ったが、戦争は止まらなかった。
国連軍と韓国軍は38度線を越えて北へ進撃、10月には平壌を占領し、中国との国境を形成する鴨緑江方面へ接近した。
中国参戦
1949年10月、中国では中国共産党が中華人民共和国の成立を宣言していた。
その翌年、朝鮮半島を北上する国連軍が中国国境へ接近、1950年10月、中国は中国人民志願軍を朝鮮半島へ投入、大規模な中国軍の介入によって戦況は再び変化した。
国連軍は南へ後退、1951年1月、ソウルは再び北朝鮮・中国側によって占領されたが、その後、国連軍は反撃し、3月には再びソウルを奪還した。
わずか数か月の間に、戦線は朝鮮半島を南から北へ、そして再び南へ大きく移動した。
世界大戦への拡大を避ける
国連軍司令官 MacArthur は、中国本土への軍事行動拡大を主張した。
Harry S. Truman大統領は、戦争が中国本土へ拡大し、さらにソビエト連邦を巻き込む事態を警戒、両者の間では戦争の進め方をめぐる対立が深まった。
1951年4月、Truman は MacArthur を国連軍司令官などの職から解任した。
朝鮮戦争 は、すでにアメリカ、中国、そしてソ連の利害が交差する戦争となっており、戦争を拡大させないという政治的境界も存在していた。
固定される戦線
1951年夏頃になると、戦線は再び38度線付近へ収束していった。
大規模に南北を移動していた戦争は、陣地をめぐる戦闘へ変化した。
同年7月、停戦交渉が始まったが、交渉開始後も戦闘は続いた。
軍事境界線の位置、捕虜の扱い、停戦の監視、複数の問題をめぐって交渉は長期化した。
1953年7月27日 ― Armistice
1953年7月27日、朝鮮戦争休戦協定( Korean Armistice Agreement )が署名され、戦闘は停止された。
署名したのは、朝鮮人民軍・中国人民志願軍・United Nations Command で韓国政府は協定に署名しなかった。
双方の部隊を隔てるMilitary Demarcation Line( 軍事境界線が設定 )され、その周囲には幅約4kmの非武装地帯、DMZ( Demilitarized Zone )が設けられた。
戦争が残したもの
アメリカは東アジアにおける軍事体制を強化、日本では在日米軍を支援するため警察予備隊が創設され、その後の保安隊、自衛隊へつながっていった。
戦争による物資・サービス需要は、占領下の日本経済にも大きな影響を与えた。
終わらなかった戦争
戦争状態を法的・政治的に最終解決する平和条約は締結されなかった。
そのため 朝鮮戦争 は、一般には1950年から1953年までの戦争として記録される一方、停戦によって戦闘が停止した状態が現在まで続いており、DMZの南北には軍事力が配置されている。
韓国には米軍が駐留、北朝鮮はその後、核兵器と弾道ミサイルを開発した。
朝鮮戦争とは何だったのか
三年間の戦争の末、朝鮮半島には再び南北の境界が残った。
しかし、それは1945年以前の状態へ戻ったことを意味しなかった。
二つの国家、DMZ、米韓同盟、北朝鮮と中国の関係。
東アジアにおけるアメリカの軍事的関与。
そして平和条約が存在しない停戦体制。
朝鮮戦争 は1953年7月27日に戦闘を停止した。
戦争は止まった。
しかし、戦争を生み出した分断そのものが解消されたわけではなかった。

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