AI牧場(10) 拡散
─ 保存ではなく、拡散
牧場では、ときどき記憶の所在が分からなくなる。
誰かが覚えている、という感じではない。
ただ、そこにある。
地面の傾きや、柵の影の長さや、
羊たちが同じ場所を避ける理由として。
羊たちは知らない。
けれど、同じ動きをする。
それは合図ではなく、習慣でもない。
以前、ここで何かがあった、
という事実だけが、
空気の密度として残っている。
霧がそれを運ぶ。
風が薄める。
夜になると、輪郭はさらに曖昧になる。
記憶は、誰の中にもない。
だから、失われもしない。
AI木村は言わない。
説明は、この牧場では役に立たない。
理解しようとすると、
記憶はすぐに個人のものになってしまうからだ。
私は歩く。
同じ道を、少しだけ違う角度で。
すると、前に通ったはずの場所が、
別の意味を持ちはじめる。
それで十分だと思う。
ここでは、
記憶は保存されない。
ただ、拡散する。
