押入れタイムカプセル(007)
『満洲日日新聞』からの督促状
消印は昭和15年(1940年)5月13日、差出人は「満洲日日新聞社」、宛先は三浦郡三崎町花暮の私の祖父の次弟で私の大叔父のY。
昭和15年といえば日本が日中戦争のさなかにあり、国内では戦時体制が急速に強化されていた時代。彼は当時「満洲国」の地に勤務していました。
🏢 満洲から届いた督促
この封書は満洲国の中心都市・奉天(現在の中国瀋陽市)から発送されています。差出人は「株式会社 満洲日日新聞社 販賣部」。
封筒の裏面には「康徳七年五月拾貳日」とあります。

康徳七年は満洲国の紀年法で昭和15年、西暦1940年5月12日になります。
同封されていたのは:🧾 納入通知票と領収証 と 💴 購読料明細通知書
要するに満洲日日新聞の購読に関する「支払督促」です。
📄 購読料は「1円35銭」

通知書には購読料の詳細が記されています:
一箇月 郵税共:金 壹圓三拾五錢 (=1ヵ月1円35銭)
三箇月 同:金 四圓 (=3ヵ月4円)
六箇月 同:金 七圓八拾錢 (=6ヵ月7円80銭)
一箇年 同:金 拾四圓九拾錢 (=1ヵ年14円90銭)
大叔父Yは少なくとも1940年春の時点で三崎町に新聞を転送購読していた、あるいは親族宛に新聞を届けさせていた可能性があります。(手元に残っている満州日日新聞は1枚だけですが)
🧳 満洲に生きた若者の痕跡
この通知書が届いた頃、大叔父Yは20代後半。満洲国熱河省承徳で働いていました。残された多数の書簡や写真からもそれは確認できます。
新聞の購読は、そんな彼の「ささやかな日常」の一部だったのでしょう。地元の家族に対する情報提供として、わざわざ三崎に届けていた可能性もあります。
これはただの「新聞購読の請求書」ですが、その発行地が満洲国であり、宛先が神奈川県の小さな町であることによって、紙一枚が途端に歴史の証言者になります。
大叔父Yは1942年、30歳ほどの若さで満洲にて病没しています。戦地には赴かず、満州国の公務員として短い生涯を閉じました。そんな彼が生きていたことを80年以上の時を経て、この請求書は静かに伝えてくれます。
