10|『注意力の逃走劇』🎯
『深層行動SF 脳の地形図』(全22話のもくじへ)
— 集中できない日は脳の“逃げ足”が速いだけ
今日は集中できない。
机に向かっても、文字が水のように形を変えて流れていく。
その瞬間、私は見た。
机の上から、ひとつの小さな影が飛び出すのを。
“注意力”が、逃げた。
影は小さくて軽やかで、
まるで猫のようにページの隙間をすり抜けた。
「待て!」
追いかける私に、影は振り向きもせず走り続ける。
やがて影は、静かな白い廊下へ滑り込んだ。
そこは“脳内タスク回廊”と呼ばれる場所だった。
すると、頭上から声がした。
「今日は無理に捕まえない方がいいですよ。」
薄い光の粒が集まり、ガイドのような存在が姿を現した。
「集中したいのに、逃げられたんだよ。」
「注意力は“逃げるとき”が一番賢いのです。
今のあなたには負荷が高すぎる、というサインですから。」
廊下の壁にはタスクが貼られ、
そのいくつかは赤く点滅していた。
負荷が高いタスクほど、注意力は近づこうとしない。
「ほら、あそこに。
“やらなきゃ”と思っているタスクほど、
注意力は逃げ足が速くなります。」
影の注意力は、赤いタスクの前で急旋回し、
反対側の青いタスクへ駆けていった。
軽く触れた瞬間、青いタスクはふわっと明るくなる。
「あなたが本当に今扱えるのは、あの“青”の方ですよ。」
私は苦笑した。
確かに今日は、重い作業より軽い作業のほうが向いている。
「つまり、逃げるのは悪いことじゃない?」
「いいえ。
逃げる“判断”も、脳の高度なタスク管理能力です。
壊れる前に回避する。
それが生き残りの仕組みです。」
影の注意力がこちらを見た。
まるで「こっちだよ」と誘うように。
私はその小さな影の後ろをついていった。
向かった先は、青く静かなスペースだった。
「今日はここが“最適解”です。」
注意力はそこに腰を下ろし、ようやく私の上に戻ってきた。
集中できない日ではなかった。
集中すべき場所が違う日だったのだ。
11|感情フィルター整備工場 に進む
09|思考のショートカット廊下 に戻る
