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押入れタイムカプセル(002)1940/1/5

一歳で亡くなった子への悔やみ

──曾祖母の義妹より

昭和15年(1940年)1月5日付のはがき。
差出人は曾祖母の義妹。消印は東京・中野。宛先は神奈川県三浦郡三崎町花暮に暮らしていた曾祖父宛です。

落合家で起きた幼い男児の死、筆者の父の弟にあたる子供が、わずか生後半年で急逝したという報せに対する悔やみの言葉を綴ったものです。


はがきの全文(解読)


1940年1月5日記


附記:登場人物の関係について

  • 宛先の私の曾祖父は大正から昭和にかけて三崎で商家を営んでいた家長。

  • S(曾祖父の四男)は、当時21歳の陸軍士官学校生もしくは卒業直後の青年で、軍人としての道を歩み始めていた時期。

  • 亡くなった赤子は筆者の父の末弟(当時)。1939年夏に生まれたものの、年の瀬に急逝。筆者にとっての叔父にあたる。

  • 差出人は曾祖母の弟の妻。東京・中野に暮らしていたと見られる。

文中にある「丁度主人も閣下のお伴して上京中にて」から曾祖母の弟が当時、高位軍人(閣下)に随行する立場にあったことが分かります。彼は昭和8年(1933年)時点で少佐であったこと、1945年8月の終戦時には中将に昇進していたから、1940年当時はおそらく大佐クラスで、軍司令官や皇族軍人の随行として上京していたものと思われます。

「閣下」は断定はできませんが、三笠宮崇仁親王のような皇族軍人、あるいは当時の陸軍省高官などが考えられます。


1940年1月5日 消印:中野

静かな祈りのような私信

「御写真拝見いたしましては、こんなに肥っていらした御子様がまさかとは――」という一節に、心からの驚きと悲しみがにじみます。言葉少なながらも、死を悼む真摯な気持ちが伝わってくる手紙です。

戦時色が徐々に濃くなりつつある昭和15年の新年。子を失った身内に寄り添う静かで温かい気持ちが伝わる手紙です。これは単なる家族の記録ですが100年後の誰かにとって、こんな葉書一通が時代の空気を感じる入り口になるかもしれない。そう思って書き留めておきます。

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