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押入れタイムカプセル(005)1922年秋

📮 投函されなかった絵葉書が語る100年前

🖼 表面:摂政宮の馬車と明治神宮参拝

TOP画像は摂政宮(後の昭和天皇)が明治神宮を参拝された際の様子を捉えた絵葉書の一部です。左下の英語「JINGUKYO」は現在も原宿駅近くにある神宮橋でしょう。右側は右から左読みで「摂政宮殿下御参拝 神宮橋山通御」です。

文末にある「山通御(やまどおりぎょ)」とは、摂政宮殿下が神宮橋を渡ったのち、山側の特別な参道を通られて明治神宮へ向かわれたことを示していると考えられます。

この神宮橋は明治神宮創建に伴って整備された表参道の要所で、当時の馬車行列が実際に通った場所でもあります。ただ、この「山通御」とされた道が、現在のどの経路に相当するのか、また、それが公式に記録された特別ルートだったのかについては分かりませんでした。

参考までに山手線の原宿駅は1906年(明治39年)に原宿仮停車場として開業し、1909年(明治42年)に正式駅化しています。1922年当時には木造駅舎が現在の「明治神宮口」に近い位置にあったようです。


✉ 裏面の文面 差出人:私の祖父(12歳頃)

神奈川県三浦郡三崎町
石〇〇〇様方 〇〇〇蔵君へ

東京市外上渋谷一一九番地 〇〇〇〇〇方
落合〇〇 出
君は丈夫で通学しているかね。
私は丈夫で通学しているよ。
この間、北下浦の運動会に行って
優勝旗を取ったそうだね。
其の時は実に見事だったろうね。
徒競走に行った者は誰などだか、知らせてくれ。待っているよ。
サヨナラ
私の学校はヒロシちゃんの学校から
一里位しか離れていないよ。

🧭 この葉書には消印がありませんが、いくつかの手がかりから1922年(大正11年)秋頃に書かれたものと推定できます。

【1】摂政宮時代の明治神宮参拝絵葉書

  • 昭和天皇が摂政宮を務めたのは1921年から1926年まで。

  • 明治神宮は1920年創建。参拝風景を描いたこの絵葉書は1921~23年頃の商業ポストカードと見られます。

【2】文面に出てくる「北下浦の運動会」

  • 大正期の小学校の運動会は10月中旬〜11月初旬が一般的。

  • 農繁期を避け、気候が穏やかな秋に開催されており三浦半島の温暖な地域では11月開催も珍しくなかったと考えられます。

【3】差出人の状況

  • 祖父は関東大震災を東京市で被災。故郷・三崎に戻りましたが、この葉書はその前の時期に書かれたものと見られます。しかし、この葉書は宛名も文面も整っているのに、なぜか投函されなかった。帰郷の準備に追われるうちに、出し忘れたのでしょうか。いずれにせよ宛て名の主には届かず実家の押入れの奥へ。家族の記憶と共に眠ることになったのです。


🌱 子どもたちの名前と距離感

追伸部分は読みにくいですが「〇〇〇チャンの学校から一里しか離れていないよ」という人懐っこい言い回し。「知らせてくれ。待っているよ」という旧友への素朴な問いかけにも親しみやすさを感じます。遠く離れていても、自分の学校と故郷のまわりの世界を地続きのように感じていた。そんな少年の感覚が、数行の言葉に詰まっているように思えます。


人名や住所などを一部黒塗りにすることがあるのは、場合によって今も関係者の御子孫が同一地域に暮らしていることもあり得るためです。他愛ない内容であっても個人情報はネットに公開しない方が良いと考えます。

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