除酵祭の法理 第2回:ミシュナ『Pesachim』に基づく仕事(melachah)禁止・発酵・過越の食事内容の厳密な定義
*ユダヤ教の最高権威であるトーラ(モーセ五書)と口伝律法『ミシュナ』の記述から「除酵祭」の真の姿を解き明かすシリーズ2回目。
今回は「聖なる集会」における仕事(melachah:メラハー)禁止の境界線、matzah(マッツァ:種なしパン)における発酵の微細な判定基準、そして過越の食事における「二つの皿」が象徴する神殿奉仕の記憶を網羅。
インターネット上の形骸化した解説を一掃し、2,000年前の「律法の現場」を現代の日本語圏に鮮やかに蘇らせます。
前回の振り返り:過越祭の定義といけにえの意図
前回は以下の内容を確認した。
【1】過越祭と除酵祭の定義
両者は次のように区別された。
過越祭:ニサンの月の14日の午後、いけにえを屠るところから始まり、その夜の食事までを指す。
除酵祭: その後7日間続く、酵母を入れないパンを食べる祭りの期間を指す。
【2】酵母(chametz:ハメツ)の捜索と廃棄
14日の夜、ろうそくの光を用いて家族で捜索を行う。
夜が明けて14日の正午(第6時)が、酵母を焼却して完全に廃棄する最終の時間となる。
【3】いけにえの奉仕と「保持禁止」の掟
いけにえを献げる際、酵母を保持していることは厳格に禁じられている。
過越のいけにえを屠る時、あるいはその前の午後の日毎の献げ物(tamid:タミッド)の時点で、すでに酵母を保持していてはならない。
【4】奉仕の4過程
屠殺(shechitah:シェヒター)、血を受ける(kabbalah:カバラー)、運ぶ(holachah:ホラーハー)、振りかける(zerikah:ゼリカー)という4つの枢要な奉仕過程がある。これらの奉仕はavodah(アヴォダー)と呼ばれた。
【5】「意図」の法理性
多くの種類のいけにえは、本来の意図と異なる意図で屠られても「有効」と見なされ、祭儀は続けられる。しかし所有者の義務を果たしたことにはならない。
過越のいけにえ(および贖罪の献げ物)は例外であり、意図が誤っていた場合は祭儀も止められ、献げ物自体が無効となる。
そこでもし意図を誤って過越のいけにえが無効になった場合、その瞬間に「酵母を保持しながら過越のいけにえを屠る」という禁止命令への違反も成立しなくなる。
これらの内容について不安のある方は、以下のリンクから確認して欲しい。
◉除酵祭の法理 第1回:酵母(chametz:ハメツ)の捜索規定と過越のいけにえにおける「意図」の無効性
https://note.com/mishnah/n/ndf779619f2ee
今回は出エジプト記12章続きである。該当箇所を再掲する。
16最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。
「聖なる集会(mikra kodesh)」の法理:melachah禁止の例外規定
ここではまず「聖なる集会」について解説する。原語では「mikra kodesh」であり、「聖なるものとして呼ばれたもの」くらいの感じである。
この部分を逐語訳すると、「初日においては聖なるものとして呼ばれたものである」という、主語を欠いたちぐはぐな文章になる。この辺りの文法的な事情は私も分からない。
話を戻すが、翻訳では「集会」という語が当てられているので、シナゴーグに集まって礼拝するとか、特定の目的の為の集まりを想像するが、実際はそうではない。
前回見た通り、ニサンの月の14日の午後から過越祭が始まり、その後除酵祭が続く。神殿では献げ物が献げられ、人々はトーラの掟に従って会食する。
こういった光景全般で、特に除酵祭の1日目と7日目が「聖なるものとして呼ばれたもの」である。この両日はyom tov(ヨム・トーヴ)と呼ばれる。
これに対して第2日目から6日目はChol HaMoed(ホル・ハモエド)と呼ばれる。
yom tovは安息日と同様、39のmelachahを始め、全ての創造的な活動が禁止される。ただし、食事の準備だけは可能である。それが上記引用のトーラで明記されている。
16最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。
yom tov、Chol HaMoedについては以前の記事で決定版を公開している。あやふやな方はそちらから確認して欲しい。
◉Chol HaMoedについて――ミシュナ『Moed Katan(モエド・カタン)』から読み解く、認められない労働の境界線
https://note.com/mishnah/n/nee6fe580a83d
matzah(マッツァ:種なしパン)の定義と穀物の特定
次に種なしパン(matzah:マッツァ)について解説する。出エジプト記12章には次のように書かれている。
正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。
これについて口伝律法ミシュナ「Pesachim」2章には次のように書かれている。
これらのものの穀物が、過越において務めを果たしたものと見なされる。小麦、大麦、スペルト、ライ、オート。
matzahは文中の5つの材料以外のものから作ることは認められない。次に作る過程における注意について見ることにする。
発酵の法的境界線:karet(断絶)を分ける微細な兆候
部分的に発酵した生地は焼かなくてはならない。しかしそれを食べても免責される。筋のついた生地は焼かなくてならない。それを食べる者はkaretについて有責である。
どのパン生地が部分的に発酵したと言えるのだろうか?いなごの角のような筋が出来たものである。筋が出来るとはどのようなことであろうか?互いにぶつかる程出来たものである。―これらはラビ・ユダの言葉である。
しかしラビたちは言う、「もし誰かがこれらのもののどれかを食べるなら、karetになる。もしそうなら、どのようなものが『部分的に発酵した』ものになるのだろうか?その表面が青白くなったものである、驚いた男の表情がそうなるように。」
まず最初の文章「部分的に発酵した生地は焼かなくてはならない。しかしそれを食べても免責される」とは、発酵過程が始まってしまったことを言っている。それは焼いて廃棄しなくてはならない。
しかしもしも食べてしまっても、鞭打ちやkaret(カレート)にはならない。karet(カレート)とは、トーラで「民から断たれる」と警告されている罰であり、天の与えるものである。地上の罰則ではない。
karetについては、以下のリンクから確認出来る。
◉死者の汚れ(tumat met:トゥマット・メット)完全解説――民数記19章とミシュナに見る「汚れの階層」と清めのパラドックス
https://note.com/mishnah/n/n2dfad7d28375#a077899f-9005-44a6-84af-f807168ecfda
次の「筋のついた生地は焼かなくてならない。それを食べる者はkaretについて有責である」について、まず「筋がついている」ことは、発酵過程が完了したものと見なされる。従ってそれを食べる者はトーラにある通り、天によって「民から断たれる」。
酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。
この「寄留者」は改宗者のことである。
2段落目の「どのパン生地が部分的に発酵したと言えるのだろうか?・・・出来たものである」の箇所は「部分的な発酵」のしるしと、「完全に発酵した」しるしについて述べたものである。
以上の見解はラビ・ユダのものである。これに対して、他のラビたちはより厳しい立場になっている。
ラビたちは「もし誰かがこれらのもののどれかを食べるなら、karetになる」と述べており、ラビ・ユダの定義では部分的な発酵とされるものでも、免責されないことを主張する。
ラビたちは「筋で出来る前」であっても、記事の色が青白く変色した段階において、既にmatzahとしては使えないとする。しかしそれを食べても有責ではない。それが「どのようなものが『部分的に発酵した』ものになるのだろうか?その表面が青白くなったものである、驚いた男の表情がそうなるように」の意味である。
つまり、ラビ・ユダと他のラビたちでは、部分的な発酵の定義が異なる。
以上で食事前までの説明を終わりにする。これからいよいよ過越の食事そのものに入る。まずは「Pesachim」10章2節から。
過越の食事(seder:セデル)の作法:自由人の杯と祝福の順序
彼らは彼に最初の杯を注ぐ。Beit Shammaiは言う、「彼はその日について祝福を唱え、それからぶどう酒に祝福を唱える 。」
しかしBeit Hillelは言う、「彼はぶどう酒について祝福を唱え、それからその日について祝福を唱える。」
まず「彼らは彼に最初の杯を注ぐ」とある。過越の食事を取り仕切る家長は自分の杯に自分で注がない。
下の記事で見た通り、この日は全てのユダヤ教徒が4つの杯を飲む。それぞれ少なくとも3オンス(86ml)注ぐ。
不安な方は下のリンクから確認して欲しい。
◉過越祭の法理第2回:不適格な肉の焼却規定(notar:ノタール)と「自由人」としての食事作法
https://note.com/mishnah/n/nd2ca7221d46a
この最初の杯に祝福(Kiddush:キッドゥーシュ)を唱える。Kiddushは2つの部分から成っており、1つは杯の祝福、もう1つは出エジプトの行われたこの日の祝福である。
この点、Beit Shammai(ベイト・シャンマイ)とBeit Hillel(ベイト・ヒレル)という2つの学派は、どちらのパートを先に唱えるべきか異なる主張をしている。しかしここでは深入りしない。
Kiddushを唱えた後、手を洗う。手洗いについても以前の記事でまとめたので、不安な方はそちらから確認して欲しい。
◉なぜ聖書にない「手洗い」で弟子は責められたのか?――旧約聖書の掟と伝統の絡む迷宮を解き明かす
https://note.com/mishnah/n/nebef2767e821#c15ac67e-b2ff-4ea8-8739-1435952c6dbf
次節に進む。次のように書かれている。
食卓の品目と神殿奉仕:いけにえとchagigah(ハギガー)の象徴性
それから、彼らは彼の前にそれを持って来る 。彼はドレッシングにレタスをつけて食べる 、matzahに対して2次的なものよりも前に。彼らは彼の前にmatzah、レタス、charoset、2つの皿 を持って来る。charosetは掟ではない。
ラビ・エリエゼル・バル・ツァドクは言う、「浸すことは掟である」。
神殿時代においては、過越のいけにえを持って来る。」
ここで持って来られるのは、以下のとおりである。
①matzah(マッツァ)
種なしパンである。
②レタス(ハゼレット):苦菜(maror:マロール)として用いられる。
③charoset(ハロセット):果物やナッツを練ったもの。
④2つの皿:伝統的には、1つは「過越のいけにえ」、もう1つは「chagigah(ハギガー)」を象徴する肉料理。
過越の食事のメニューに関して、トーラでは次のように書かれていた。
そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
従って、上記の内「①matzah、②レタス」はトーラで命じられている掟になる。この点、③については「charosetは掟ではない」と本文に書かれている通りである。
charosetが過越の食事に入れられるようになったのは、ドロドロとした質感と色であるので、先祖がエジプトで酷使された際のレンガ作りを象徴しているからとされる。
最後の④が少し難しいだろう。「過越のいけにえ」については、いけにえの肉(後代ではその記憶の為の骨)、「chagigah(ハギガー)」とはトーラの次の箇所を満たすものである。
14あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。 15あなたは除酵祭を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。
この内、「何も持たずにわたしの前に出てはならない」とは、具体的には焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を献げることを言っている。
焼き尽くす献げ物には食べる部分は無い。しかし和解の献げ物においては、所有者とその一家、客人が食べる部分がある。それがここで「chagigah(ハギガー)」と呼ばれているものである。
よって過越の食事のメニューは、以下の通りになる。
①matzah(マッツァ)
②レタス:苦菜(maror:マロール)として用いられる。
③charoset(ハロセット):トーラには書かれていないが、エジプトにおける奴隷生活の記憶として。
④2つの皿:1つは「過越のいけにえの肉」、もう1つは「chagigah(ハギガー)」という和解の献げ物の肉。トーラによるもの。
今回の解説は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉三大祭りの法理学全説:トーラとミシュナから復元する過越祭・除酵祭(Pesach:ペサハ)、七週祭(Shavuot:シャヴオット)、仮庵祭(Succot:スコット)(全18記事・完結)
https://note.com/mishnah/n/n8fa728c36e30
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
