温故知新(115)サハラの目(リシャット構造) ホルスの目(ウアジェトの目) ストーンヘンジ アルメンドレスのクロムレック 聖ミカエルの山 南極ピラミッド 大湯環状列石 鷲ノ木遺跡 ブルニケルの洞窟 備前車塚古墳 クサール・ヌアイラ マラケシュ タルテッソス ミステリーサークル アンティキティラ島の機械
サハラの目(リシャット構造)と環状列石(ストーンサークル)
モーリタニアの中央部に「サハラの目」とも呼ばれるリシャット構造(Richat Structure)があり、プラトンの記した「アトランティス」の都市に形が似ているといわれています。しかし、リシャット構造は、地質学的な構造で長年の風化や浸食によって形成されたことがわかっています。
ストーンヘンジとリシャット構造を結ぶラインは、30万年以上前の現生人類的な化石が見つかっているジェベル・イルード遺跡(Grotte ighoud)の近くを通り、リシャット構造と聖ミカエルの山を結ぶラインは、アトランティスと関係があると推定されるスス・マサ・エコミュゼ国立公園やアルメンドレスのクロムレックの近くを通ります(図1)。

アルメンドレスのクロムレックと「南極ピラミッド」を結ぶラインは、リシャット構造の近くを通ります(図2、3)。これらのラインから、リシャット構造は、レイラインの指標となっていると推定されます。


聖ミカエルは「南極ピラミッド」と関係があると推定されるので、元は聖ミカエルの山と「南極ピラミッド」を結ぶライン上にリシャット構造があり、アトラス山脈を造ったプレートの衝突で南東方向に移動したのかもしれません。
「南極ピラミッド」は、サッカラともつながっているので、「南極ピラミッド」とつながっているリシャット構造は、エジプト神話のホルス神の左目である「ウアジェトの目」とみなされたのかもしれません。
エジプト神話では、ホルス神の左目である「ウアジェトの目」は、ホルス神が父オシリス神の仇であるセト神を討つ時に失われたが、(この左目はホルス神の下を離れ、エジプト全土を旅して知見を得た後、)知恵の神にして月の神・時の神であるトート神によって癒され(ホルス神の下に戻り)、回復した。そのため、「ウアジェトの目」は「全てを見通す知恵」や「癒し・修復・再生」の象徴(シンボル)とされた。またホルス神が癒された目を父オシリス神に捧げたというエピソードから、供物の象徴(シンボル)ともされた。
リシャット構造と大湯環状列石(秋田県鹿角市)を結ぶラインは、「アトランティス」と関係があると推定されるクサール・ヌアイラ(図4、5)や、亀ヶ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)や小坂環状列石墳墓(秋田県鹿角郡小坂町)(図6)の近くを通ります。リシャット構造が「ウアジェトの目」とみなされたとすると、このラインは、縄文人がシュメール人と同様に目を強調していたことと整合します。図1、2、6のラインから、環状列石(ストーンサークル)は、リシャット構造と関係付けられていると推定されます。



リシャット構造と北海道内最大規模である環状列石のある鷲ノ木遺跡(北海道茅部郡森町)を結ぶラインは、約17万6000年前のストーンサークルが見つかっているブルニケルの洞窟(Bruniquel Cave)のあるフランスのブルニケルの近くを通ります(図7)。このラインは、環状列石(ストーンサークル)が、リシャット構造と関係付けられていると推定されることと整合します。

孝元天皇(大国主命 高倉下命)とリシャット構造
大国主命(孝元天皇と推定)には再生神話があり、孝元天皇はオシリスとみなされたと推定されますが、リシャット構造と高倉下命(孝元天皇と推定)を祀る高倉神社(和歌山県田辺市本宮町静川)を結ぶラインの近くには、岡山県英田郡西粟倉村にあるストーンサークル(ダルガ峰環状列石)、廣峯神社(兵庫県姫路市)、生石神社(兵庫県高砂市)があります(図8)。

孝元天皇(大国主命と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳とリシャット構造(Richat Structure)を結ぶラインの近くには、魔法宮 火雷神社(岡山県加賀郡吉備中央町)、星神社(新見市)、金持神社(鳥取県日野郡日野町)、華蔵寺(松江市)があります(図9)。

リシャット構造が、オシリスとみなされたと推定される孝元天皇(高倉下命と推定)と関係付けられていることは、リシャット構造がホルスの目(ウアジェトの目)とみなされたと推定されることと整合します。
アトランティスとリシャット構造
スペインのアンダルシア州にあるドニャーナ国立公園は、伝説によれば紀元前、この地域にはタルテッソス王国があったとされ、また、2009年より行われた調査によって伝説の都市アトランティスがこの地の湿地帯の下に眠っている、といった発表もあったようです(Wikipedia:ドニャーナ国立公園)。ドニャーナ国立公園とリシャット構造を結ぶラインの近くにマラケシュがあります(図10)。

スペイン・グアレーニャにある古代遺跡カサス・デル・トゥルヌエロ(Casas del Turunuelo)からは、紀元前5〜4世紀の人間の顔を表現した5つのレリーフが発見され、アトランティス伝説の起源の可能性があるともいわれています。カサス・デル・トゥルヌエロの近くに、紀元前550年頃のタルテッソス遺跡の中で最も保存状態が良いカンチョ・ロアノ(Cancho Roano)という遺跡があります(図11)。リチャード・フロイント(Richard A. Freund, 1955-2022)は、カンチョ・ロアノで発見された石碑には、プラトンのアトランティスの描写と一致する同心円の図像が描かれていると主張しました。
カンチョ・ロアノ(Cancho Roano)とリシャット構造(Richat Structure)を結ぶラインは、ドニャーナ国立公園やマラケシュの近くを通ります(図11)。リチャード・フロイントの説が正しいとすると、このラインは、プラトンの記した「アトランティス」の都市と一致する同心円を結んでいると考えられます。

ドナーニャ国立公園の湿地帯には、図11のラインの近くの2か所に同様なミステリーサークルが見つかっています(図12)。「アトランティス」の都市の構造や環状列石(ストーンサークル)やミステリーサークルは、ホルスの目(ウアジェトの目)とみなされたリシャット構造と関係付けられていると推定されます。

「アトランティス」は平原を山々が取り囲んでいたとされ、マラケシュ(図13)やクサール・ヌアイラ(図5)も、山に囲まれた平原にあるので、アトランティスの都市があったのかもしれません。また、同様に山に囲まれた邪馬台国(やまとのくに)も「アトランティス」と関係があるかもしれません。

約1万年前から5000年前頃にかけてのサハラ砂漠は「緑のサハラ」と呼ばれ、現在とは全く異なり、緑豊かな温暖で湿潤な気候でした。もしかすると、寒冷化により、南極大陸の都市から移動してきた「アトランティス人」が、マラケシュやクサール・ヌアイラに移動して都市をつくり、さらに砂漠化によって、サントリーニ島や日本列島などに移動して都市をつくったのかもしれません。
7000年前にリビアに暮らしていた人のミイラのゲノム解析の結果、この人々の系統は、サハラ以南やユーラシアの集団から、数千年にわたり遺伝的に隔絶されていたことがわかっています。
同心円構造と「アンティキティラ島の機械」
「古代の同心円構造」は「惑星の軌道」とも関係があるのではないかと推測し、これらを組み合わせて検索してみました。古代の同心円構造は、当時の人々が宇宙の秩序を理解しようとした初期の偉大な試みだったといわれています。「アンティキティラ島の機械」は、紀元前2世紀頃の古代ギリシャで作られた世界最古の機械式天文計算機ですが、前面の表示盤には2つの同心円状の目盛が刻まれています。機械の目的は、地上の観測者から見た天球に対する天体の位置を示すことで、設計者は天体運行の理論まで知っている必要はなかったようです。基礎となったと推定される天体計算式はバビロンで紀元前260年までには考案されていて、ギリシャに受け継がれたようです。「アンティキティラ島の機械」は、当時のギリシャ人が知り得た5惑星全ての位置を表せたとも推測されています。
