温故知新(84)日向三代(瓊瓊杵尊 孝元天皇(火折尊) 開化天皇(鵜草葺不合命)) 祇園天王磐座(日向石神社跡) スカラ・ブレイ 天王山古墳群 摩耶山 ヴェストラホルン山 高千穂神社 伊弉諾神宮 諏訪大社 宗像大社 日代宮 モン・サン・ミシェル
日向石神社と孝霊天皇
第13代成務天皇(倭建命と推定)の陵墓と推定される築山古墳(岡山県瀬戸内市長船町西須恵)の北にある、瀬戸内市長船町磯上に、巨大な磐座(祇園天王磐座)で知られる日向石神社跡(写真トップ、1)があります。

祇園天王磐座とスカラ・ブレイを結ぶラインは、熊山遺跡(赤磐市)の近くを通ります(図1)。このラインは、第7代孝霊天皇の陵墓と推定される鯉喰神社遺跡と有年八幡神社(兵庫県赤穂市)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に熊山遺跡があります(図1)。祇園天王磐座と鯉喰神社遺跡を結ぶラインの近くには、吉備津神社(岡山市北区)があり、有年八幡神社と祇園天王磐座を結ぶラインの近くには、荒神社・祇園神社・稲荷社(岡山県備前市木谷)があります(図1)。このラインは、鯉喰神社遺跡が第7代孝霊天皇の陵墓で、熊山遺跡が孝霊天皇(須佐之男命、牛頭天王と推定)と関係があると推定されることと整合します。

日向三代(瓊瓊杵尊)
京都市山科区の神明山には日向大神宮があり、岡山県の児島半島には日向山、倉敷市藤戸町天城に日向神社があります(図2)。日向大神宮と日向神社(倉敷市)を結ぶラインは、日向三代の瓊瓊杵尊の陵墓があると推定される天王山古墳群とヴェストラホルン山(Vestrahorn)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、フェロー諸島と天王山古墳群を結ぶラインは、三川山 蔵王大権現社(兵庫県美方郡香美町)や蓬莱山 普光寺(兵庫県加西市)の近くを通り、日向山と日向大神宮を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。

日向大神宮と日向神社(倉敷市)を結ぶラインは、摩耶山とヴェストラホルン山(Vestrahorn)を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、兵庫県丹波市にある柏原八幡宮や高座神社の近くを通ります(図3)。また、日向大神宮と日向山を結ぶラインは、摩耶山とフェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。これらのラインは、摩耶山が「日向の高千穂」と推定されることと整合します。

日向三代(孝元天皇)
日向三代の火折尊(彦火火出見尊、山幸彦、第8代孝元天皇と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳と日向神社を結ぶラインは、日向山とローマを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、須我神社(島根県雲南市)があります(図4)。

日向三代(開化天皇)
日向三代の鸕鶿草葺不合尊(第9代開化天皇と推定)の陵墓と推定される椿井大塚山古墳(京都府木津川市)と日向神社(倉敷市)を結ぶラインは、瓊瓊杵尊と丹生都比売命の墓があると推定される天王山古墳群(神戸市西区)の近くを通ります(図5)。椿井大塚山古墳とヴェストラホルン山を結ぶラインの近くには、東寺(京都市南区)や金閣寺(京都市北区)があり、このラインは、日向大神宮と日向神社(倉敷市)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。

高千穂神社と景行天皇
高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)の祭神の高千穂皇神は日向三代(瓊瓊杵尊、火折尊(山幸彦)、鵜草葺不合命)と配偶神の総称で、高千穂神社には、瓊瓊杵尊(饒速日命と推定)や三毛入野命も祀られています。高千穂神社、伊弉諾神宮、諏訪大社を結ぶレイラインが知られています。
高千穂神社と諏訪大社 上社 本宮(長野県諏訪市川町)を結ぶラインは、八幡大神と丹生都比売命にゆかりが深い江川丹生神社(和歌山県日高郡日高川町)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差し、交点付近に淡路國一宮 伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)があります(図6)。江川丹生神社とモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くには、孝元天皇(大国主命)を祀っていると推定される白兎神社(鳥取市)があります(図6)。

また、高千穂神社と宗像大社(福岡県宗像市)を結ぶラインと、押戸石(熊本県阿蘇郡南小国町)と岐阜県下呂市にある金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)を結ぶラインは、ほぼ直角に交差することが知られています(金山巨石群 - 押戸石 Facebook)。
高千穂神社とモン・サン・ミシェルを結ぶラインの近くに押戸石、宗像大社 辺津宮、宗像大社 沖津宮があり、金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)と拝ケ石巨石群がある金峰山(熊本市西区河内町)結ぶラインの近くに押戸石があります(図7)。高千穂神社と金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)を結ぶラインの近くには、景行天皇の日代宮があったと推定される深良津(大分県津久見市四浦)や瓊瓊杵尊が降臨したと推定される摩耶山があります(図7)。高千穂神社を創建したのは、倭建命の一人と推定される第12代景行天皇ではないかと思われます。『古事記』には、景行天皇の九州巡幸はまったく記されていませんが、日向の美波迦斯毘売(御刀媛 みはかしびめ)を娶って豊国別王(豊国別皇子)を生んだことや、その子孫は日向国造であることを記しています。

『日本書紀』によると、宮崎県の日向は、景行天皇によって名づけられたとされるので、元々の「日向」は、吉備や丹波の瀬戸内海沿岸だったと推定されます。
