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本能寺の変1852 その一因 一、光秀の年齢 そ第75話 240724 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀の年齢 そ第75話 

2光秀の年齢 4光秀、最大の敵 5/6 240724 

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【 重要史料 】 【 人物 】  
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済 
 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 240724 

そ第75話

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光秀は、己の老いを自覚した。
 
甲斐遠征において。
 光秀は、改めて、実感させられた。
 肉体の衰え。
 「老い」
 気がつけば、その様な年齢になっていた。

信長は、歩みを止めず。
 
次に、中国大遠征。
 その次、九州平定戦。
 その後のこともある。
 丹波では、戦後の復興に三年を要した。
 そして、「さらなる夢」へ。
 信長は、歩みを止めず。

光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。
 武田を攻め滅ぼした後。
 一益は、伊勢に帰陣せず。
 そのまま、上野に入った。
 一益は、信長の命に従った。
 そうする他、術(すべ)がなかった【 重史 022】『信長公記』 。

斯くして、一益の老後は、定まった。 
 北伊勢から、東国へ。
 上野一国・信濃の内二郡を拝領。
 「国持大名」
 大出世である。

信長は、猜疑心が強い。
有力な重臣を遠隔地に配した。
 名目は、諸大名の監視。
 その実は、危険分子を遠ざけること、・・・・・。
 これこそ、「一石二鳥」。  

 否、一益は、追いやられた。
 すなわち、左遷、・・・・・。
 その様な見方をする研究者もいる。

光秀は、すぐ近くでこれを見ていた。
 正に、問答無用。
 上意下達。
 「明日は我が身」、である。
 忘れられぬ、光景だった. 

光秀にも、国替えの可能性があった。
 一益の一件を見れば、そのことがよく分かる【 重史 022】『信長公記』。                               

 近江志賀一郡・丹波一国を返上。
 そして、西国の内、何処かの国へ。

 タイミングとしては、毛利氏を滅亡させた後の論功行賞によって、
 ということになるのだろう。

その先に、信長の「さらなる夢」があった。
 その後のことである。

すなわち、天下統一後も、戦いは、つづく。
 つまり、いつまで経っても、戦は、終わらない、のである。
 光秀の、心境や、如何に、・・・・・。 

そして、光秀は、信長より、先に、死ぬ。
 その時まで、己は、生きているのだろうか、・・・・・。
 否、もう、この世に、おらぬやもしれぬ・・・・・。

 光秀は、信長より、年長。
 したがって、早く、老い。
 信長より、先に、死ぬ。

ならば、光慶は、如何に・・・・・。
 明智は、如何に・・・・・。
 
光秀にとって、このことが、最大の悩み。
 大きな不安の根源だった。

信長は、不意を衝く。
 それは、ある日、突然、やって来る。
 佐久間信盛の一件。

光秀は、信長の性格をよく知っていた。
 この様な例は、多々あった。

役に立たねば、粛清される。
 その時、己は、この世にいない。

 これでは、死んでも死に切れぬ。
 ならば、・・・・・。

光秀には、先が見えた。
中国攻め → 国替え → 「さらなる夢」
これすなわち、明智の危機。
 光秀は、中国攻めで、大手柄を上げる。
 褒美として、西国に、新たな領国を賜り、国替えとなる。
 国替えは、信長の「さらなる夢」への第一歩。
 そして、その実行は、光秀の死後。
 光慶の代となる。
 これすなわち、明智の危機。

これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。
 おそらく、光秀は、このような結論に辿り着いた、・・・・・。

それ故の、「本能寺」。
「六月二日、未明」、だったのだろう。



 ⇒ 次へつづく

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