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戦後日本の高度経済成長と強い国際競争力の原動力となった「日本的経営方式」(戦時経済体制=1940年体制)の「生成と破壊」

本記事は、前にアップした「日本国民がいつまでも豊かになれない本当の理由~対米従属・新自由主義・所得「逆」再分配政策・内需減少政策・利権中抜き・海外バラマキ~」の「戦時経済体制」(1940年体制)」に関する部分を抜き出し、加筆修正したものです。

「戦時経済体制 (1940年体制) 」の成立

一部の青年将校が起こした軍事クーデター「五・一五事件」(主に海軍)、「二・二六事件」(主に陸軍皇道派)は、文民たち(政治家・財界人・官僚)を心底震え上がらせた。軍部の実力行使を恐れて委縮し、統治能力を失った文民に代わって軍部が実権を握った。

軍部独裁を招く事を危惧した政党や貴族院の反対を力で押し切り、1938年総力戦遂行を目的とした念願の「国家総動員法」が成立。

政府は議会の承認なしに産業経済だけでなく国民生活の全てを統制できるようになり、てんでんばらばらだった「自由放任経済体制」から国家による「戦時統制経済体制」へと移行した。

〇政府による銀行統制

〇日銀による市中銀行に対する強力な窓口指導

間接金融・メインバンク制⇒「国家総動員法」等により株主配当を制限しため株価が低迷。それまでの株式、社債等による資金集め(直接金融)が困難になった企業は、資金調達を銀行に頼らざるを得なくなった。この結果、企業経営に対する大株主の影響力が低下し、銀行の発言力が高まった。

〇政府⇒日銀⇒市中銀行⇒企業という支配関係が確立した結果、行政官庁が銀行を通して業界全体をコントロールする「統制経済」や「護送船団方式」(財閥系大企業を頂点とするピラミッド体制)が可能になった。

〇1937年 、企画院設立 経済新体制確立要綱の策定各省予算・法案の先議権、軍需・民需の資源配分統制。

戦時経済体制の確立⇒限られた資源を軍需工業に優先配分することで継戦能力を維持・強化する。これが、戦後の石炭増産・鉄鋼など重工業最優先の「傾斜生産方式」につながった。

〇1938年、自営業者、農業従事者を対象に「国民健康保険制度」が創設。

〇1938年、「会社利益配当及資金融通令」により、それまでの株主中心主義から従業員中心主義へ移行⇒労働者の勤労意欲と生産性向上のために株主の権利や配当を抑制して、新規投資や社員の待遇改善に振り向けた(現在は新自由主義政策により「株主資本主義」が復活)。

〇1939年、「賃金統制令」により国家が一律に労働者の賃金を決めるようになった。企業は労働者を企業戦士として定着させるため、定期昇給や社内での技能訓練(養成制度)を導入した。これが戦後の日本的雇用慣行である定期昇給制度、年功序列賃金制、終身雇用制、社内技能者養成制度などにつながった。

〇1940年、「大日本産業報国会」発足によりそれまでの産業別労働組合は強制解散。生産性向上のために従業員を企業共同体の構成メンバーとすることで労使協調を目指した。各企業に経営側と労働側が懇談する組織が作られ、これが母体となって戦後、日本独自の企業別組合が発足した。

〇1941年、「労働者年金保険法」(対象は工場で働く現場労働者)が創設。
1944には事務系労働者も含めた「厚生年金保険法」に改正。

「国家総動員法」成立以前の日本は「自己責任論」が猛威を振るう「市場原理主義の小さな政府」で、政府は企業の自由な経済活動を後押しした。これは現在の公助より自己責任が最優先の「新自由主義」に近いむき出しの自由放任強欲資本主義であり、企業に対する国家の統制や規制は非常に緩かった。

逆に「治安維持法」に基づく官憲による労働者や労働組合に対する締め付けや弾圧は凄まじかった。資本家と結託した警察や右翼団体、地域の青年団や在郷軍人会などを動員した「スト破り」が日常化し、ストやデモなどの争議行為をはじめ労働者の諸権利や国民の基本的人権は著しく制限されていた。

国民の日常生活も在郷軍人会、大日本国防婦人会、青年団、隣組制度などの「草の根ファシズム組織」による厳しい相互監視が行われ、密告が奨励されるなど、言論・表現の自由がない非常に息苦しい社会だった。

第一次世界大戦後の不況、1927年の昭和金融恐慌に世界恐慌が重なったことによる生活困窮者の急増を背景に1932年になってようやく貧困者対策として「救護法」が施行された。しかし、失業者や労働能力のある貧困者は対象外、扶養義務者がいる場合は保護を受けられないなど、国家による社会保障は極めて不十分であった。

特に民法上の扶養義務者の範囲は、欧米諸国と比べても非常に広い(3親等内の親族、直系血族・兄弟姉妹など)。これが戦後の生活保護制度に「扶養義務者照会制度」として受け継がれ、未だに日本の生活保護捕捉率が非常に低い原因のひとつになっている。

企業の勝手気ままな「自由放任経済体制」を総力戦遂行のための国家主義的「戦時統制経済体制」に変えようとしたのが企画院に集まった岸信介、吉田茂、椎名悦三郎、永田鉄山 (陸軍軍務局長)らの所謂革新官僚。ソ連型の計画経済(五か年計画)を手本に日本の「全体主義統制経済国家」化を目指した。

やりすぎて社会主義的な計画を立案公表したため、1941年、統制経済の司令塔であった企画院の革新官僚が共産主義的だとして特高警察に検挙される企画院事件※を起こしている。

「国家総動員法」による社会制度改革の結果、企業活動は国家の強い統制を受ける事になり、企業の経営方式も上記のように総動員体制に即した変更を余儀なくされた。

企業は終身雇用制と年功序列制、福利厚生の充実などにより労働者に正社員としての身分や待遇を保障。これにより労働者は企業に強い帰属意識を持ち、会社に忠誠を尽くす「経営家族主義」が広まった。

※企画院事件
1940年、企画院は計画経済、資本と経営の分離、利潤追求から生産優先への転換など、国家による強力な経済統制を目指した「経済新体制確立要綱」を閣議決定。だが、この要綱が共産主義的だとして大企業財界や右翼が猛攻撃。岸信介商工大臣が辞任に追い込まれた。

財界(小林一三ら)や右翼(平沼騏一郎ら)は企画院は「赤の巣窟」と激しく批判したが、実際、秘密裏にマルクス主義研究も行われており、当たらずと雖も遠からずだった。

翌1941年、企画院の革新官僚が治安維持法違反容疑で特高警察に大量検挙されたため、革新官僚による「国家社会主義的日本経済改造計画」の夢は挫折した。

企画院事件はファシズム政権内の革新派と保守派の権力闘争の一面もあった。強力な経済統制によって一部の既得権を失う形となった財閥系財界が企画院をマルクス主義的だとして軍部の反革新派や右翼を動かし、革新派の追い落としすことで巻き返しを計ったものである。

この結果、革新官僚は失脚。企画院自体も1943年に軍需省に吸収され、統制の実権は軍部に移行。革新官僚が担っていた「総合的且つ柔軟な国策立案機能」が失われ、軍部による硬直的な統制が主流となった。

経済統計も開戦前の石油自給見通しが楽観的なものに改ざんされるなど、軍部に都合のよい内容に変えられた。戦時経済は軍部直結の非効率な統制に陥り、資源配分の歪みや民需圧迫を加速させ、合理主義より精神主義が幅を利かすようになっていった。

戦後も生き残った「戦時経済体制」

「国家総動員法」は1945年末に廃止されたが、戦後も市中銀行に対する日銀の窓口指導、間接金融・メインバンク制、護送船団方式、企業別組合、経営家族主義、終身雇用制と年功序制、定期昇給制度など「戦時経済体制」の一部は温存された。

日本型ファシズムの産物である「戦時経済体制」が戦後も生き残ることができた理由のひとつは、大蔵省や商工省(戦時中は軍需省)が一部を除き解体や公職追放を免れ、ほぼ無傷で残されたことによる。

もうひとつは、日銀が1950年に市中銀行に対する「窓口指導」を再開。メインバンク制を通し、産業界に対して強力な統制力を発揮したこと。

大蔵省は敗戦で混乱した財政・金融を立て直すとともに戦前からの間接金融・メインバンク制を維持した他、石炭や鉄鋼など特定の重要産業に資金や資材を集中配分する「傾斜生産方式」を推進。

商工省は戦後、通商産業省に改組され、産業政策を通じて戦時中に形成された「日本的経営」(終身雇用、年功序列、企業別労働組合などを特徴とする経営システム)の発展を誘導・支援し、強い経済力と国際競争力の源泉を形成した。

1991年まで続いた市中銀行に対する日銀による「窓口指導」(当時最強の金融政策)、「三種の神器」と呼ばれた終身雇用・年功序列・企業別労働組合、「経営家族主義」に支えられた勤労者の高い労働意欲等は、急激な人口増加(人口ボーナス)との相乗効果で、日本の高度経済成長及び強い国際競争力の原動力として機能した。

世界に類を見ない日本独自の所謂「日本的経営方式」は戦後の高度成長の屋台骨となり、結果的に日本を米国に次ぐ「経済大国」へと押し上げた。
経済学者野口悠紀雄は戦後も長く続いたこの「戦時経済体制」を批判的意味を込めて「1940年体制」と呼んだ。

米国と日銀が仕組んだバブル崩壊

「戦時経済体制」による戦後日本の急激な経済成長と強い国際競争力に脅威を感じた米国は1985年の「プラザ合意」を手始めにいくつもの難題を矢継ぎ早に吹っかけ、日本の経済力を弱体化させようとした。

中でも日本経済破壊工作の極めつけが、米国の意を受けた日銀による「人為的なバブルの生成と意図的な破壊」。これは、「戦時経済体制」の温存で強くなり過ぎた日本経済を一気に叩き潰すために仕掛けられた「ショック・ドクトリン」(経済的クーデター)であった。

日本と同じく1987年の「ルーブル合意」で米国から低金利政策を要求されたドイツは、インフレの危険性を盾に賢明にも低金利政策を拒否。一方、米国の属国として事実上国家主権を持たない傀儡日本政府は拒否できず、唯々諾々と要求を受け入れ米国の罠にはまってバブルに突入した。

日銀を主犯、大蔵省を従犯として意図的に演出された「バブル崩壊」によって日本経済は完膚なきまでに叩き潰され、「第2の敗戦」(マネー敗戦) の憂き目を見る。

米国と日銀の目論見は見事に成功。バブル崩壊の大打撃と巨額の不良債権に起因する深刻な経済不況ですっかり自信を喪失した政府と経済界は、自国経済の強さの源泉だった「戦時経済体制」=「日本的経営」の価値に気付かず、あっさり捨て去ってしまった。

米国の望む「新自由主義経済体制」(企業は株主の所有物=株主の利益を至上のものとする「株主資本主義」 ) の国へと進んで構造転換し、「自分で自分の首を絞める破滅への道」を選んだ。

米国による日本の国富収奪の強化

〇米国の許可がない限り売却できない米国債の大量購入とその永久的保持(2024年3月の残高1兆1880億ドルで世界一=1ドル150円換算で178兆2000億円)。

〇「防衛装備品」と言う名目の米国製ポンコツ兵器の言い値爆買い(相場の2~3倍)。2026年度の米国製防衛装備品移転額はトランプとの関税交渉の過程で従来より大幅に嵩上げされ、約2兆円になる見通し。これにFMSのローン返済予定額約5兆円を加えると26年度防衛予算9兆353億円の大部分は米国に持っていかれることになる。

〇これに辺野古移設関連米軍再編のための年間経費約3,842億円(2026年度)を含めれば毎年総額1兆円以上に達する「思いやり予算」その他の「在日米軍関係経費」(自衛隊に言わせると「同盟強靱化予算」)が加わる。

〇バブル崩壊の後遺症と政府自民党の内需減少政策による長期デフレで不況が続く日本には目ぼしい投資先が見つからないため、日本の投資は順調に経済成長する米国へと向かった。

〇同じ理由で米国進出企業の利益の多くは円に交換されて日本に送られるず、ドルのまま「海外利益の現地再投資」という形で再び米国に戻され、米国民をさらに豊かにするために使われた。

〇「国際収支統計によると、2025年に日本企業が海外事業で得た稼ぎは26兆円台と過去最高を更新した半面、国内本社に還流せず海外にとどまった額が4割強(約10.5兆円)にのぼった。」(日経新聞) 

別の見方をすれば、日米間の「海外利益現地再投資サイクル」を持続させるためには、日本を「失われた30年」で長期デフレ状態のまま塩漬けにしておく必要があった。日本が好景気であれば海外で得たドルを円に交換して日本国内に投資するようになるから、当然米国への再投資は減少する。

こうした事態は、米国にとって面白いはずがない。利益の現地再投資で米国を助け、喜ばせるために政府自民党は日本を好景気にしてはならなかったのだ。

巨額の投資資金が米国に流失している

〇2024年の民間企業等による単年度対米直接投資額は11兆円、対米直接投資残高合計は8192億ドル(約120兆円)に上り、5年連続世界一。米国の産業基盤の強化、雇用創出に大きく「貢献」している。

〇政府自民党が大宣伝している「新NISA」の主な投資先も米国(推計20~30兆円)であり、一般庶民のなけなしの預貯金が毎年米国に投資されている。不況でなければ本来は日本国内に投資され、日本国民を豊かにするために使われる「国富」である。

〇民間企業による直接投資の他に日本の年金積立金、ゆうちょ銀行などの公的・準公的機関もポートフォリオ投資等による巨額の対米投資を行っている。

〇GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による米国株式・債券への投資額は100兆円以上と推計されている。

〇ゆうちょ銀行の外国証券等保有高は約87.4兆円(2025年9月末時点)に上るが、これらの外国証券等の多くも米国中心の債券・クレジット資産(米国国債、社債、投資適格債等)や米国関連の投資信託・PEファンドで構成されている。

〇日本国内の景気をよくすれば物価上昇でインフレになる。インフレを抑えるために公定歩合を上げれば利払い費が増え(1%の利上げで3.7兆円)、政府支出が減少してさらに不況が深刻化する。だから、「景気がよくなるのを抑制したい」という日銀と政府自民党の自縄自縛のばかばかしい思惑も絡んでいた。

こうして米国の新植民地日本は、現在も巨額の国富を毎年米国に吸い取られている。他にも巨額の「海外バラマキ」によって刻々と日本の国富が流出し続けている。まさに底の抜けたバケツ状態。これでは、日本国民がいくらせっせと働いても永久に豊かになることなどできるわけがない。

アベノミクスがもたらした経済的大災害

〇上記のように現在の日本経済は、アベノミクスの「超円安株高政策」という負の遺産によるスタグフレーション下にあり、最早にっちもさっちもいかない詰んだ状態に置かれている。

〇一般国民が超円安と海外資源高によるコストプッシュインフレ及び政府自民党の「所得『逆』分配政策」のダブルパンチを受けて急激に貧困化する一方、バブル期を超える超株高によって大いに潤った3%の超富裕層は我が世の春を謳歌している。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
気分転換に哀愁を感じさせるジプシー・ジャズとディキシーランド・ジャズの名曲をどうぞ。

ジャンゴ・ラインハルト「マイナースイング」


Pete Jacobs and his Wartime Radio Revue 「素敵なあなた」 


The Swing Orchestra「素敵なあなた Bei Mir Bist Du Schoen」

世界中の歌手や楽団にカバーされているジプシージャズのスタンダードナンバー。                              

S. Cahn, N. Casman, S. Chaplin and S. Steinberg JOSEPH JOSEPH

                                 EVE 「JOSEPH ! JOSEPH !」(日本語歌詞バージョン)

田村正和主演のドラマ『男と女 ニューヨーク恋物語II(1990年)』主題歌。
原曲は、ジプシージャズのスタンダード・ナンバー。
EVEは、1980年代から90年代にかけて大人の音楽番組等で活躍した三姉妹コーラス・グループ。代表曲は「恋はパッション」。

ヴィレッジ・ストンパース「ワシントン広場の夜はふけて」

日本ではあまり人気のないディキシーランド・ジャズですが、1963年にリリースされた「ワシントン広場~」は、全米2位にランクインされただけでなくディキシーランド・ジャズとしては異例の世界的大ヒットとなり、日本でも哀愁を帯びた曲調が受けて60万枚を売り上げました。
当時、数多くの日本語カバー・ポップスをヒットさせていた漣健児が歌詞を付けたボーカル版もヒットしています。

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