文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 21) ドラゴンフルーツ
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)で再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ。食堂到着が予定より遅れ昼食は順番待ちになった。やっと食事が始まるもミヨ子さんが食べる速さは格段に落ちており時間が押す。食後は菩提寺のお墓(納骨堂)に向かうが、車から降りてお参りしてもらう余裕はなかった。
親しい親戚のお宅にちょっとだけ寄ったあとようやくわが家があった場所に戻ってきた。時間は午後1時半近い。施設には2時半までに帰ることになっており、安全を考えると「わが家」にいられる時間はもうあまりない。
が、わたしは重要なミッションを任されていた。事前に立ち寄った屋久島で、島在住のミヨ子さんの末の妹(叔母)・すみちゃんから、ある食べ物を預かっていたのだ。「母ちゃんに食べさせて」と。
ミヨ子さんと20歳離れたすみちゃんにとってミヨ子さんは母親代わりでもあったから、「母ちゃん」と呼ぶのは自然なことでもある。すみちゃんからは、自宅の庭で採れた大ぶりのドラゴンフルーツとカステラを預かっていた〈291〉。「ドラゴンフルーツを先に食べさせてね。カステラが先だと甘みがわからなくなるから」という注文つきで。
この日の朝ドラゴンフルーツの半分をカットし、タッパーウェアに入れて持って来ていた。ドラゴンフルーツの実は白と赤があるが、切ってみたら赤のほうだった。ほんとうは丸のままを割るところから見せてあげたかったが施設暮らしではそうもいかない。この日の外出だって特別なのだ。
「お母さん、屋久島のすみちゃんの家の庭で採れた果物を預かってきたよ」
わたしは声をかけてタッパーウェアを開けた。一口大に切った、やや紫がかった鮮やかな赤い実を見せる。「んだ、みごっかねー」(あら、きれいね)と呟くミヨ子さんに楊枝に差した一切れを渡す。「うんまか」(おいしい)。食べ物を口にしたときの反応はだいたいこれだが、心なしかふだんより反応がクリアな気がする。珍しい見た目と色のせいかもしれない。
ドラゴンフルーツの実は柔らかい。一口大の実はするすると咀嚼され呑み下された。「まだあるよ」とわたしは次の一切れ、もう一切れと渡す。合間に自分も、そしてツレもお相伴する。
ドラゴンフルーツのあとは「これもすみちゃんからだよ」とカステラの包みを見せ――ありがたいことにカットされていた――、その一切れを1/4くらいにちぎって渡す。甘いものが好きなミヨ子さんは、さっき昼ご飯を食べたばかりなのにおいしそうに口に入れる。甘いものは別腹、か。
あれも食べろ、これも食べろと、半ば虐待ではないか。ちらりと考えるが、わたしがしてあげられることはもうこのくらいしか残っていない。小春日の下、いろいろな意味で切ない。
〈291〉すみちゃんがドラゴンフルーツを育てたりして屋久島での暮らしを楽しんでいる様子は「つぶやき 島のひとり暮らし」で述べた。
