文字を持たなかった昭和 終末期16 兄妹での外出②

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。入院中で、一時重篤な状態になったミヨ子さんのお見舞いに帰省したわたしは、面会の合間に長男のカズアキさん(兄)と郷里へ向かい、まずまず菩提寺へ向かった。(前項「兄妹での外出①」はこちら

 納骨堂でのお参りを終えて車に戻ると、カズアキさんはスマホで誰かと通話中だった。聞こえてきた内容から、相手は屋久島在住のミヨ子さんの妹、わたしたちにとっての叔母・すみちゃんのようだ。5人いたミヨ子さんのきょうだいは、いちばん上のミヨ子さんと、唯一戦後生まれで末っ子のすみちゃん2人だけになった〈311〉。

 わたしはてっきり、カズアキさんがすみちゃんにミヨ子さんの近況を伝え、「都合がつくならお見舞いも考えてみては」と言うために電話したのだと思ったが、聞こえた限りではどうもそうではない。

 通話のあとカズアキさんに
「(相手は)すみちゃん?」と尋ねると
「ああ。すみちゃんの次の眼科検査はいつか聞いたら、4月だって。もっと近いなら、母ちゃんが入院してるからついでにお見舞いに来られないか、と言おうと思ったけど、4月じゃなぁ」と言い
「それまでもたないだろうし」と呟いた。そして
「もちろん、いざという時には連絡するけどな」と付け加えた。

 すみちゃんの目の持病は島内では治療できないので、定期的に船で鹿児島市内の眼科に通っている。そのタイミングが合えば、姉妹を会わせてあげられる、とカズアキさんは考えたのだろう。

 しかし、「いざという時」に連絡しても、離島在住のすみちゃんは間に合わない可能性が極めて高い。屋久島と本土の間には空路、海路ともにあるが天候の影響を大きく受ける。それぞれの空港、港のアクセスもあまりよくない。

 わたしに言わせれば、「眼科云々とはまったく別に、お互い唯一のきょうだいとなった二人を、まだミヨ子さんが多少でも意識があるうちに会わせてあげるべきでしょう」である。ずっと頼りにしてきた姉がもうそんなに長くないのはつらく悲しいことで、せめて生きているうちに一目会いたいだろうし、会わせてあげたいと思うのが人情だろう。

 その辺りのこの男(カズアキさんのことだ)の感覚がいまひとつわからない。

 思えば、兄妹とは言っても、高卒で県の公務員になったカズアキさんはすぐに実家を出たから、いっしょにいたのはわたしが中学を出るまで、物心ついてからの期間でいうと10年ちょっとしか共同生活していないことになる。以後別々の道を歩いてきた。ことにそれぞれ家庭を持ってからはそれこそ年に1回会うかどうかだった。

 ミヨ子さんがカズアキさん一家と同居したおかげで、この10年ほどはカズアキさんともわりあい頻繁に連絡をとるようになった。ミヨ子さんを介して兄妹の関係を再構築したと言ってもいいのだが、「兄貴ってこんな人だったっけ?」と思うこともしばしばで、この日もそうだったに過ぎない。かもしれない。もっとも向こうも同じことをしばしば感じているだろう。

 用事をすませた帰り道、隣町の和菓子屋「梅月堂」で、近年東京にも販路を広げている高級どら焼き「ラムどら」を買った。さらに別の店でお嫁さん(義姉)に頼まれた「伊集院まんじゅう」も買った。最後にわたしが提案して、カズアキさんの「だいやめ」(晩酌)用の焼酎を買いにドラッグストアに寄った。もちろんわたしがプレゼント(?)するのだ。居候として宿代代わりでもある。

 さすが鹿児島、広くスペースを取った焼酎売り場で「2本選んで」と言ったら「1本でいい。1本は嫁にワインを買ってやって」と言われた。兄(あん)ちゃん、いいとこあるじゃん(カズアキさんへの呼称は子供のときから「あんちゃん」である)。

「焼酎はどれがいい? ふだん飲んでないのを試してみたら?」と言うと「だいやめじゃっで、ないでんよか」(晩酌だから何でもいい)。

 酔えればいいってか!? なんというか、気持ちの通じないやつ。ついさきほどの評価は、帳消しにさせてもらうことにした。(次は「ミヨ子さんの計らい」)

〈311〉昨秋屋久島へ行ったことは、昨年11月初めに「つぶやき」として何回か綴った。叔母については「屋久島栗生地区の墓地」「屋久島栗生地区の旧街道」「島のひとり暮らし」などで触れている。

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