文字を持たなかった昭和 終末期17 ミヨ子さんの計らい

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、一時より安定したものの点滴だけで命をつないでいて、いつ「そういうこと」になってもおかしくない状況だ。(ミヨ子さんの現状についても述べた「その後の容態」はこちら

 最初の容態急変を受け、わたしはお別れも覚悟して鹿児島へ向かったもののミヨ子さんは持ち直し、1週間ちょっといて自宅へ戻ってきた。面会の合間にはミヨ子さんの持ち物を整理したり、長男のカズアキさんと兄妹で外出したりした。

 それでも時間がある。わたしはふたたび郷里へ赴き――このときは電車で行った――仲のいい同窓同期と3人で会った。小さな町なので幼稚園から中学校までほぼ同じメンバーなのだが、1学年150人程度の中でいまでも連絡を取り合う人は極めて少ない。3人とも途中の人生いろいろあって、中年あたりから交流が再開しいまに至っている。

 それぞれ親の看取りを終えたばかり、あるいはちょうど介護の最中であり、互いの悩みをフラットに、しかし親身に聞きあう仲だ。すぐ近所ではないにしても身近にこんな関係の友人がいてありがたいと心から思う。

 別の日には、鹿児島市内に住む姪と会った。渡したいものがありせっかくだから直接会って、と思ったのだ。妊娠中だがまだ働いている姪と幸い日程が合った。繁華街の老舗喫茶店「元(げん)」でお茶をし、晩ご飯の支度をしなくていいらしいとわかったので、創作イタリアンで夕食までご一緒するという長丁場。ミヨ子さんの状態のほかにあれこれ四方山話をしながら半日以上、とても楽しい時間だった。

 ミヨ子さんは、3人目となる曾孫――甥のところにはもう子供が二人いる――に会えない可能性が極めて高い。この気立てのいい姪は、かなり長期の妊活の末に身ごもり、5月に第一子を出産予定だ。誰も言わないが、わたしはミヨ子さんが曾孫への橋渡しをしてくれたのだと信じている。

 同窓生との意義深い時間も、姪との楽しい語らいも、ミヨ子さんが計らってくれたのだとわたしは思う。
「あんた、よく来たね。せっかくだからおいしいものも食べて、楽しく過ごしなさい」と。(次は「末妹すみちゃん上陸」)

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