文字を持たなかった昭和338 梅干し(10)保存

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 このところは保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに、庭の梅の実下漬けしてから、赤紫蘇を加えて漬け込み、梅雨明けを待って土用干ししたところまで書いた。

 この時点で「梅干し」と呼ぶに相応しくなった梅の実は、保存用の容器に入れられる。容器は、下漬けや紫蘇漬けにも使われた甕を使った。この甕はミヨ子たちにとって「梅を入れる甕」だったから。

 インターネット上の指南によれば、梅干しを容器に戻したあと、紫蘇漬けしたときの梅酢も入れるかは各家庭のやりかたや好みによるようだ。梅酢も入れておけば色が鮮やかになる。しかし、ミヨ子は梅酢を甕に戻すことはなかったと思う。これは姑のハル(祖母)のやり方かもしれないし、地域の習慣かもしれない。でき上がった梅干しは、あまり柔らかくしないほうが好まれた気がする。

 できたばかりの梅干しはもちろんすぐに食べられるが、すぐに食べる人はまずいない。半年ぐらいは寝かせてから食べ始めた。

 もうひとつ。そもそもが保存食品である梅干し、当時はいまとちがって塩分濃度が濃く、常温での長期保存は当然だったし、梅の実の収穫量すなわち梅干しのできあがり量が年によって違ったから、たくさん採れた年に作った梅干しは翌年になってもいつまでもあった。古いものがなくなってから新しいものを食べる」のがミヨ子たちの原則だったから、その年の梅干しが食べごろになっても、前の年のを食べ続けることもままあった。

 逆に、前年の梅干しを早々に食べ終わって、まだ食べごろでない新しい梅干しに手をつけることがあったとしてもおかしくないはずだが、二三四(わたし)が記憶する限り、そんな事態は起きなかった。つまりは、毎年十分すぎる量の梅干しが手作りされていた、ということだろう。

《梅干し作りの主な参考》
自家製 梅干しの作り方 | やまむファーム (ymmfarm.com)
※「やまむファーム」さんにはスイカ栽培に続き参考にさせていただきました。改めて感謝申し上げます。

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