「生きる意味」なんてくだらなくていい。
「私の生きる意味ってなんだろう。」
って考えてしまう時がある。
疲れた時。
上手くいかなかった時。
誰にも分かってもらえない気がした時。
理由は色々あるけれど、
気付けばそんな問いが
頭の中をぐるぐる回っている。
生きる意味。
言葉にすると壮大だ。
まるで見つけられなければ
生きてはいけないものみたいに聞こえる。
何か特別な才能があって。
誰かの役に立って。
大きな夢を叶えて。
そういうものを持っている人だけが、
生きる意味を持っているように見える時もある。
だから苦しくなる。
自分には何もない気がするから。
自分だけ取り残されている気がするから。
でも私は思う。
生きる意味なんて、
そんな立派なものでなくていい。
もっとくだらなくていい。
もっとしょーーーーーもなくていい。
明日の昼ごはん何食べようかな。
新作のアイス気になるな。
あの映画公開されたら観に行きたいな。
給料入ったら欲しかったもの買おうかな。
そんなことでいい。
本当に。
私たちは時々、
生きる理由を探そうとして
遠くばかり見てしまう。
でも人間って案外、
そんなに遠くを見続けられる生き物じゃない。
長距離走だってそうだ。
ゴールまで
何キロもあることを考え続けると苦しくなる。
だから、
「あの電柱まで。」
「次はあの信号まで。」
そうやって少しずつ進む。
人生も同じなんじゃないかと思う。
「一生生きる理由」
を探そうとするから苦しくなる。
今日を終える理由。
明日を迎える理由。
それくらいで十分なのかもしれない。
もちろん、それでも納得できない日もある。
そんな小さな理由じゃ足りないと思う日もある。
苦しさが大きすぎて、
「それで何になるの。」
と思ってしまう日もある。
それでも。
生きる意味というのは、
最初から完成した状態で
どこかに置いてあるものではない気がする。
生きているうちに
勝手に増えていくものなんじゃないだろうか。
コンビニで買ったアイス。
友達との何気ない会話。
たまたま見た夕焼け。
笑えた日。
泣いた日。
全部ひっくるめて
後から振り返った時に、
「ああ、
あれも生きる意味だったのかもしれない。」
そう思うものなのかもしれない。
だから今、
生きる意味が分からなくても大丈夫だ。
見つかっていなくても大丈夫だ。
無理に探さなくてもいい。
明日ちょっと楽しみなことが一つあるなら、
それで十分だと思う。
生きる意味なんて、くだらなくていい。
むしろ、そのくらいの方がいい。
壮大な理由がなくても。
誰かに誇れる理由がなくても。
「もう少しだけ生きてみようかな。」
そう思える理由があるなら、
それは立派な生きる意味だと思う。
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