大人になるにつれ、人を信じれなくなる。 #わたし世界観No.10
いつからだろう。
子供の頃は、
家族だったり友達が言うことを全部信じれてた。
褒めてくれる言葉。
かけてくれる言葉。
「好き」って言葉。
そんな言葉たちを疑うことなんてなかった。
言われたことをそのまま受け取って、
そのまま嬉しくなれていた。
けど、いつの間にか変わってしまった。
今では、
飾りの言葉なんじゃないか。
ほんとはそう思ってないんじゃないか。
社交辞令なんじゃないか。
そんなことばかり考えてしまう。
信じたい気持ちはあるのに、
頭のどこかで疑ってしまう。
人を信じれないってことは、
「人と人の繋がり」
としてとても悲しいことだと思う。
本来なら人は支え合って生きていくものなのに。
信じられないと、
誰かの優しさまで遠く感じてしまう。
どのタイミングで
そう考えるようになったんだろう。
たまに頭の中で考えてしまう。
人に裏切られた時。
人の裏側を見た時。
人に都合よく利用された時。
信じていた言葉が嘘だった時。
そして、
そんな人が人生うまくいってるように見えた時。
多分そういう日々の繰り返しで、
人を信じれなくなってるんだと思う。
大きな出来事があったわけじゃない。
小さな違和感や傷が積み重なった。
その積み重ねが、
少しずつ人を疑う癖を作っていった。
子供から大人になるにつれ、
汚い人間と関わらざるを得なくなる。
自分の利益しか考えない人。
平気で嘘をつく人。
人を傷つけても何も思わない人。
そんな人たちがいることを知り、
知りたくもなかった現実も知る。
それで私を少しずつ汚くする。
昔みたいに素直に信じられなくなる。
人の言葉の裏を考えるようになる。
傷つかないために距離を取るようになる。
多分人生ってそんなもんだと思う。
汚い大人も、
最初から汚かったわけじゃない。
汚い大人と関わったことによって、
少しずつ汚い大人になった。
裏切られた経験。
傷つけられた経験。
信じたことを後悔した経験。
そういうものが積み重なって今がある。
人を信じれないって、
その弊害なんだと思う。
だからきっと、
人を信じれなくなった人は冷たい人じゃない。
むしろその逆で、
昔は誰かを信じていた人なんだと思う。
期待していた人なんだと思う。
信じたからこそ傷ついた。
信じたからこそ疑うようになった。
いつからだろう。
人を信じれなくなったのは。
その答えはわからない。
けれど一つだけ言えるのは、
それは一日で起きたことじゃないということ。
たくさんの出来事の積み重ねが、
少しずつ心を変えてしまったんだと思う。
人を信じれないって、ちょっと寂しいことだ。
だから私は、可能な限り人を信じたい。
完全に信じるには、
大人になり過ぎたけど。
いつの日かまた、
あの頃に近づけるように。
そんな日がいつか来る。
私はそう
「信じる」
↓過去の「#わたし世界観」シリーズ
