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ふと感じる絶望感の正体。

夜、急に全部が嫌になる時がある。

突然、
「もう無理かもしれない」
みたいな感覚に襲われることがある。

未来が真っ暗に見えて、
自分だけ世界から置いていかれている気がして、
この先に
希望なんて本当にあるのかなと思ってしまう。

昼間は普通に笑えていたのに。
友達とも話せていたのに。
ちゃんとご飯も食べていたのに。

なのに夜になると、
全部が崩れていく。

私はこの感覚を、
何度も経験してきた。

そして昔は、
「こんな風に思ってしまう自分が弱いんだ」
と思っていた。

周りには
普通に生きている人がたくさんいるのに、
どうして自分だけこんなに苦しいのだろう。

どうして自分だけ、
生きることを難しく感じてしまうのだろう。

そうやって、
さらに自分を追い込んでいた。

今は、
あの“ふと感じる絶望感”には、
ちゃんと理由があるのだと思っている。

人は、ずっと平気ではいられない。

学校。
仕事。
人間関係。
将来。
SNS。
比較。

そして誰かへの期待。

私たちは毎日、
思っている以上に
たくさんのものを抱えて生きている。

嫌なことがあっても、
その瞬間は案外耐えられてしまう。

「まあいっか」
「気にしすぎだよね」
「頑張らなきゃ」

そうやって、
感情を後回しにしてしまう。

後回しにされた感情は、
消えたわけじゃない。

ちゃんと心の奥に残っている。

そして静かな夜に、
その感情たちが一気に顔を出す。

だから夜になると苦しくなる。

昼間は周りに合わせることで必死だった心が、
ようやく一人になって、
今まで無視してきた痛みに気づいてしまうから。

「疲れた」
「本当は傷ついてた」
「寂しかった」
「不安だった」

そんな本音が、
静かな部屋の中で急に溢れてくる。

ふと感じる絶望感の正体は、
突然生まれたものじゃない。

ずっと前から心の中に溜まっていた、
小さな痛みの積み重ねなのだと思う。

それは、
一回の大きな出来事よりも厄介だったりする。

小さな否定。
小さな我慢。
小さな孤独。

「これくらい平気」
を繰り返した結果、
心が静かに削れていく。

しかも厄介なのは、
そういう痛みって周りから見えにくいことだ。

ちゃんと学校に行ってる。
ちゃんと笑ってる。
ちゃんと会話してる。

だから、
誰にも気づかれない。

自分ですら、
「まだ大丈夫」
と思ってしまう。

本当は、
全然大丈夫じゃなかったりするのに。

私は、
絶望感って“甘え”ではなく、
心からの警報なんじゃないかと思っている。

「これ以上無理してると壊れるよ」
というサイン。

真面目な人ほど、
そのサインを無視してしまう。

もっと頑張らなきゃ。
こんなことで落ち込んじゃダメだ。
他の人の方が大変なんだから。

そうやって、
さらに自分を追い込んでしまう。

苦しい時に苦しいと思うことは、
悪いことじゃない。

むしろ、
ちゃんと心が生きている証拠なのだと思う。

何も感じなくなる方が、
きっとずっと怖い。

絶望感を抱える人は、
それだけ

たくさん考えて、
たくさん耐えて、
たくさん傷ついてきた人なのかもしれない。

感受性が強い人ほど、
世界の痛みに敏感だから。

人の表情。
言葉の温度。
空気の違和感。

そういうものを、
全部受け取ってしまう。

だから疲れやすい。

でも、
その繊細さは悪いことだけじゃない。

ちゃんと誰かの痛みに気づける人でもある。

優しくなれる人でもある。

苦しみを知っているからこそ、
寄り添える人でもある。

もちろん、
今はそんな風に思えないかもしれない。

苦しい時って、
未来なんて全然見えないから。

「このままずっと苦しいのかな」
と思ってしまう夜もある。

それでも、
人の心はずっと同じままではいない。

今は絶望しか見えなくても、
少しずつ景色が変わる日が来る。

昨日より少し眠れた日。
誰かの言葉に少し救われた日。
なんとなく空が綺麗に見えた日。

そんな小さな瞬間が、
少しずつ心を繋ぎ止めてくれることがある。

だから、
ふと感じる絶望感に飲み込まれそうな夜は、
「自分は弱いんだ」
ではなく、

「心が疲れるほど頑張ったんだ。」

と思ってあげてほしい。

心は、
限界になるまで案外黙ってしまうから。

突然苦しくなったように見えて、
本当はずっと前から、
あなたは頑張り続けていたのだと思う。

今日もよく生きた。



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