わたしのなりたい「わたし」 #わたし世界観No.4
本日もおつかれさまです。
メンタルよわしです。
今回は、
「わたしのなりたい“わたし”」
というテーマで、
少し言葉を書いてみようと思います。
人って、小さい頃からずっと
「こんな人になりたい」
を探しながら生きている気がするんです。
優しい人。
強い人。
愛される人。
誰かを救える人。
夢を叶えた人。
SNSを開けば、
眩しいくらい完璧そうな人がたくさんいて。
「あんな風になりたいな」
と思うこともある。
でも同時に、
心のどこかで気づいてしまうんです。
私は、その人にはなれない。
同じ顔でもない。
同じ環境でもない。
同じ才能でもない。
どれだけ憧れても、
“その人そのもの”にはなれない。
だから時々、
苦しくなる。
「なんで私はこんななんだろう」
「もっと上手く生きられたら」
「もっと愛される人間だったら」
そんな風に、
“今の自分”を否定してしまう。
でも最近、
少しだけ思うんです。
“なりたい人”になれなくても、
“なりたくない人”にならなければ、
それだけでも
十分すごいことなんじゃないかって。
私は、
誰かを平気で傷つける人にはなりたくない。
自分が苦しいからって、
その苦しさを
他人にぶつける人にはなりたくない。
誰かの弱さを笑う人にもなりたくない。
見えないところでだけ
優しい人にもなりたくない。
人によって態度を変える人にも、
誰かを見下して安心する人にもなりたくない。
きっと、
人は完璧にはなれない。
どれだけ頑張っても、
嫉妬する日もあるし、
余裕がなくてイライラする日もある。
優しくできない日もある。
だから、
「ずっと綺麗な人間でいよう」
なんて無理なんです。
でも。
その中でも、
「こうはなりたくない」
を心のどこかに持ち続けることは、
できる気がする。
私は、
ちゃんと痛みを分かろうとする人でいたい。
たとえ全部理解できなくても、
「分からないからどうでもいい」
にはなりたくない。
苦しんでいる人を見た時に、
冷たい言葉を投げる人にはなりたくない。
“普通”を押し付ける人にもなりたくない。
だって、
自分が苦しかった時、
そういう言葉が
どれだけ胸に刺さったかを知っているから。
きっと人は、
自分が受け取った痛みを、
誰かに返してしまう生き物なんだと思う。
嫌なことをされたから、
誰かにも嫌なことをする。
傷つけられたから、
傷つけ返す。
そうやって、
痛みって連鎖していく。
でも私は、
その連鎖を止められる人でいたい。
難しくても。
綺麗事だとしても。
せめて、
自分のところで終わらせたい。
それが、
今の私の思う
「なりたいわたし」
なのかもしれません。
昔の私は、
もっと“すごい人”に
ならなきゃいけないと思っていました。
結果を出して。
誰かに認められて。
人気者になって。
才能があって。
そういうものがないと、
価値がないと思っていた。
でも、
本当に大切なのって、
もっと小さい部分だったりする。
ちゃんと謝れるとか。
ありがとうを言えるとか。
しんどい時でも、
誰かを壊す側に回らないとか。
そういう、
目立たない部分。
でも、
そういう部分にこそ、
“その人らしさ”って出る気がするんです。
だから私は、
完璧にはなれなくてもいい。
憧れた誰かみたいになれなくてもいい。
遠回りしてもいい。
不器用でもいい。
ただ、
自分で自分を嫌いになるような生き方だけは、
したくない。
夜、
ひとりになった時に。
「今日の自分、最低だったな」
って思う日はあっても、
「もうこんな自分になりたくなかった」
ってところまで落ちたくない。
そのために、
少しずつでも、
自分の“なりたいわたし”に近づいていきたい。
きっと、
理想の自分には一生なれない。
でも、
人は完成しないからこそ、
生きている意味があるのかもしれない。
悩みながら。
間違えながら。
時々自分を嫌いになりながら。
それでも、
「こんな人でいたい」
を探し続ける。
それが、
“生きる”ってことなのかもしれません。
もし今、
自分になれなくて苦しんでいる人がいたら。
無理に
“誰か”
になろうとしなくていいと思います。
なりたい人になれなくても、
なりたくない人にならなければいい。
その積み重ねが、
きっといつか、
あなたにしかなれない
“あなた”
を作っていくから。
↓過去の「#わたし世界観」シリーズ
