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はじめまして ナオミの自己紹介

こんにちは、桜野 ナオミです。
カナダ東部、アトランティックカナダのノバスコシア州の田舎町で、ちょっと風変わりなお弁当や、ローカルの食材で料理しながら自然と共に暮らすスローライフをお届けしている50代のナオミです。
古いものを継承しながら、夫と愛犬たちと暮らして17年になります。
海外駐在ではなく、自力海外移住で、40歳目前で海を渡りました。

桜野ナオミ
クリエイター(執筆・デザイン・創作)|料理研究家 | アトランティックカナダ文化研究家

【取得資格】
・Health Canada Nutrition Labelling Course(カナダ連邦保健省 食品栄養表示コース)修了
・Nova Scotia Food Handler Certificate(ノバスコシア州公認 食品衛生責任者資格)
・FAO How to Conduct a Nutrition Situation Analysis(国連食糧農業機関 栄養状況分析コース)修了
・古物商許可

日々の食事や残り物にひと工夫して、無理せず、ゆっくり楽しめるお弁当を手軽に作る。50代(四捨五入するとアラ還)になった今、「お弁当」とおいしい時間を大切にしています。

・学生時代に母が持たせてくれたお弁当
・社会人になって自分で作りはじめたときの節約のためのお弁当
・そして今、故郷に思いを寄せながら作るお弁当

これまで生きてきた年代で、たくさんお弁当を食べて、そして助けられてきました。
生まれ育った日本の食文化を通して食が潤い、気持ちも前向きになる。
そんな小さな満足とワクワクを、遠く離れたこの土地で改めて感じています。

ある日のお弁当

お弁当は、日本人ならではの「食の美意識」「思いやり」「暮らしの知恵」が詰まった小さな宝箱

そして、異国カナダでの暮らしが、遠い故郷の文化を客観的に見つめさせてくれました。
母国を離れてみて、苦労してはじめて日本独自の文化の素晴らしさがわかり、心から敬意と感謝を感じるようになったのです。

この素晴らしい文化を、わたしなりに後世に継承していきたい。
そんな日本への恩返しの想いを、日々のお弁当作りに込めています。

それと同時に、もう一つの大切な想いが生まれました。
よそものの私たちを自然に暖かく迎えてくれた、アトランティック・カナダの人々。
彼らが愛するこの場所の魅力を発信していくことで、私なりの恩返しがしたいと思うようになりました。

アトランティック・カナダに移住して約17年、ローカルの第二の家族の人々と一緒にキッチンに立ち、この土地ならではの食材や食文化に触れながら、たくさんの家庭料理を作って食べてきました。
カナダで一番おいしいのは、私は家庭料理だと思っています。
そんな素朴で心が安らぐ家庭料理や、その背景にあるストーリーなども紹介していきたいと思っています。​

この日本とアトランティックカナダへの二つの想いを胸に、私のnoteでは、ローカル食材を使った少し風変わりなお弁当やアイデア、そしてカナダの豊かな自然と共に暮らす50代の日常を綴っています。
老化にとまどい、あらがいつつも受け入れながら、老後に向けた準備も織り交ぜた日々を発信中です。

◾️これまで反響のあった記事

「断捨離したい50代、エアフライヤーを買う」の記事が2026年4月にnoteで最もスキされた記事の1つに選ばれました。

note創作大賞2025 中間選考通過作(フード部門)

Contact

個人的なご用件は、こちらのメールアドレスにお願いいたします。

naostockp@gmail.com

私はこんな人生を歩んできました。

わたしはカナダ東部の端っこに住んでいます。ここはアトランティックカナダとも呼ばれているエリアで、噛めば噛むほどスルメのように味わい深い、とてもユニークなルーツと歴史を持つエリアです。

アトランティックカナダは、カナダ東端にある上記の4州を指す地域区分です。
面積としては、カナダ全土のわずか5%ほど。
おそらく日本人にはまだなじみの薄い、知る人ぞ知る地でしょう。ツアーガイドさんや地元の人も、「いわばカナダの隠された宝石だよ」と言います。ユネスコに登録された世界文化遺産や世界ジオパークといった歴史的・地質的に重要な場所がいくつも点在し、重なり、回廊のように連なっている、歴史探訪好きや古いもの好きを魅了する古い町並みが多く残っています。

私自身、古いものが好きなこともあり、初めてこの地を訪れた時の感動を今でも覚えています。
起伏の多い表情豊かな海岸線や、赤土の大地など独特な地形を望むハイキングコースなどアウトドア派の旅人の心もしっかり掴む場所。
7世紀から18世紀にかけてヨーロッパから渡ってきた多くの入植者たちは、まずこのエリアの沿海諸州に上陸しました。
もともと先住民ミクマクが暮らしていた土地で、フランスや英国からの入植者が覇権を争い、カナダの歴史はまさにここから始まったのです。
まさに噛めば噛むほど、スルメのように味わい深く、尽きない魅力にあふれるアトランティック・カナダなのです。

その4州は以下となります。

  • ノバスコシア州

  • プリンスエドワードアイランド州

  • ニューブランズウィック州

  • ニューファンドランド・ラブラドール州

この4つの州は、単なる地理的な分類を超え、歴史的・経済的に深いつながりを持っています。

この地域の主な特徴:

  • 歴史: カナダの中でも特に古いイギリス植民の歴史があり、独自の海事文化が息づいています。

  • 経済: 漁業や海洋関連産業が盛んで、海と密接に結びついた暮らしが営まれています。

  • 連携: 観光や政策、医療においても4州で協力し合うなど、一つの大きなコミュニティとしての結びつきが強いエリアです。

・歴史と海の物語が溢れるノバスコシア州。スコットランド移民の誇りを伝えるフィドルの音色が街角に響き、旅人を温かく迎えてくれます。特に世界遺産ルーネンバーグの、海沿いに立ち並ぶ愛らしくカラフルな家々は必見です。さらに、カナダ誕生のルーツを感じられるグランド・プレなど、カナダ開拓の歴史と美しい景観が調和するスポットが数多く点在しています。

・『赤毛のアン』の物語が生まれたプリンスエドワードアイランド州
赤土の断崖とどこまでも広がる青い海、そして島全体を包み込むようなのどかな風景は、時が止まったかのような優しさに満ちています。物語の世界が今も息づく島です。

ニューブランズウィック州は、カナダでも珍しい英語とフランス語が共存する州。フランス系移民のルーツである『アケイディア文化』が息づいており、独自の温かな言語や伝統、食文化がこの地に彩りを添えています。フランス語しか話せない方も多いです。

・4つの世界遺産と氷山が浮かぶ海――。カナダ・ニューファンドランド・ラブラドール州は、北米大陸の最果てにふさわしい、息をのむような絶景フィヨルドが広がる地。ヴァイキングの足跡や、北米最古の歴史を刻む史跡のそばを氷山が通り過ぎる光景は唯一無二の壮大さです。

地図内の黄色い地域はフレンチコミュニティーです。
これらの地域では主にフランス語が話されています。

それぞれが個性的な文化と魅力を持つ州ですが、共通しているのは新鮮でおいしいシーフードがどこでも楽しめることや、日本の車のCMでもたびたびロケ地として使われてきた美しい起伏豊かな海岸線も、大きな見どころです。
ヨーロッパに最も近い海を隔てた地理的場所ということもあり、文化、建築、食文化にも随所にイギリスやフランスの名残が残って、独自の文化を育んでいます。

よくきかれる質問、「どうしてカナダなの?」

私たち夫婦は海外移住を決めるにあたって、7年ほどかけてヨーロッパや南半球のさまざまな国を巡り、肌に合うか、自分たちのスキルを活かせる仕事があるかを現地で確かめながら、移住先を探しました。

最終候補として残ったのがカナダです。
最初は西のバンクーバーや近郊のガルフアイランド、東のトロントやモントリオールなどをじっくり見て回りましたが、二人そろって即座に
「あ、ここだ!」
と即決だったのがこのアトランティック・カナダでした。

とにかく、人柄がいいのです。
目が合うとニコッと微笑みかけられたり、レジの列で「どこから来たの?」と気さくに話しかけられたり。
このカナダ北東部の人々の優しさは、国内でも広く知られるほどです。

誰に対しても分け隔てなく接するその穏やかさに、どれほど心が救われたことか。素朴で温厚な彼らとの出会いは、今も私たちの心の支えとなっています。

このように小さな4州が隣接しているので、行き来もしやすい場所です。
どこへ行っても海が見え、新鮮な魚介類が豊富で、島国・日本で生まれ育った私たちにとって、なじみやすい環境でした。

まずこの地に惚れ込み、それから移住の準備を進め、最初に住み始めてから今までずっとこの州で、この場所で暮らしています。

このアトランティックカナダは、1605年にフランスからの移住者たちがカナダで最初の暮らしを始めた場所でもあり、今も小さな集落では暮らしの中に古いフランス文化が息づく地域も点在しています。
車で1時間ほど郊外へ走ると、フランス語が聞こえてくるエリアがあちこちにあるのも、この土地ならではの面白さです。
わたしはもともと骨董や古いものが好きということもあり、この数百年前からのユニークなルーツや独特の風土や文化が現存しているこの地域を、とても気に入ってしまったのです。

近所の早朝の湖で。
この地の風景や人々を、長年写真に撮り続けています。

好きなこと

物つくり全般が子供のころから好きです。デザイン、ソーイング、ドール作成、料理、お菓子作りなど。

高校では写真部でいつもフィルムカメラを持ち歩いていました。今も撮影のときは、あの頃の粒子を追いかけています。
noteの画像は、ほとんどが自分で撮ったもので、それらの画像にはnaoとウォーターマークを入れています。

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長い自己紹介(こんな風に暮らしていますバージョン)もご用意しました ⇩
これまでの歩みや、苦労話、危機、なぜカナダに来たのかなど──
お時間のあるときに、のんびりと読んでいただけたら嬉しいです✨
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この地で暮らし始めて2026年で17年になりますが、1年のうちの半分は薪ストーブに火を入れるほどの長い冬が続きます。

1970年に建てられた古い家の不具合を修繕しながら、暮らしやすいように二人で少しずつリノベーションしてきました。
薪ストーブひとつで暖を取るために、春には一年分の薪を用意して薪棚に積み上げ、いくつもの冬を越してきました。

一年分の薪の準備の様子です。
一日でひと冬分の薪を小屋に収める作業はとにかくきつく、腰が砕け、膝が笑います。
薪の準備やストック作業はなかなか大変💦重いので。
でも薪ストーブの温かさ炎のやすらぎは、
何物にも代えがたい心地よさを与えてくれます。

薪ストーブはこの寒い地域では命を繋ぐかけがえのないもの。
煙突も定期的にお手入れしながら使っています。
また、天板の余熱でパンを発酵させたり、シチューを煮込むことも。
料理はシンプルに、身近な食材で簡単にできるものが多いです。

薪ストーブ内に残った炭や灰は花や樹の肥料として、また暮らしの中で脱臭剤として使ったりしています。

こうして迎える春の訪れや、短い夏のきらめきは、いっそう尊く待ち遠しく感じられます。

古いものが好き-アンティークのある暮らし-

一五〇年前の漆のお椀

骨董好きだった母の影響で、日常で古いものや、いろいろな国の雑貨に囲まれて育ちました。
30代のときに古物商の免許を取得し、それ以来20年以上、仕事や旅でさまざまな国を訪れながら、和・洋問わずアンティークや古道具に触れて暮らしています。
時を経たものがまとう、少しだけくすんだ色や傷、そこに宿る「物語」のようなものが大好きです。
日本でもカナダに移住してからも、いつもそんな古いものたちに囲まれて暮らしています。

日本からもちこんだ古い器やアンティークも何十年も使っています。
古びた骨董の器やユニークなものが好きで、夫婦で共通の趣味でもあります。

日本食が恋しくて

日本食が恋しくなる。これはもう日常茶飯事です。
そんなとき、お弁当という存在が、家族のためにも、自分自身のためにも、胃袋をつかみ、手軽に心を落ち着けてくれることに気づきました。



ある日のお弁当 

お弁当には、ただ食べる、ということ以上のものが詰まっていると思います。
遠い昔、母が作ってくれたお弁当。当時はあたりまえのように食べていたけれど、大人になった今、お弁当のふたを開けて食べはじめると、その瞬間の記憶が蘇り、なぜか心がほっとするのです。

今、こうして海外で暮らす中で、あの頃ような、幸せな気持ちを再び感じることができるのは、お弁当が持つ特別な力だと気が付きました。
そして、お弁当を作ることが、自分とって日々の中で心を整える小さな儀式のように感じることもあります。

忙しい朝、おかずを作りお弁当箱ご飯と共に詰める。
そこには単に食材を並べるだけではなく、家族を思いながら詰めて、包む。

食べる人はなにげに食べているけれど、いつものおうちの味に疲れがほどけ、いろんな食材や色味から舌にも目にも元気をもらえて、季節をも感じることができたりする――

日本人にとってはとても平凡であたりまえのこと。
でも海外、とくにカナダではランチタイムの食事なんて質素なもの。
小学生も含め、学生とか食べ盛りでもサンドイッチと酸っぱい小さなリンゴ、
またはクラッカー数枚にチーズ、ぶどう数粒にスナック菓子がころん、
といった感じ。

旦那さんの職場は、現時点ではネイティブカナディアンしかいませんが、同僚は生のニンジンとチーズをちょろっとかじっておわりとか、ピザをワンスライスほおばっておわり。それが普通なんです。
これには正直びっくりでした。

離れて気が付いた日本の食文化の素晴らしさ

いえ、日本が特別なんです。
日本人の食に対する意識の高さがきっとどんな国よりも高いのだと思います。

そして、心底、思います。
日本という国に生まれ育ってその食文化の中で育って本当によかったなと。

お弁当に、日々どれほど救われているか。
私が作るお弁当や和食の材料はカナダの近所のスーパーで手に入るカナダの食材などがほとんどです。
なにぶん小さい田舎町なので、中心地の日本食材店にでもいかないと納豆もだしもこんぶもゆかりも売られてないですし、日本食材店でさえも品数すくないのですが(大都市の日本食材店ならいろいろあるかもしれませんが)、工夫しながら、できる限り和心を大切にしたお弁当作りを日々工夫しています。

「なんと、この人はこんな材料で作っているんだなぁ」
と、おもしろがっていただけたら嬉しいです。

私のnoteでは、海外でも日本でも簡単に再現できるお弁当や、時には健康志向のBENTO(ロカボ、代替肉、ベジ等)、そしてカナダの食材を使ったごはんや手作りスイーツ、ワンプレートごはんなども登場します。

いつかの週末のランチプレート。手前のピクルスは自家製です。

家庭菜園やガーデニングはほったらかしでも育つものだけ

また、プランター栽培ですが家庭菜園が趣味なのでちょっとした葉野菜などはそこからゲット。毎年、春に紫蘇の種まきしてます。
シソはもともとカナダの気候があまり合わないので、けっこう育てるの大変です。でも紫蘇はお弁当にはマストだから(笑)
カナダって紫蘇、ほとんど売られてないんですよ💦

家庭菜園は基本、ほったらかしで育つ丈夫なものだけ。
薔薇も大好きで何年かおきに、小さな苗を一つずつ増やしながら育てています。こちらもほったらかしでも丈夫に育つ品種だけ🌹

日本人の心、桜を植える

幼い桜の木の初めての冬超しの様子

7年前に庭に小さな桜の苗を植えました。
やはり春は桜を愛でて花見をしないと(っていうか花見酒しないと。やっぱ酒よ酒。🍶)なんか落ち着かなくて。

桜も肥料の配合がけっこうむつかしく、咲いたりほとんど咲かなかったり。毎年今年は咲いてね~!という気持ちです🌸

庭に植えた桜や、その葉を塩漬けにしたり、春には紫蘇を育ててお弁当の彩りにしたり、プラムを梅干し代わりに塩漬けにして保存食にすることも毎年恒例の作業です。

自然と共に暮らし、年齢を重ねて無駄なものをどんどん減らしていくうちに、「サスティナブル」や「エコ」、「リサイクル」といった言葉にも、気負いなく行き着いていたように思います。

我が家の家族構成

我が家は、夫と私、犬2匹の暮らしです。子どもはいません。
30代で結婚しましたが、その後、子宮の病気になりカナダで手術を受けました。
母が婦人科系の病気で亡くなった年がその時の私と同じ位の年齢だったこともあり、今思えば、あの時に手術していなければ、私はここにはいなかったでしょう。

結果、子どもができにくい体になりました。正直言うと、やっぱり愛する人の子どもを産みたかったし、親に孫の顔を見せてあげたかった。
その気持ちは、今でも正直あります。
子どもがいたら、また違う人生だったんだろうなと思うことも。

でも、これが私の人生。
夫とわんこたちと笑って泣いて時にけんかして、そんな毎日を楽しんでいます。

  • 夫(50代): 平日は毎日お弁当が必要。

  • 私(50代): お弁当がいる日といらない日がある。

  • スー(犬): 2012年春生まれのミックス犬(パピヨン×トイプー)。

  • ココ(犬): 2024年冬生まれのトイプー。

あっというまに初老になり、正直に言うと、夫婦ふたりきりだと、どちらかが先にいなくなった時のことを考えるとこわいです。海外だから余計に不安。
孤独とか、そういうのを考えると本当に凹んでしまいます。これも50代のリアルかもしれません。

これも向き合わなきゃいけない課題であり、団塊ジュニア世代ということもあり、老後の悩みはつきません。

トイプーのココ(♂Coco)とミックス(パピヨンxトイプー)のスー(♀Sue)です。

地元食材が教えてくれる、豊かな食の循環

私が暮らすノバスコシア州は、プリンスエドワード島(PEI)のすぐ隣に位置しています。この土地の食卓は、豊かな自然と共にあるといっても過言ではありません。地元の農家が育てた野菜はもちろん、PEIから届く果物や、近海で獲れた新鮮なシーフードが、日常的に近所のスーパーの棚を彩ります。

島と本土を繋ぐ「命」を支える場所

私が暮らすハリファックスは、アトランティック・カナダという広い地域の中で、医療や仕事の選択肢を支える場所となっています。
特に医療面では、周辺の地域から重篤な患者さんがヘリコプターで搬送されてくることもあります。
限られた地域の中で、専門医が多く集まっているのがこの街であるため、遠方から治療のためにやってくる方々を医療で支えるという、この地が持つ役割があります。
ここに住んでいると、そうした広域での医療連携や、地域の助け合いの連鎖を、日常の中でふと感じることがあります。

人々が行き交う、穏やかなライフスタイル

夫の職場を見渡してみても、PEIやニューファンドランドといった近隣の州からやってきた方々が大勢働いています。また、自然の魅力にひかれ、トロントやバンクーバー、時にはアメリカの大都市から、この地に移住してくる方も少なくありません。

ハリファックスからPEIへは、車で約3時間半の道のりです。橋が架かっているため車での移動もスムーズで、フェリーを使えば海を渡る旅情も味わえます。
この距離ゆえに、仕事の拠点であるこの街で働きながら、週末や長期休暇には“故郷の島”へ帰ってのんびりと過ごす――そんなライフスタイルを送る人々も多く、この地域全体が大きな家族のように緩やかにつながっています。

カナダの家族のような存在との出会い。そして受け継いだ知恵と味

メルママという名の「カナダの母」右も左もわからなかった移住当初、私を優しく包み込んでくれたのが、私が「メルママ」と呼ぶ女性です。

彼女との出会いは、夫が英語習得のために渡加した際、ホームステイ先でお世話になったホストマザーだったこと。
夫が英語をまったくといっていいほど話せない時から知っているわけです。
夫のホストファミリーと過ごした当時の暮らしのは、こちらの記事に書いています⇓

夫が一年間彼女たちと屋根の下で暮らし、その後私が合流してからも、お互いにスープの冷めない距離で暮らし続けています。

私より22歳年上の彼女は、私にとってまさにカナダの母。右も左もわからない異国の地で、ローカルの料理の作り方、地域のしきたり、……何一つ知らなかった私に、彼女は一つひとつ丁寧に、そして惜しみなく教えてくれました。

メルママの妹の家で週末を過ごすことも多いです。
離島なので小さなフェリーで一時間半かけて船で渡ります。
お店は一軒もありません。住人だけが住む島です。

世代を超えて溶け込む、現地の暮らし

ご縁は彼女にとどまらず、ご両親、3人の子どもたち、そしてその孫たちへと広がりました。今では家族の一員のように、世代を超えた付き合いが続いています。

彼女のおばあちゃんとおしゃべりを楽しむ優雅なティータイム。メルママの実家があるプリンスエドワード島へ遠征し、親戚のコテージで波音を聞きながら過ごす休暇。

新しい命の誕生をみんなで祝い、誕生日やクリスマスには食卓を囲む。その一方で、おばあちゃんやおじいちゃんとの別れという、人生の厳しくも切ない場面にも立ち会ってきました。

キッチンから始まる、物語

彼女と一緒にキッチンに立つ時間は、私の大切な宝物です。
代々受け継がれている料理や、旬の果実を活かしたデザートを作ること。
古い器や受け継いできたアンティークのカップで丁寧に紅茶を淹れること。
彼女の背中を見ながら学んだのは、ローカルのレシピだけではなく、暮らしそのものを慈しむ思いでした。

私に「カナダの暮らし」を教えてくれた彼女たちへの感謝と、そこで受け継いだ温かな知恵を、日々の食や暮らしの記録として皆さまにもお届けできればと思っています。

海外で生きるという決断——すべてはここから始まった

私も夫も日本人で日本で生まれ育っていますし、私は何の疑問もなく一生をそこで全うするものだと思っていました。
日本の伝統的な文化も食も、四季の移ろいも、そこにあるすべてを愛していたのもあります。

けれど、夫が
「自分の力を海外で試したい。自分たちの老後を視野に入れたうえでそうしたい。」
と本気で相談してきたときに、私はとても迷いましたが、その挑戦にかける決意をしたのです。

カナダ移住計画と実行

移住に向けて、まず必要なのが資金です。
33歳の時にカナダ移住の決断をし、それから綿密な移住計画を立て、目標移住資金額を決め、それから丸7年かけて二人で懸命に働き、やっと目標の移住資金に到達した時は、39歳。もう40代が目の前でした。

カナダ移住について調べられるあらゆることは終えて、シニアの愛犬と共にカナダに移住しました。

二人でなんのあてもなく、頼る人もいないカナダ移住に挑戦したわけですが、私たちは富裕層でもなんでもない、英語もろくに話せない状態。
当然それからの10年は綱渡りといっても過言でない日々で多難でした。

苦労の積み重ねで、ようやく見えてきたこと

30代後半で渡航し、今では50代半ば。
この長い年月は、決して穏やかな日々ばかりではありませんでした。
言葉の壁、文化の違い、押し寄せる孤独や不安。
それはもう、綱渡りの人生でした。

突然の救急搬送

ある時、夫が友人宅のある遠方の小島へ用事で出かけた際のことです。
私は別の用事があり同行していなかったため、一人で島へ向かった彼から連絡が途絶えることを想像もしていませんでした。

しかしその出先で、彼は突然倒れました。
「心房細動」という、いわゆる心臓の痙攣によるもので、生死の境をさまよったのです。私はその間、現地の友人から電話越しに状況を告げられることしかできず、生きた心地がしませんでした。

倒れた日の朝、夫は心臓の重苦しさを感じて友人にそのことを伝えようとしました。しかし友人は、夫の顔を見た瞬間にその深刻な悪さを察し、言葉を失うほど驚いたそうです。

島という立地ゆえに病院は遠く、フェリーは数時間に一本しか出ません。夫は急遽手配されたボートで一時間かけて本土へ渡り、そこでようやく待機していた救急車へと引き継がれました。

搬送後、心臓蘇生器(AED)による電気ショックを受けることになったのですが、その直前に夫のスマホからかかってきた電話の声は、何と言っているのか判別できないほど衰弱していました。
「いまからショックするから。祈っててね。」と言っていたように思います。

40分後、スマホが鳴って、いつもの夫の声が聞こえた時は本当にうれしいのと、怖かったのと安堵感でもう、震えまくりで腰が抜けそうでした。

なんとか無事に正常な鼓動を取り戻すことができましたが、当時、心臓疾患の既往歴もなく、直近の健康診断でも全く異常はなかったのですが、なぜこういうことが起こったのか、原因を考えてみました。

当時の夫は40代前半、仕事で最も多忙を極めていました。 週末には楽しみのビールを重ね、遠方への手伝いなどもあって疲労が蓄積していました。
アルコールは体内を脱水させると言いますが、今思えば、夫は水分補給も不十分でした。

ドクターからは、働き盛りの男性には起こりうる症状だと言われました。
発症からの数年間、夫の心臓はまるでガラスのように不安定で、カフェインさえ受け付けない状態でしたので、大好きだったコーヒーもそれから4年間くらいはぜんぜん飲めませんでした。

それでも食生活や習慣を見直し、それ以降も心臓の手術などをすることもなく、今では正常な状態に近いくらいまで調子が戻っています。
やはり、水分をあまりとらない時に調子が悪くなりがちでしたので、今でもこまめな水分補給を心がけ、大きな水筒を職場に毎日持参しています。

そんなふうに、私たち夫婦はそれぞれが手術を経験し、心身ともに限界に追い込まれた時期もありました。
日本から一緒に連れてきた大切な家族である愛犬との別れも経験しました。

痛みや喪失を繰り返すうちに、ようやく腑に落ちたことがあります。
限りある命の時間を、ただの「日常」として消費するのではなく、今日という一日にできるだけ丁寧に触れ、愛おしむこと。
どうせ思い通りにはいかない毎日なら、せめて機嫌よく、笑って、今日という時間を使い切る。
そうやって、いつもの暮らしを淡々と積み重ねていくことこそが、私なりの生き方なのだと思えるようになりました。

50代、揺れる年齢。

体はまだ動く。やりたいこともある。
けれど更年期の波や体調の変化、細くなった髪に、ハリのない肌。
だいぶんくたびれてきたなあ、と思う今日この頃。
体力的に疲れが取れないと感じる日も増えてきました。

「老い」という言葉にまだ馴染めず、「若さ」とはもう距離がある。
そんな揺らぎのなかで、どう自分らしくいられるか、同じくらいの年齢のかたもいらっしゃるのではないでしょうか。

私自身、30代で海外に渡り、50代を迎えたいま、もうそろそろ60代も見えてきました。
暮らしの意味も、生きる目的も、少しずつ変わってきたのを実感しています。そしてこの歳までこうして生きられていることにも感謝でいっぱいになるのです。
私の母は、50歳ですでにこの世にいなかったから。
母の年齢を超えた時、生かされていることのありがたさと、時間を大事にしなきゃととても強く思うようになりました。

50歳を超え、もうあと数年でアラ還。
だいぶくたびれてきました。
そしてだからこそ見えてきたものもあります。
それは、日本にも海外にも、大事に伝えられてきて受け継がれる、
かけがえのない「想い」、そして「継承」があること。

今日という日を、ほんの少し整えるために

50代を迎え、頑張らずに開放して生きる、感謝しながら。
そんな小さな選択の積み重ねを楽しんでいます。

このNOTEでは、お弁当を通して、季節を感じるごはんや、
カナダの小さな田舎町で見つけた食や暮らしの工夫、
そして、ときどき立ち止まりながら整えてきた、老いによる心と体の変化についても、ありのままに書いています。

最後に、日本を離れて、長く海外に住んではじめて日本の文化がどれほど素晴らしいか、よくわかりました。
今まで当たり前におもっていたこと、例えば

出汁をとること、
和食を作ること、
四季を愛でること、
古いものを大切にしながら愛しむ心、

唯一無二のすばらしい文化を、日本人の一人として、これからも大切に慈しんでいきたいと思っています。

また、ここカナダの地にも、古いものを愛し、使い続ける豊かな文化が根付いています。
日本とカナダ、両国で育まれてきた古きよきものを、日々の暮らしの中に自然に取り入れながら、次世代へ少しずつでも繋いでいくことができれば幸せです。

この地での暮らしや食、そして古物を通じたささやかな発見を、読んでくださる方と一緒に、楽しみながら分かち合えたら嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

筆者:桜野ナオミ
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写真クレジット:すべて筆者撮影

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