人の記事にコメントする勇気
私はこの2年、時々しか人の記事にコメントしてこなかった。
noteでは自分の書きたいことを書ければ十分だと思っていたし、能動的に他者との交流をしていくつもりはなかった。
スキも多少押してはいるが、最後まで読んでもスキを押さずに閉じてしまうことはよくある。(ごめんなさい)
共同マガジンやメンバーシップ、何かの企画に参加とか、そういった他の人たちと交流系のものとはあえて距離を置いてきた。
まるで、みんなが文化祭やレクリエーションで協力し合いながら楽しんでいる姿を横目に、教室の隅で日々机に向かい「話しかけんなオーラ」を漂わせながら、ガリガリと自由帳に謎の文章を熱心に書き続けているこじらせ女子のよう。
積極的な交流がしたくてnoteを始めたわけじゃないから。自分の考えをただ言語化するために始めたのだから。「初志貫徹、ブレるな自分」と言い聞かせて。
今後もその基本的なスタンスを変えるつもりはないけれど、最近少し気が変わって、挑戦してみたことがある。
それは、「コメント」だ。
ここ数日で、自分から"2件"もコメントした!
思わず声を出して笑ったほど面白い記事を読んだので、ただただ「めっちゃ笑えた〜」という感想を伝えたくなって。
もちろんこれまでも何度かは人の記事にコメントしたことくらいはある。しかし、今回の2件は、自分的には「コメントしようか迷いに迷って、書いてみた」という感じだった。いつもだったら「うーん、やっぱりやめとこ」となっていたと思う。
今更ながら、自分からコメントするのってかなり勇気がいる。自分の記事に頂いたコメントに返事するのとは訳が違う。
こんな自分がいきなりコメントしてもいいのだろうか?的外れな感想になってないだろうか?相手は失礼に感じないかな?コメントしたらきっと相手も私の記事を読みに来るよね…恥ずかしいな…
コメントくらい気軽に書けば良いのに、なぜかコミュ障や自過剰が一気に発動してしまい、コメントを書くまで、どうしよどうしよ〜としばらく悩む。
推敲に推敲を重ね、「えいやっ」と送信してからも、今頃相手に通知がいっていると思うと急に不安になる。チキン。
今まで自分からはほぼコメントしてこなかったくせに、急にコメントしようと思えたのには、とある経緯がある。
先日、自己紹介を書いたのだけど、構成を少しだけ工夫して、ちょっとした仕掛けを入れて書いてみた。
これまでの記事は、自分との対話を優先したかったので、あえて読者への語りはせずに書いてきた。「あなたはどうですか?」といった読者に話しかけるようなことは書かず、ただただ独り言の垂れ流しという感じで。
この自己紹介で、おそらく初めて、読者の反応を期待しながら書いたかもしれない。
公開後は、意図した仕掛けがちゃんと伝わるのか、反応があるのか、正直不安だった。
そこに、早速コメントを下さった方がいた。
最近よくコメントを下さるようになったMieさんだ。
しかも、私が欲しかった通りのリアクションをくれた。大成功!泣
こんなこと書くとネタバラシみたいでダサいが、本当に、めちゃくちゃホッとした。
あ〜よかった、ちゃんと伝わった。ちゃんと最後まで読んでくれる人がいた。書いてみてよかった。
そう思った。
誰かのコメントがあって、ようやく記事が完成した感じがした。文庫本でいうところの「あとがき」みたいな、書いたものに対しての裏話や補足を書けるスペースみたいな、なんかそんな感じ。
「スキ」の反応だけでも十分嬉しいのは確かだけど、Mieさんがコメントをくれなければ、きっと私は今でも「え〜結局これ成功したの?スベったの?」とモヤモヤしていただろうと思う。たった1件、されど1件。
その経験から、読者に話しかける口調で書くというのはそういう怖さも抱えているのか、という新しい発見があった。自分との対話としてひとり孤独に書いているだけでは気づけなかった。
そして、その後に、書いたものを世界に公開する"勇気"に関する話を書いた。
その話を書いてから、またぐるぐると考えた。
「人を笑わせる話を書いて公開するのって、きっとめちゃくちゃ勇気いるだろうな」って。
だって、漫才やコントみたいに、その場ですぐ反応がもらえるわけじゃない。YouTubeみたいに、笑い声やガヤや効果音を編集で追加したり、誰かにツッコんでもらったりできるわけじゃない。
文章や写真だけで、読んでいる人を笑わせるって、その文章力や内容もすごいけど、何より公開する時に勇気がいると思った。
「ちゃんと意図した笑いが伝わるか」
「このテンポや間でいいのか」
そういう不安を感じながらも、読んでくれる人を信じて書いたものを出すのかなーと。
明るくてお調子者な人に限って、意外と小心者で誰よりも優しかったり傷つきやすかったりする。人を笑わせるのも、緻密な計算でやっていたりする。
そこまで深く考えずにマジでただのノリだけで「ウェーイ!」というテンションや天性のおバカで書いている人もたくさんいるかもしれないが、中にはとことん計算した上で書いている人もいるはず。
そうだとしたら、その勇気をささやかでも応援できるのであれば、自分からコメントするのも良いかもしれないなと思うようになった。さっきの記事を書いてから。
YouTubeなどでも、コンテンツそのものだけでなく、コメント欄を読むまでが、面白さの要素だ。
ふざけた動画にコメントがゼロの状態より、たった一人の「ワロタw」のコメントがあるだけでなぜか面白さが倍増する。「だよね、笑えるよね」と味方を見つけて安心して笑えるような。
大喜利状態になっているコメント欄もあったりして、なんやったら本編以上に面白かったりもする。
「コメント欄」には、交流目的以外に、そういう役割もあるんだな〜と思うようになった。
フォロー返しとかスキ返しとかそういうのはどうでもよくて、ただただ「面白かった、笑えた、泣いた」という感想があるだけでも、「書いた甲斐があった!また書こう!」と誰かが思えるかもしれないなら、これからは心が動かされたと思った時には躊躇わずにコメントしたいと思った。
何より、私自身の「勇気を出す練習」にもなるし。
この2年間で私の勇気レベルはちょっと上がってきたので、書いたものを公開するのに勇気はあまり必要ではなくなってきた。今後は「自分からコメントする」というアクションで勇気を出す練習をしようかな。
私がコメントした2件の記事は、本当はみんなに紹介したいくらい面白かったけれど、あえて貼らないでおく。というか私なんかが紹介しなくても面白いから勝手に人気になると思うし。
それに書いた方がどれくらいのテンションで書いたのか分からないし、「別に全然勇気なんて出してないけどw」と思われるかもしれないので。笑
あくまで、私の勝手な解釈なので。
今後は能動的にコメントするとは言っても、他の人に比べたら、これからもコメント数は少ないとは思う。
自分との対話という基本スタンスは変えずに、目線は読者じゃなくてなるべく己の中に向けていたい。
正面から顔をじっと見られるんじゃなく、横からたまーに覗き見されるくらいが、心地良い。
noteの隅っこで、私はこれからもガリガリ書く。
気が向いたら、ときどき、誰かを応援する。
それくらいの、私らしい地味な関わり方で。
<後日追記>
書いたからには口だけじゃね〜と思い、あれから実際に何回か人の記事にコメントをした。相手からどんな反応が返ってくるのかは毎回怖いが、重要なのはそこじゃない。己の心が動いたことに気づき、勇気を出して自分から先にコメントできたのなら、それだけで💯!返事が来たら+20点!
<さらに追記>
勇気を出してコメントして良かったな!と思えることがありました。
↓詳しくはこの長編で!
