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言語化の力について(長編)


前回の続き〜


今、言語化について言語化するモチベが私の中で過去最高。年末年始はきっと落ち着いて書けない。今のうち!この熱が冷めないうちに!言語化は鮮度が命よ!!

今回の記事、引用が多いのもあるが、6000字以上の長編になった(笑)興味のある人は年末年始休みにでも読んでください。

まぁ、伝えたいことが溢れると、当然長文になっちゃうよね。夏目漱石の『こころ』の先生だって、死ぬ前に分厚い手紙を送り付けてたし。




(文体のテンションをフラットに戻して)



書いたり書かなかったりを繰り返しながら、
なんだかんだでnoteも3年目。

正直、言語化スキルが上がった気は全くしないのだが、それでも書けば書くほど奥が深く、おもしろいと感じる。

この「言語化」というものには、何だかもっとすごい力が秘められているはず。そんなの、学校で教わってないよ。一体どんな世界の秘密が隠されているの?

書いても書いても、分からないことだらけ。
言語化に関する本を読んでも、まだ分からないことだらけ。

私は、まだまだ分からない。だから知りたい。
言語化のことも、自分のことも、他者のことも、
そして、この世界のことも。

唯一分かるのは、これ、無知の知。
哲学の父、ソクラテス!



それでも最近、ちょっとだけ言語化の力を実感する出来事に出逢った。それを通して感じたこと考えたことを、できる限り言葉を尽くして書いてみたい。


先日の記事で私は「高精度で言語化できるようになりたい」と書いた。

そして、そうなりたい理由も言語化した。

①自分という人間を正確に認識して
②できる限り誤差のない自己一致した言葉を引き出せるようになって
③現実世界での自分や他者との円滑なコミュニケーション、違和感のない意思疎通ができるようになりたい


要は「コミュニケーションが上手くなりたい」
ただ、それだけのこと。

コミュニケーションは、人間関係の基礎。というか本質。生きる上での必須スキル。

言語化が下手だと、最悪間違った薬を処方されるぞ。苦しむのは自分だぞ。それでいいのか?
私は嫌だ。最速で良い薬に出会いたい。



少し前、私はある記事でこう書いた。

これからは心が動かされたと思った時には躊躇わずにコメントしたいと思った。何より、私自身の勇気を出す練習にもなるし。


言ったからには、有言実行しないとダサい。
とはいえ、無理にコメントするのも違う。

何か心が動いた、筆者に何かの言葉を伝えたい、と思ったときだけ正直に、ちょっと勇気を出してコメントしてみよう。そう、心に決めた。


世界に堂々と宣言してしまったこともあるけれど「相手が喜ぶ、また書こうと思える」&「自分の勇気を出す練習にもなる」という大義名分を得た私は、その対価として、それまでの「うーん、でもなぁ…」と人の記事にコメントをしなくて済む言い訳を失った。


誰かの言葉で心が動いたと感じたら、私の選択肢はもはや「コメントするかどうか」ではない。「この感情を正確に伝えるには、どんな言葉を選んだらいいか?」である。私の勇気レベルは、次のステージに上がったのである!



そんなある日、ある記事に出会った。JMさんという男性の記事。以前からフォローはしていた。文章を通して「静かだけど、熱い人だなぁ」という印象を持っていた。



私は勇気を出して、JMさんのその記事にコメントをした。言いたいことはまだまだあったけれど、コメント欄には書ききれない。だから、記事を引用して、自分の記事で思う存分書いた。


私は、辛い過去について書いた。(といっても、私にだけ挨拶を返さない女がいて超ムカついたんだけど!!ってだけのよくある話w)


JMさんはそれに対して「俺だったらこうする」と対処法の一つとして提示してくれた。

同じ職場で
・自分にだけ素っ気ない
・挨拶しても返してこない
そんな人がいたら、俺はこう思います。
「じゃあ、俺も同じ温度でいいや」
挨拶も、したい気分ならする。
仕事に必要な最低限のやり取りができれば、それで十分。

JMさんのコメントより


この意見には、私も同意だった。悪意のある失礼な人には、真面目に対応しなくてもいいと思う。

でも、当時の私はそれができなかった。どうしても「私も挨拶をしない」という「やられたらやり返す」ができなかった。

どうしてだろう?JMさんの意見はすごく分かるのに、「完全に同意します」とは言えない、この違和感はなんだろう?どうして私はあの時、「私も挨拶しなくていい」とは思えなかったんだろう?

この気持ちをどうしたら、言葉にできる?どうしたらJMさんを否定することなく、不快にさせることもなく、私の意見を伝えられる?どの言葉を選べばいい?


悩みに悩んで、私はこう書いた。

私も当時考えたのですが、女のプライドなのか分かりませんが、「あの女と同じ土俵に上がるのは負けたみたいで嫌。同じレベルに成り下がるのは癪に障る」と思い、こちらからの挨拶だけは続けることにしました。

「相手がどんな反応だろうと、誰に対しても同じ態度でいる自分、人によって態度を変えない自分」のほうを大事にしたかったのだと思います。

私のコメントより


我ながら、しっくりきた。

そうだ、私はその女の「人によって態度を変える」ところが一番嫌いだった。嫌いなヤツと同じことをするのはしゃくだった。相手がどんな態度だろうと、私は「態度を変えない」自分でいる。そういう自分を貫く。大切にする。

それが、私なりのささやかな抵抗、プライドだったのだろう。


もちろんJMさんは、同意をしなかった私のコメントに対して「俺様のアドバイスを否定する気か!」と逆上したりしない。変な都合の良い解釈をしたりしない。冷静に受け止めてくれ、また追加の情報をくれた。

そう自分の行動理由として、客観的に言語化できてるのは本当に素晴らしいと思います。多くの人は感情で動いて終わりますし、考え方も非常に誠実だなって思うので。

俺の場合はそんな誰に対しても同じようにってのは出来なくて、自分に対して好意的に接してくれる相手とそうでない相手に同じ接し方をしたら不平等だって考えです。

なので、そうでない人には最低限に対応することこそ、俺の中では平等でフェアな接し方って考えてます。

JMさんのコメントより


あ〜〜〜なるほど!!JMさんの意識のベクトルは自分よりも「周りの人たち」なんだ。


態度を変えないでいたら、好意的に接してくれた人が「俺はこんなにJMさんに好意的に接しているのに、他のみんなと同じ態度なのかよ」とガッカリするかもしれない。誰にでも同じ接し方をしている方が、好意的な相手に対して不平等。という論理。確かに、それも筋が通っている。


私は「自分のプライドを守るため」で、JMさんは「周りの人のため」。え、なんかそっちの方がカッコよくない?笑


対話の末、私は、ようやく心から納得した。

私だって、もしもJMさんからの返事が煽りコメントへの塩対応と同じ「お大事に」のみだったら、「どうして!?こんなに好意的なコメントをしているのに!」と不満に思うだろう。笑

「誰に対しても同じ態度でいると決めているんです」と言われたって「それにしても、冷たすぎない!?」と思ったことだろう。


「誰に対しても同じ態度でいることが、常に良くて正しいわけじゃないんだ!」と大きな学びを得た出来事だった。他者と議論するということは、自分にはない視点を得られる、素晴らしいことだなと改めて思った。


とはいえ、「誰に対しても態度を変えない自分を大切にしたかった」と初めて言語化できたこともまた、私にとっては大きな収穫だった。人に説明できる引き出しがまた一つ増えたのだから。


どっちも正解、どっちもアリ。どっちが良いとか悪いとか、誰が正しくて誰が間違ってるとか、そういう分かりやすい基準じゃないんだよ、コミュニケーションは。だから難しいの。だから人類はもう何世紀も悩み続けてるの。そして断定や論破が褒められる時代は終わったの。今はもう多様性の時代なの。



今度は、それを読んだJMさんが私の記事を引用して、記事を書いてくれた。私宛というよりは、JMさんの読者向けのメッセージを伝えるために。



それを読んで、私はさらに伝えたいことがあったが、長文すぎてコメント欄の500字制限に引っかかったため、3回に分けてコメントした。笑




再び、noteの街の隅っこの、
とある記事のコメント欄で、
静かなる熱い議論が交わされた。

JMさんの読者に届くかは分からない。

それでも、自分から言葉にしなければ
私の思いは何も伝わらない。

必要なのは言語化スキルじゃない。
言葉にする勇気と、
相手を信じる心だけだ…


私は、先ほど書いた「しっくりきた理由」の話を書いた後、こう続けた。

誰かとの議論や言語化の力を改めて実感しました。しかも、AIやJMさんなど誰かに代わりに言語化してもらうのではなく、「自分の中から出てきた言葉」ということに大きな意義があると思いました。

今は、誰でもAIに気の済むまで話を聞いてもらうことができます。でもAIに心なんてありません。近寄りがたいなと思いながらも勇気を出して声をかけたり、返事に心を動かされることもありません。 心を持った人間相手だから、どうしたら正確に伝わるかを考えるし、言葉を選んだり、相手の意図を汲み取ろうとしたり、配慮や思いやりがあります。頭ではなく心も使います。

恋愛も同じだと思います。女の立場から見ても、思いやりがあり、本音をさらけ出して傷付く勇気のある男性は、人間としてもカッコいいなと思います。もしもJMさんに相談しようか迷ってる人がいるなら「いいからさっさと相談してみろ!!漢だろ!!」とエールを送ります🍺✨

なかなかの長文だろ?笑


JMさんは、また真摯なコメントを返してくれた。

こうしてやり取りする機会が生まれたことを、俺自身も嬉しく思っています。

日本には、いわゆる「議論」や「ディベート」の文化があまり根付いていないせいか、 意見の違い=論破、反論、批判、あるいは薄い共感、極端な場合は集団での誹謗中傷、 そんな構図が多いように感じています。

でも俺は、本来の議論って、 「そういう考え方があるんだな」と一度相手の主張を受け取った上で、 「俺はこう考えている」と自分の立場を差し出すことだと思っています。 勝ち負けを決めるものじゃなく、お互いの思考を照らし合うもの、というか。 だから記事でも、「正解」を押し付けたいわけじゃなく、 もし困っているなら、こう考えてみるのも一つじゃないか、 そうやって思考をほぐすためのヒントを渡せたら、 という気持ちで書いています。

AIについての話も、まさにその通りだと思います。 これからAIは、間違いなく人間にとって欠かせない存在になっていく。 ただ同時に、心を持った人間同士のやり取りの価値は、 むしろ今まで以上に高まっていくとも感じています。 心がある相手だからこそ、どう伝えれば正確に届くかを考え、 言葉を選び、意図を汲み取り、配慮や思いやりが生まれる。 そのプロセス自体が、人間らしさなんだと思っています。

momeさんのエールが、今、踏み出すかどうか迷っている人の背中を、 少しでも押すきっかけになれば、俺も嬉しいです。 気持ちのこもったメッセージ、ありがとうございました。

なかなかの長文だろ?②


私の返事。

ありがとうございます!
本当にそうで、議論=バトル、勝ち負けみたいな印象がずっと嫌でした。意見が違うからこそ議論は楽しいのに。
このやりとり自体がとても嬉しいし書きたいことがまだまだ出てきそうなので、たぶんまた自分の記事で書かせて頂きます😄

もっと書きたいところだけど、続きは自分の記事で書こう


JMさんの返事。

よく「価値観が同じ人がいい」なんて言われますが、 俺はまず、価値観は人それぞれ違うものだって前提を持つ方が健全だと思っています。 違いを否定するんじゃなく、違いがあるからこそ面白いし、 議論も楽しくなる。

男性と女性なんて、四角形と三角形くらい、そもそも形が違う。 角を無理に合わせようとしても、合うはずがないですよね。 それなら、どこまで重なる部分を作れるかを、お互いに探していく。 そのスタンスの方が、関係としてはずっと自然だと思っています。

また記事を書かれるとのこと、楽しみにしています。 このやり取り自体も、俺にとっては嬉しい時間でした。

嗚呼、これぞ大人の回答


こうして、JMさんは、私の師匠となった。
気づいたら、私はJM道場に弟子入りしていた。

JMさんの読者ターゲット層の男でもないし、課金もしてないくせに。まぁ、一人くらい女が紛れ込んでたって、JM師匠ならそんなちっせぇことは気にしないだろう。同じ人間同士、言葉さえあれば、分かり合える。



別記事でも書いたが、また書かせてもらう。



でもさ、noteってこれが楽しいんだよ!!
これがnoteの醍醐味なんだよ!!!
きっと私が一番良いnoteの使い方してる!!(自負)

こんな長文が許されて、
むしろ歓迎されるSNS、あるかい?

こんなに安心して誰かと議論できる、
民度の高いSNS、他にあるかい?



コメント欄、恐るべし…

あそこは交流を求めるキラキラ軍団の居場所、私には関係ないし…と思っていたのはどこのどいつか。

この私こそ!
一番コメント欄に向いているではないか!!



スキの数とかフォロワー数とか
他者評価は関係ない。

自分の考えを、意図を、
正確に相手に伝えられるように。

相手の考えを、意図を、
正確に理解できるように。

コミュニケーションが上手になるために。

人間関係で余計なストレスを抱えずに
楽しく、この地獄を生きていくために。


いつか誰かを、私の言葉で助けられるように。


そのために、
私はここで言語化の練習をしたかったのだ。



書けば書くほど、言語化の力を実感する。

ただひたすらに考えを文字にしていけばいいわけじゃない。単純にボキャブラリーを増やせばいいわけじゃない。自分の思いがどうしたら正確に表現できるのかを常に意識しながら、「言葉を選ぶ訓練」を積んでいくこと、自分がしっくりくる言葉をチョイスするセンスを磨くこと、他者と議論して理解を深めることこそが、言語化練習の本質なのだ。



しっくりくる言葉は、外からインプットしてもなかなか見つからない。運が良ければ、小説やエッセイや、誰かの書いた文章の中で「あ!私が言いたかったことを代弁してくれてる!」と出会える時はある。

でも、しっくりくる表現に出会えたからといって、直接自分の言語化スキルに繋がるわけではない。

その表現を参考にしながら、自分なりの言葉で自分だけの視点で、考えを言葉にしてみる練習をしていかなければ、自分のものになったとは言えない。



ああ、今書いていて、また気づいたことがある。

私は初めて投稿したnoteの記事で、よしもとばななの小説に出てきた繊細な表現について書いた。


よしもとばななは、精神的な表現や、スピリチュアルっぽい話が多い。言葉にならない「感覚」「センシティブ」を表現するのがきっと日本一うまい人だ。

だから私は、好きなんだな。憧れちゃうんだな。



もっと、言葉を巧みに操れるようになりたい。

「なんか〜」「なんとなく〜」「うまく言えないんだけど〜」ではなく、余裕で的確に感覚を表現できちゃう、カッコイイ大人になりたい。


ああ…

結局また「憧れ」の話に行き着く。
私はいっつもそこ。この世界で憧れてばかり。


終わりのない、憧れへの修行は続く。




***


あぁ〜〜疲れた!!でも楽しかった!
卒論書き切ったくらいの達成感(笑)
(JMさん、軽率or失礼な表現があったら申し訳ありません!!)

短編小説は書けないくせに、これなら書ける。
もはや、これが私なりの長編小説。


この秋から結構書きたいだけ書いてきたので、年末年始は極力デジタルデトックスする予定。

良いお年を🎍



<追記>
本記事の修正箇所についてのお詫びと、気づき。

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