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私は自由帳ガリガリ女



自分が思うよりもずっと、
私は自己肯定感が高いのかもしれない。

よほどテキトーなノリで書いた記事以外は、新しい記事を書くたびに「よし!今回が今までで一番うまく書けたかも!」と達成感を味わい、まずは自画自賛をする。脳内で一人打ち上げである。

次に、冷静になって、書いた文章を読者の視点で最初から読み直す。

ん、ここ、なんか読みにくいぞ。"事務連絡"より"業務連絡"の方がニュアンス合ってるかも。句読点ここ多すぎ。一文が長すぎ。あ、ここ、誤解生みそう。主語が抜けとるな。誰の話だよ、わかりづらいよ。なんか倒置法が連続してくどい。漢字ちょっと多いな、ひらがなに直そう。この段落は順番変えた方が論理的かも。この単語の意味ほんとに合ってる?別の単語のほうが適切かも。辞書引いてみよう。あ、やっぱり意味ちょっと違う。

脳内


毒舌批評家かカリスマ編集者の気分で、完成した原稿にどんどんペン入れをして修正していく。校正スキルは学んでいないので完全な自己流だけど、それでいい。校正にはある程度の決まり、ルールがあると思うが、私は別に"ルールを守った正しい文章"を書きたいわけじゃない。

どうしたら自分の感覚に一番近い、正確な表現になるか。どの言葉を選べば、自分の頭の中を忠実に再現できるか。修正すればするほど、だんだん正確さが増していく。その過程が、おもしろい、楽しい、気持ちいい。



ちなみに、この時点で、すでに記事は公開されている(笑)私は公開後のほうが誤字脱字や修正箇所に気付きやすいので、まずは勢いで書いて少しだけ見直ししたら、とりあえず公開することにしている。

公開直後の文章を、数人くらいには見られてしまった可能性はある。早速誰かの「スキ」の通知。くそ、こんな完成度の低い初稿を見られてしまったか。間に合わなかったか。(なら公開すんなって話なんだけどね)


しかし、それでもいい。私はプロのライターや作家ではない。考えに考え抜いた文章を、万年筆でぬらぬらと原稿用紙に書いて出版社に送るわけではない。休み時間にまっさらな自由帳に鉛筆で、暇つぶしとして思いついたままに書いているだけ。

フォロワー向けに書いているわけでもない。彼らは、私の読者やファンではない。言い方は悪いが、通りすがりの覗き魔のようなもの(失礼)。私の自由帳を覗き見したい人だけが勝手に自由に見ればいい。私はただの「自由帳ガリガリ女」なのだから。(参照



自由帳は、自由に書くからこその自由帳。そして、鉛筆や消しゴムの素敵なところは、間違えたらいくらでも直してOK!という、書く人に対する懐の深さ。自由度の高さ。万年筆だったら、何度も書き直すなんてことはできない。一度書き始めたらミスは許されない。どうしてもダメなら新しい紙に書き直し。


私にとってnoteは自由帳なので、気に入らない表現があったら公開後だろうと何度でも修正する。人の記事に書いたコメントだろうと修正する。noteのそういう自由なところが好き。言葉を丁寧に扱いつつも、間違いを恐れて慎重になりすぎることなく、安心して書くことができる。



最近、私の記事に「ふざけてるけど、わりと本気です」さん、通称「本気さん」がこんなコメントをくれた。

本当はあの記事で 「momeさんがガリガリと自由帳に文章を熱心に書き続けているこじらせ女子なら、私はその自由帳をチラ見して、上から目線でふーん?いい文章書いてんじゃん…?と負けじとガリガリ書くこじらせ女子」と書きたかった!

本気さんのコメントより一部引用



勝手にライバル視されていて笑えた。
ここにもガリガリ書く女がいた。笑 

なお、本気さんのいう「あの記事」とは、おそらくこちらの記事のことです↓


勝新太郎はほんとワロタ。でもコメント欄が楽屋って感覚はなんとなく分かる。だからコメント欄の方が、記事よりも筆者の人柄が伝わりやすいのかな。


ちなみに、本気さんと私はお互いにシンパシーを感じていたと楽屋(コメント欄)で確認済み。よって(私の中で勝手に)心の友認定をしている。本気さんの文章って、基本ふざけてるのになんか考えさせられるんだよな…。



***


たぶんだけど、私が書いているのは、エッセイでも日記でもないと思う。ジャンルとしては何になるのかが分からないが、私が目標としているのは「自分の思考のプロセスや感情や感覚を、高精度で言語化できるようになること」だと思う。

「自己表現をしてみんなに見てほしい」というよりも「自分という人間を正確に認識して、できる限り誤差のない自己一致した言葉を引き出せるようになって、現実世界での自分や他者との円滑なコミュニケーション、違和感のない意思疎通ができるようになりたい」というのが正しい気がする。うん、しっくりくる。noteはそれを思いきり練習させてくれる場所。言語化の訓練場。

だから自分の意見にたくさんの共感者がいなくても別にいいし、フォローやスキが増えなくてもあまり気にならないのかも。自分の中でいかに違和感なく納得できる文章を書けるかが重要だから。その先で、私の自由帳を覗きにきた誰かが「それ、私も分かるよ」と言ってくれたら、それはもちろん嬉しい。心の友。



それから、前回の記事で妄想小説を書いてみて、ひとつ気づいたことがある。


構想中はすごく楽しくてノリノリで書き始めたのに、いざ書き始めたらなんだか楽しくなくなってきて、やる気が失せた。笑


その時は「ダメだ、才能ない」という言葉で片付けた。


でもよく考えたら私は、物語つまり虚構を描くことにあまり興味がないのかも、と思った。

もちろん、虚構の話は大好きだ。小説もドラマも映画も、誰かの人生や感情を疑似体験できるから大好き。

でも、自分も今それ(虚構のストーリー)を書きたいのかというと、あまり興味が湧いてこなかった。それよりも、自分の中に確実に存在するこの気持ちや考えを、なるべく忠実に取り出す方が、今は楽しいし本当にやりたいことだった。



私は今きっと、自由帳にリアルな自画像を描く練習をしているのだ。

今はまだ落書きレベルだから、誰かに見せても「誰これ?」と言われるだろう。

「アンパンマンを描いたの?」「違うよ、人間」
「分かった、サザエさんだ」「違うよ」
「じゃあ、誰?よく分かんないな」

(私の顔だけど…うーん、伝わらないか…)



でも練習を続けて、いつか写真に近いくらいリアルな顔を描けるようになった私は「うわ、そっくり!本当にそのままじゃん!」と言われるのだ。


「ちゃんと伝わった!描きたいことを正確に描けるようになってきた!表現スキルが上がってる!」と喜ぶのだ。


そして「どこでそのスキル学んだの?」と聞かれて
私は「え、別に何もしてないよ?」と澄まし顔をするのだ。


その日のドヤ顔のために、何度も何度も自由帳にガリガリ書いて、これからも言語化練習を地道に続けよう。言語化の力についてはもっと書きたいことがあるが、長くなるのでまた別のページに書く。


今日のところは、落書き、おしまい。


続き↓




言語化だって、ROCK魂!🎸🔥

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