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【謝罪】「他者評価なんてどうでもいい」は、なんか違うと思った


誰かに指摘されたわけでも、
クレームをもらったわけでもない。

"特定の誰に"というわけではないのだが、
ここで謝りたいことがある。


前回の記事の中で私は当初、
「他者評価なんてどうでもいい」と書いた。

今は編集して
「他者評価は関係ない」に訂正している。

公開後少しして読み直した時に、
違和感を覚えたからだ。

「なんかこの言い方、すごい失礼じゃない?」と。


大変申し訳ありません。
あれは不適切な表現でした。


もしも、少しでも不快に感じられた方がいたならば、心よりお詫び申し上げます。もちろん、誰かを傷つける意図は全くありませんでした。


公開後比較的すぐに訂正したとはいえ、誰かに指摘されたわけではないとはいえ、一度でもそんな書き方をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。





※以降は、
その後に私が考えたことを言語化したものです。



***




表現の間違いは誰にでもよくあること。気軽に書けるnoteなら尚更。ミスに気づいたら編集もできる。記事にしてまでこの出来事を書くべきか迷ったけれど、違和感に気づいた時、自分で自分に傷ついた。だからちゃんと謝りたいと思った。そして、謝るだけじゃなく、自分の考えも書くことにした。


「〜なんてどうでもいい」は、
正直、私がよく使ってしまう表現だ。

気をつけないといけないと分かっていたのに、やってしまった…


「〜なんて」は私が大好きなドラマ『舟を編む』でも、主人公みどりの口癖だった。


みどりがその意味を辞書で引くと、軽視する意味が書かれていた。そこでみどりはようやく気づく。悪意なく何気なく使っていた言葉が、相手を軽視するニュアンスで伝わってしまっていたことに。



ドラマでその重みを学んでいたはずなのに、やってしまった…。

「意図を正確に伝えるための言語化」とnoteで偉そうに宣言していたくせに…


全然できてないじゃん、私…
ダサすぎる…恥ずかしすぎる…

自分で気づいたのがせめてもの救いなのか…
それでもやっぱり、落ち込むわ。



「他者評価なんてどうでもいい」と書いたのは、「人からの評価ばかり気にすることはせずに、自分の軸を大事にしたい!するぞ!」という自分を鼓舞するような気持ちからだった。


でも、冷静になって読んでみると、「他者評価を重視する人を否定したり、私を評価してくれた人までも軽視するニュアンスにも取られかねないのでは…?」と思った。


それは違う。そういう意味で書いたんじゃない。



表現をすぐに直した。

スキの数とかフォロワー数とか
他者評価は関係ない。

自分の考えを、意図を、
正確に相手に伝えられるように。

相手の考えを、意図を、
正確に理解できるように。

コミュニケーションが上手になるために。

人間関係で余計なストレスを抱えずに
楽しく、この地獄を生きていくために。

いつか誰かを、私の言葉で助けられるように。

そのために、
私はここで言語化の練習をしたかったのだ。

訂正後


「関係ない」に直したところで、それでも変わらず誰かが否定されている気持ちになってしまうような、失礼な表現なのかもしれない。

でも、「他人軸よりも自分軸を大事にしたい」という意味は残したかった。だからあえて「他者評価」には言及したいという理由から、一旦これでいくことにした。(もっといい表現見つかったら直す)




大変ありがたいことに、さらにもう一つ前に書いた『言語化は生き延びるための必須スキル』という記事を、シロイさんが記事内の「今週のGood notes」という紹介コーナーで下記コメントと共に取り上げてくださった。

これは本当にそうだと思います、他人を理解するにも自分を理解するにも、この社会やこの世界というものを理解するときにも、自分の持っている言葉の幅と精度に制約されてしまうので…。
夏目漱石が「私の個人主義」の中で語っている自己本位ということも、結局は自分の言葉を持つということなんじゃないかな〜と個人的には思っています。

シロイさんの記事より


「私の個人主義」に貼られたリンクに飛ぶと、青空文庫でその全文を読むことができた。なんとありがたい時代だ…


小説や随筆のような作品ではなく、1914年(大正3年)に学習院で行われた講演を元にした講演録(評論)というものらしかった。

なお、この2年後、夏目漱石は49歳の若さで亡くなっている。


早速、全文を読んだ。

もちろんまだしっかり理解しきれていない部分も多いのだが、「あ!これ!」と思ったところがあったのでそこを引用してちょっと書きたい。


シロイさんのおっしゃる通り、夏目漱石の言う「自己本位」というのは、「自分の頭で考え、自分の言葉を持つ」ということなのだろうなと思った。


そして、今回の私がミスした件にも当てはまるような気がするような…何かが引っかかる、何かヒントになりそうな言葉を見つけた。

しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのはけしからんというのは不都合じゃないかと思うのです。

夏目漱石『私の個人主義』
青空文庫より



あ、これ、まさに私のことだ…と思った。




「他者評価は気にしない」というのは、あくまで私の価値観。


自分の価値観を社会に尊重してほしいと思うならば、「他者評価を気にする」という価値観もまた、同じように尊重されなければおかしい。


それに別に、
「他者評価=悪いこと」でもない。
「承認欲求=悪いこと」も違う。


「私は、他者評価の方が大事」
「他者評価があるからまた書きたいと思える」
「他者評価があるからこそビジネスが成り立つ」



人によっていろんな正解があるし、どれが違うとか、どれが一番とか、そんなのはない。価値観は人それぞれ。何を大事にするのかは、ひとりひとり違う。




「〜なんて」を使ってしまったことで、相対的に他の人を否定したり軽視するニュアンスになってしまっていた。意図せずとも。


「他者評価を気にしない自分が一番正しい!」というマウントにも受け取られかねない表現になってしまっていた。



それは絶対違う。
私が間違っていた。バカだった。
軽率だった。本当に申し訳ない。
配慮も、想像力も全然足りてなかった。



私の記事にスキしてくださる人のことも
フォローしてくださる人のことも
軽視する意図は決してなかった。

いつも本当に嬉しいし、確実にnoteを続けるモチベーションの理由になっている。



でも結果的にそういう表現になっていたことは事実。公開する前に気づいて直せなかったことは事実。全て、私の責任。社会では「悪気はなかった」は通用しない。結果が全て。

今の私にできるのは、また言葉を尽くして、読んでくれる相手を信じて、一生懸命伝えようと行動することだけ。だから書く。






ドラマ『舟を編む』で、こんなシーンがあった。

みどりが、玄武書房初の大型辞書が新社長の意向で電子版のみでの出版に変更されそうになっている案をなんとか阻止しようと、「紙の辞書を付録にするのはどうか」と提案した。

それに対して、編集者の荒木さんが「紙の辞書をおまけ呼ばわりか!?紙こそがメインだろう!」と激怒。


そして、みどりは気づく。
「付録じゃない、特典だ!」


荒木さんに謝りに行く。

ごめんなさい。私また言葉を雑に扱って、使い方間違えました。付録じゃなくて、特典です。豪華特典のイメージでした。


記憶で書いたのでセリフは正確じゃないかもしれないが、こんなことを言っていた。



私も今、まさに同じ気持ち。
私も言葉を雑に扱って、使い方間違えた。
私は、みどりだった。
だからあのドラマが心に響いたのかも。

本当にごめんなさい。
反省しています。




正確に自分の思いを言語化したいなら、もっと丁寧に言葉を選ばないとダメだ。これまでのガサツな自分ではダメだ。直したい。変わりたい。だから、その失敗もちゃんと曝け出して正直に書くことにした。



シロイさんが貼り付けてくださった夏目漱石の青空文庫のリンク。このタイミングで教えてもらえて良かった。もしや、本件を示唆されて…?私に気づきを与えるために…?シロイさんならあり得る…。シロイさんの意図がどちらにせよ、本当にありがとうございました。他者との交流ってやっぱり大事…。独学よりも気づきの質と量が全然違うわ…

本当に、読んでよかった。やっぱり夏目漱石はすごい…。今回の件以外にも、色々と心当たりがあったので、もしかしたらまた記事にして書くかも。年末年始、デジタルデトックスどころじゃないかも。笑





今回、自分の軽率さ、ガサツさ、想像力のなさを改めて痛感いたしました。鮮度が命とはいえ、勢いで書くのも考えものだな…



以後、気をつけます…


もし他に「この言い方はないんじゃないの?」というご指摘箇所があったら、ぜひ教えてください。

後輩気質、弟子気質(M気質?)なので
私は全然傷つきません!!むしろ燃えます。笑
ゆとり世代、意外と叱られ慣れてるんで!笑

優しさや愛や敬意をちゃんと正しく伝えるために、適切な言葉を選べるようになりたいんです。

note民の皆さまの喝、よろしくお願いします🙇‍♀️



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