私の半生は人殺しだ――バリ島で出会った日本人残留兵
昨日、僕は「ゲリラ戦」について書いた。
その言葉を書きながら、僕はバリ島で出会った或る人物のことを思い出していた。
本物のゲリラ兵だった。
その人は日本人だった。
ヨマンブララン平良さん。
当時30歳頃の僕が会ったとき、平良さんは70歳くらいだっただろうか。顔は、政治家の故・後藤田正晴氏にどこか似ていた。
当時、僕はバリ島の宿に滞在していた。
せっかくバリ島まで来たというのに、僕はどこへ行くでもなく、ひがな宿に閉じこもって本を読んでいた。司馬遼太郎の『燃えよ剣』だったと思う。
ある日、そんな僕を見て、宿の主人が聞いてきた。
「どんな本を読んでるんだ?」
僕は、日本の歴史の本だと答えた。
それで僕が歴史好きだと思ったのか、主人は突然、こんなことを言い出した。
「日本のオールドソルジャーを知っている」
興味があるなら会わせてやる、という。
もしかしたら、バリ島まで来てどこへも行かず、宿に閉じこもって本ばかり読んでいる僕を、外へ連れ出したかっただけなのかもしれない。
僕は「会いたい」と答えた。
そうして僕は、平良さんと出会った。
平良さんは僕に言った。
「何が聞きたい? 私の人生についてかな?」
そして、こう言い切った。
「私の半生は人殺しだ」
僕は、その一言で平良さんの人生に引き込まれた。
平良さんは元日本兵だった。
日本軍の兵士としてインドネシアに派遣され、バリ島で終戦を迎えた。
やがて引揚船がやってきた。
日本兵たちが続々と船に乗り、日本へ帰っていく。
しかし平良さんは、バリ島に残る道を選んだ。
もちろん、軍として認められた行動ではない。
だからといって、平良さんは黙って脱走しようとはしなかった。
隊長に直談判した。
自分はバリ島に残る。
そう申し出た。
しかし、もし断固として引き留められたら、その場で隊長を射殺してでも出ていくつもりだったという。
平良さんの懐には、拳銃が忍ばせてあった。
その覚悟を、隊長は察したのだろうか。
隊長は平良さんに言った。
「知らなかったことにする」
そうして黙認した。
平良さんはバリ島に残った。
そして、インドネシア人たちとともにオランダ軍と戦った。
武器は拳銃一丁。
正面から軍隊同士がぶつかり合うような戦いではない。
敵の至近距離まで近づく。
拳銃をバンバンと撃つ。
そして逃げる。
そんな撹乱戦を繰り返したという。
平良さんは当時、自分が生きているうちは、一人でも多くの白人を殺すことが自分の使命だと固く信じていた。
やがて平良さんは捕虜になった。
そして収容所に入れられた。
そこで平良さんは、不思議な体験をする。
バリ島には「タガン・タガン」という妖怪の伝説がある。
「タガン」は、インドネシア語で「手」という意味だという。
タガン・タガンとは、空中を飛ぶ手首である。
あるとき、それが突然、平良さんのいる収容所の部屋に入ってきたという。
空中を飛びながら、平良さんの目の前までやってきた。
平良さんは逃げなかった。
騒ぎもしなかった。
煙草を吸った。
タガン・タガンは、風車のように平良さんの目の前で回り続けた。
回転が時折ゆっくりになる。
その瞬間、確かにそれが「手」の形をしているのが見えたという。
平良さんは煙草を吸い続けた。
一本。
二本。
三本。
三本の煙草を吸い終わるまで、タガン・タガンは平良さんの目の前を回り続けた。
そして、やがて部屋から出ていった。
平良さんが収容所で体験した不可思議な出来事は、それだけではなかった。
あるときは、壁から女の足が突き出ていたという。
太もものあたりに、目があった。
平良さんは、その足に触れてみた。
生暖かかったという。
この話をしたあと、平良さんは僕にはっきりと言った。
「小路谷くん、世の中には目に見えない生物がうようよいる」
戦争を生きた男だった。
人を殺した男だった。
拳銃一丁でオランダ軍と戦った男だった。
捕虜になった男だった。
その男が僕の目の前で、
「世の中には目に見えない生物がうようよいる」
と言っている。
僕は、平良さんの人生譚に一気に引き込まれていった。
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