初の熊撃ち同行撮影で親子ヒグマと遭遇──1%の光景
「今回の熊撃ち同行撮影で、実際にヒグマが現れる確率はどのくらいですか?」
僕は、ハイラックスを運転するハンターのY氏に、先月と同じ質問を投げかけた。
「1%かな」
返ってきた答えも、先月と同じだった。
車は、明らかに人間の領域ではない山道を進んでいく。
登山客もまず足を踏み入れないような道だ。
Y氏は車を降り、鹿笛を吹いた。
山に響くその音は、本物の鹿の鳴き声とほとんど区別がつかない。
しばらくすると、遠くから応答が返ってくる。
Y氏はライフルを構えた。
その姿には「現れれば撃つ」という、はっきりとした意志が宿っていた。
だが——
鹿も、熊も、現れなかった。
「今日は駄目かな」
その一言で、その日のハンティングは終わった。
不思議なことに、僕は落胆していなかった。
それは、かつてUFOを撮ろうとして撮れなかった時と、よく似ていた。
“遭遇”は、こちらの都合では起きない。
むしろ、起きないことの方が自然なのだと、どこかで理解している。
帰りの車中で、Y氏が聞いた。
「なぜUFOをテーマに映画を撮ったんです?」
僕は、自分の原点の話をした。
子どもの頃、矢追純一の番組を夢中で見ていたこと。
月面の異星人遺体の映像を見てそれを起点に映画を撮ろうと思ったとき、体に電流が走るような感覚があったこと。
そして一度は冷静になろうと、否定論の本を読んだこと。
だが途中で読むのをやめ、外に出た直後に——
夜空を滑る光体を目撃したこと。
その目撃談をする直前だった。
「あ、熊だ!」
Y氏の声で、視線を上げる。
そこには、傾斜の道を歩くヒグマの親子がいた。
初めて見る、野生のヒグマ。
紛れもなく、それは“1%の光景”だった。
僕はすぐにカメラの録画を確認する。
回っている。
初めての熊撃ち同行で、親子のヒグマを撮っていた。
Y氏はライフルを構えた。
だが撃たなかった。
路上だった。
近くには寺も民家もある。
発砲はできない。
ヒグマの親子は、何事もなかったかのように藪へと消えていった。
「子連れの熊は危険です」
Y氏の指示で、僕は車の中からカメラを回し続けた。
胸ポケットには、妹が持たせてくれた熊スプレー。
指先でその存在を確かめる。
しかし、親子のヒグマが再び姿を現すことはなかった。
撮影は終わった。
だが、あの光景が消えない。
ただの目撃ではない。
神々しい——そうとしか言えない感覚。
このとき、確信した。
物語のスイッチが入った、と。
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