ルーツ旅【山形庄内地方➉】旅の終わりと不思議な訪問者
生まれて初めての、自分のルーツを訪ねる旅。初日にいきなり400年以上前のご先祖の記録が出てきただけでなく、祖母の家出の真相や、曾祖母の家がお寺だったことなど様々なことがわかり、予想以上の成果が得られました。

(海なし県に生まれ育った身としては、海や船を見るとそれだけでテンションが上がります。次回はぜひ、本土から離れた飛島に行ってみたい)
▼親戚は情報の宝庫
この旅でわかったことは、親戚は情報の宝庫だということです。よく、「自分の先祖を調べるときは、戸籍謄本をさかのぼることから始めましょう」といわれますが、本当は、「まず親や親戚に尋ねてみましょう」が正解ではないでしょうか。きっと、先祖のことを知ってはいるけれど、あえて言うほどのことじゃないと思って口に出さない人が、結構いると思うのです。
私は高校3年生のとき、おばと一緒に暮らした時期があったのですが、今回のようにゆっくり話したことはありませんでした。遠い先祖や曽祖父母についてだけでなく、両親についても初耳のことばかりで、聞いておいてよかったです(このことは、そのうち書くつもりです)。
残念ながら、本家の親戚とは会えなかったものの、近所に住んでいる遠縁と会うことができました。手土産を渡して数分間話しただけですが、お別れの際には、手作りの郷土料理を持ってきてくれました。
▼後日談
数か月後、おばを通じて、本家の親戚から手紙が届きました。学者さんが作ってくれた家系譜に、さらなる情報を付け加えたものです。本家には、室町時代の資料もあるらしく、ぜひ次の訪問で見せてもらいたいものです(そうそう、武家屋敷の写真も)。
この旅行の3年後、大叔母は老衰のために亡くなりました。もう会えないのが残念ですが、本当にあのとき会っておいて良かった。
田村さんに、この旅の成果について報告したら、「そうかそうか」と喜んでくれました。
齋藤家の家系譜は、応仁の乱(1467年~1477年)よりも後に始まっていたことや、学者さんが膨大な資料を調査して作成してくれたことから、田村さんから聞いて気になっていた家系譜の捏造はなさそう。どうやら山形のルーツは、応仁の乱とは無関係のようです。この謎については、次回に持ち越すことになりました。
▼不思議な訪問者
最後に、現地であった少し不思議な体験について書いておきます。
私と娘が寝泊まりしていたのは、大叔母の家の1階の客間でした。旅の疲れもあり、私は夜になると早々に布団に入り、眠りにつきました。
ピンポーン。
明け方、誰かが玄関のチャイムを鳴らし、私は目が覚めました。枕元に置いてあった腕時計をみると、まだ朝の6時です。
「こんなに朝早く……田舎の人は早起きだなあ」
と思い、気にせず、またすぐに眠りにつきました。
そして、翌日の朝。
ピンポーン。
……また? 時計をみたら、朝6時です。
「なんだろう、そんなに朝早く来なくちゃいけない用事があるのかな?」
私は誰が来るのか気になって、布団の中でしばらく待ってみましたが、誰も入ってくる様子はありません。
もしかしたら、おばが外にいて、立ち話でもしているのかな……?
そしてまた翌日、旅行の最終日です。
ピンポーン。
やはりまた朝6時に玄関のチャイムが鳴り、目が覚めました。
なんなんだ。
この地域では、朝6時に近所の人を訪ねる習慣でもあるのか??
私はついに、朝食の際、おばに尋ねました。
「この3日間、毎朝6時に玄関のチャイムが鳴ったけど、誰が来ていたの?」
おばは、不思議そうな顔をして答えました。
「誰も来ていないよ。チャイムなんか鳴ってないし」
………ええぇ。
私の空耳だったのか、それとも夢だったのか。
もしかしたら、はるばる遠くから来た私を、ご先祖様が歓迎しに訪ねてきてくれたのかもしれません。
うん、きっとそうだ。そう思おう。
私は、無理やり自分を納得させることにしました。
こうして、私のルーツを訪ねる旅は、ひとまず終わりを告げました。
これから、次の旅(京都編)に出るための準備を始めます。こちらのルーツ探しは一見簡単そうだったのに、やはり想定外のおかしな話に発展していくので、ぜひまた読みに来てくださいね。
(続く)
<<<【旅の休憩所①:『日本人のおなまえっ!』 齋藤さんの謎】を読む
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サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。