『青春を山に賭けて』書評|冒険家・植村直己の生き様に学ぶ人生哲学

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今回は、偉大な冒険家である植村直己さんの名著、『青春を山に賭けて』を読んだ感想を書きます。
『青春を山に賭けて』は、植村直己さんの冒険記録を綴った一冊であり、彼の挑戦と成長の軌跡が描かれています。
本の概要
本の詳細
254P
文藝春秋
1977/1/25
本の概要
ドングリとあだ名されていた著者が、無一文で日本を脱出し、ついに五大陸最高峰のすべてに登頂、アニマル植村と称されるまでの型破りの青春を語り尽した感動篇!
著者について
1941年生まれ、兵庫県出身の冒険家・登山家
世界的に有名な日本人冒険家で、極地探検と高峰登山のパイオニア
「世界初の五大陸最高峰登頂」で知られる
犬ぞりによる北極点到達、単独でのグリーンランド横断など、極限への挑戦を続けた
エベレスト、キリマンジャロ、マッキンリーなど五大陸最高峰を制覇
北極点に犬ぞり単独行で到達
グリーンランドの縦断、アマゾン川の筏(いかだ)下りなど
感想
山に登る技術がどうのではなく、行動力や意志の強さ、しぶとさなど、植村直己さんのバイタリティの凄まじさが印象に残る。
私は山が好きで、よく山へ行く。
山の空気が好きで、高い山をストイックに登りたいというよりは、その中に入り、歩き、時間を過ごしたいという思いが強い。
植村さんのようなことはできないが、山へ行くことは、ある種冒険だと思っている。
自分で考えたルートや道具を使って行動し、地図を埋めていく。
ゲームのような冒険体験を、現実で、自分の体を使って行っている。
植村さんはいつでも全力で、だからこそ、たくさんの人が協力したのだと思う。
私も植村さんを見習い、自分で自分の夢を決め、強い意志を持って行動していきたい。
印象に残った一節
そこで考えついたのは、生活水準の高いアメリカで高い賃金をかせぎ、パンとキュウリを食べて支出を減らせば、ヨーロッパ・アルプス山行の金がたまるのではないかということだった。
ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語ができないなどといっていたら、一生外国など行けないのだ。
男は、一度は体をはって冒険をやるべきだ。
目標のために切り詰め、自分を追い詰めて挑戦する姿勢。
ここまでの思い切りをもって何かに臨んだことがあるのかと自問しました。
ある日、仕事が終わってから事務所に行き、ジャンに自分の気持を打明けた。もしジャンが行くなといったら、したがうつもりだった。
ジャンは、「君にとって願ってもないチャンスだ。パトロールのことは気にせんでよい。君の夢はスキーではない。山なのだから、がんばってやってこい」と、私の肩をたたいて、ヒマラヤ行きを許してくれたのだった。
この恩知らずめと罵倒されても仕方がないのに、何ひとつ怒った顔も見せなかった。
ジャンは、なんとすばらしい男なのだろう。
植村さんは、至る所で人に助けられます。
植村さんが積極的にコミュニケーションをとっていたからともいえますが、それにしても人に愛される。
結局、人は一人では何もできない。
このゴジュンバ・カンの登頂の成功をみんな喜んだが、私だけはこだわりがあって、どうしても心から同じように喜びにひたる気持になれなかった。
私が頂上へ登ったといっても、この遠征隊が自分のものでなかったこと、それに他の隊員のようにこの遠征に出るため、骨身を削ったわけではなかったからだ。
会社の仕事のあと、徹夜で計画し、準備をした人たちと私とは遠くへだたっていた。
そして、私自身は他の隊員よりすべての面で劣っていると思う。
自分はもっと自分をみがき上げ、自分という人間を作らねばならないことを、この遠征でさとった。
私がこのあと、強く単独遠征にひかれたのはまさにそのためだった。
どんな小さな登山でも、自分で計画し、準備し、ひとりで行動する。
これこそ本当に満足のいく登山ではないかと思ったのだ。
登頂して「やったー!」となりそうなものですが、準備から携わっていない自分は劣っていると考える植村さん。
規模は違えど、分からなくはない。
人が進めている仕事に乗っかるのと、自分が考えて動いてつくったものとでは、やりがいも思い入れも違う。
植村さんは、自分でつくっていきたいタイプだったのだろう。
食事が終わってから、みんなの食べ残したパンや肉などをポリエチレンの袋を持っていってつめこんだ。
肉は腐らないよう塩をまぶして包んだ。
船の切符を買うと、また無一文になった私は、マルセイユからジャン・バルネ氏のスキー場まで約四百キロをヒッチハイクしなければならない。
パンをためこむのが人目につくのは恥ずかしかったが、自分の生活のためだ。恥ずかしいなどとはいっておれない。
コジキも恥ずかしがっていてはできない。
たっぷり一週間分はザックにつめこむことができた。
他にも日本からやってきた、たくさんのザック組がいた。
彼らは三食の食事も満足にとらず、フランス料理はまずいとか、何は口に合わないとかゼイタクをいっていたが、彼らには、私の十分の一も旅ができまい。
「金のない旅だから、どこかアルバイトがないか」と、私に聞いてきたが、「日本食しか食べられない旅人にアルバイトはないぜ」といってやりたい。
夢に対する自分の追い詰め方のレベルが違う。
ここまでやりたいこと以外を捨てられるものか。
八月まで、まだ数日あったので、私はそのあと危険な山旅からのがれ、セルビニアの近辺に咲く高山植物を採って歩いた。
道からはずれた手の届かない岩棚の上に、エーデルワイスの花を見つけたのはうれしかった。
誰に見られることもなく風にゆれ、七、八輪の花を咲かせているのだった。
そのエーデルワイスの姿は、私を感傷的にした。
人の目につくような登山より、このエーデルワイスのように誰にも気づかれず、自然の冒険を自分のものとして登山をする。
これこそ単独で登っている自分があこがれていたものではないかと思った。
ここに、植村さんの登山に対する考え方が詰まっている。
自然の冒険を自分のものとする。
私も趣味で山に入りますが、その気持ちは良く分かります。
一人で、ただのんびりと自然を感じたい。
そうすることで自然と一体になっているような感覚になります。
また、何があっても自己責任というのも、良い点です。
親切な人たちだったが、もしこの警察署の人たちの警告にしたがっていたら、私は、登山ができなかった。
もちろん単独の登山は、無謀にひとしいほど危険がつきまとっている。
人の意見も、とうぜん重視しなければならないが、その意見にしたがってばかりいては何もできない。
人にいわれてやめるのではなく、自分で実際に直面して肌で感じとり、それでできないと思ったらやめ、できると思ったらやるべきではないか。
人の意見ばかり聞くのではなく、自分の頭で考えて、動いて、経験したことが強さになる。
一九六七年の日記のはじめに、私はつぎの四つの目標を記している。
ー、グリーンランド行き。
二、フランス国立登山学校への入学。
三、アンデス(アコンカグア)の単独登山。
四、仏・英語、読書の徹底。
十一月にアフリカから帰ってきたばかりなのに、こんな目標を立てるとはかなり欲張っているのは百も承知の上だ。
グリーンランドはアルプス、アフリカよりもっと遠いし、だいたい、地球の反対側にあるフランス登山学校と、南米のアンデスを一緒にするなどとは気ちがいざたかもしれない。
しかし、少なくても資金の面では給料とチップを入れると、手取りは月額千二百フラン以上になっていた。
食費にしか出費しない私の流儀でいけば、ジャガイモを食べていればなんとか見通しが立っていたのだ。
コーヒー、アルコール、タバコはやらず、部屋は会社の駅だから家賃なし。
ミミッチィやり方といわれたって、私には私のやり方がある。やらねばならないことがある。
目標を立てて、それ以外は切り捨てる。そうすることで目標に近づいていける。人から何を言われても気にしない。そんな生き方は格好いいです。
「山登りは自分の足でやるもの。自分の装備でやるものだ」
ここも植村さんの単独登山への考え方が表れています。
「百里の道は九十九里をもって半分とする」
という諺を思い出す。ここでヘマをするとすべてが水の泡となってしまう。
私たちの使命は、日本を背負っているのだ。
私たちの登頂は自分たちのものでない。
慎重を知いてはいけない。
こういいきかせてアイゼンのツァッケを氷雪にたたきこむ。
最後の詰めを誤ってはいけないということ。
ついつい気が緩んでしまう後半にこそ、気を引き締めてかからないといけない。
カヒルトナ氷河のベースキャンプを出て七日目であった。
ついに私はマッキンリーの頂に立った。
モン・ブラン登頂以来五年目、やっと世界五大陸の最高峰に自分の足跡をしるすことができたのだ。
五大陸最高峰の全峰をきわめたのは、私が世界ではじめてだ。
また、エベレストを除いては全部単独でやりぬいた。
「オレはやったのだ」そう思うと、念さえあればなんでもできると自倍を強めた。
そして、マッキンリーの頂に立つと、夢はさらにふくらんできた。
実現はさらに夢を呼び、私は登頂した感激よりも、南極大陸単独横断の夢が強く高鳴り、自分の本当の人生はこれからはじまるのだと、出発点にたった感じであった。
南は氷河の末端に無数の湖が散り、その先に縁が続いていた。
北は白一色の氷の世界だった。
私はまず三脚にカメラをセットして、セルフタイマーで自分の写真をとった。
夢を叶えて、さらに先の夢が膨らんできたという植村さん。
自分の力で切り開けばこそ、先にはどんどん視界が広がっていくのだと思う。
こうして五大陸の最高峰を自分の足で踏み、さらにアルプスの中でも特にむずかしい冬期の北壁の登攀に成功したいま、私の夢は夢を呼び起こし、無限に広がる。
過去のできごとに満足して、それに浸ることは現在の私にはできない。
困難のすえにやりぬいたひとつ、ひとつは、確かに、ついきのうのできごとのように忘れることのできない思い出であり、私の生涯の糧である。
しかし、いままでやってきたすべてを土台にして、さらに新しいことをやってみたいのだ。
若い世代は二度とやってこない。
若い世代は二度とやってこない。
今できることがある。
何でもかんでも将来のためと先送りにしていては、そのときはこないかもしれない。
こんな人におすすめ
自分の生き方や価値観を見つめ直したい人
└ 著者のまっすぐな生き様から、自分にとっての「本気」とは何かを考えさせられます。
一歩踏み出す勇気が欲しい人
└ 未知への挑戦や行動力に背中を押されたい人にぴったり。
自然や登山に興味がある人
└ 植村直己の経験を通じて、山や自然の魅力も感じられる一冊です。
静かながら熱い読後感を味わいたい人
└ 派手さはないけれど、じわじわと胸に残る本が好きな方に。
