運動後の血液をがん細胞にかけたら弱った|運動とがんの最新研究
エアロバイクを10分間、全力で漕いだ。
その直後に採った血液を、シャーレの中のがん細胞にぶっかけた。
がん細胞が、おとなしくなった。
薬を足したわけではない。 特別なサプリを飲ませたわけでもない。
運動直後の血清を浴びただけで、がん細胞の遺伝子の動きが変わった。増殖に関わる経路は下がり、ミトコンドリアやDNA修復に関わる反応は上がっていた。別の実験では、X線で傷つけたDNAの修復も速まっていた。
最初に言っておくと、これは「運動でがんが治る」という話ではない。
シャーレの中の実験を、人間の体にそのまま貼りつけることはできない。
でも、体を10分ほど追い込むだけで、血液の中身が変わる。 その血液で、がん細胞の振る舞いまで変わる。ここはやっぱり無視できない。
自分は呼吸器専門医として、これまで何人もの肺がん患者さんを診てきた。この手の論文を読むとき、正直「試験管の中の話でしょ」と斜めに読んでしまう癖がある。
それでも、ここ2〜3年の研究を並べると、だんだん見え方が変わってきた。
この記事では、筋肉を動かした直後に血液の中身がどう変わり、その変化ががん細胞や治療後の体力にどう関わるのかを追う。
10分のバイクで血液の中身が変わった(運動とがん細胞の実験)

対象は50〜78歳の男女。エアロバイクで負荷を段階的に上げ、10〜12分ほどで限界に達するテストを行った。運動前と後に採血し、血清を取り出して、シャーレの中の結腸がん細胞に加えている。
結果、運動後の血清を加えた結腸がん細胞では、1364個の遺伝子発現が変わっていた。増殖に関わる経路は下がり、ミトコンドリアやDNA修復に関わる反応は上がっていた。
たった一回の運動で血液の中身が変わり、その血液ががん細胞の遺伝子発現を動かしていた。運動は「なんとなく健康にいい」では済まないところまで来ている。
がん患者さんでも、運動で生存率が上がった
でも、試験管の実験の話だけではまだ遠い。
血管も、免疫も、臓器も、治療薬もない。人間の体は試験管よりはるかに複雑だ。
では、実際の人間ではどうなのか。 ここで一番大きいのが、世界最高峰の医学誌NEJMに載ったCHALLENGE試験だ。
対象:手術と術後補助化学療法(手術後の抗がん剤)を終えた結腸がんの患者さん889人
規模:6カ国55施設で行われた、大規模な第3相ランダム化試験
分け方:3年間しっかり運動を支援する群と、健康教育の資料を渡すだけの群に、ランダムに振り分けた
運動の支援は3年間。試験全体では、開始時から8年ほど追いかけた。結果。
再発・新しいがん・死亡を合わせたイベントが、運動した群で28%少なかった
5年無病生存率(5年たっても再発も新しいがんも起きず、亡くなってもいない人の割合):運動した群80.3%/資料だけの群73.9%
8年全生存率(8年後に生きている人の割合):運動した群90.3%/資料だけの群83.2%。
運動した群が亡くなるリスクは約37%低かった
つまり、運動ががんを抑え込んだ。
「運動している人は、もともと健康意識が高いからでしょ」とはならない。似たような人を、運動を直接支援するグループと健康資料を渡しただけのグループにランダムに振り分け、何年も追いかけて差がついたからだ。
少なくとも結腸がんの治療後では、運動は気合いでも根性でもない。補助療法としての重みを持ち始めている。
筋肉が出す「マイオカイン」という物質
なぜ運動後の血液ががん細胞に効くのか。
答えの一つが「マイオカイン」だ。筋肉は収縮するたびに、さまざまなタンパク質を血中に放出する。少なくとも数十種類が見つかっていて、これらを総称してマイオカインと呼んでいる。

自分は外来で患者さんにこの話をするとき、「筋肉は薬局です」と伝えている。ちょっとざっくりした説明かもしれないけど、マイオカインの働きを一言で言うならこれが一番近い。
筋肉はただ体を動かす部品ではない。動かすことで多様な物質を放出する、体内の薬局のような臓器だ。
この薬局のイメージを強くするような、乳がん治療後の女性を対象にした研究がある。
乳がんの治療を終えた女性32人(ステージI〜III)に、筋トレまたはHIIT(高強度の運動と短い休憩を交互に繰り返す運動)を1回やってもらい、運動の前、直後、30分後に採血した。その血液を、転移しやすい(体に広がりやすい)タイプの乳がん細胞に加えたところ、がん細胞の増殖が19〜29%抑えられた。マイオカインの血中濃度は、運動直後に9〜47%上がっていた。
筋トレでもHIITでも、どちらでも効果が出ている。
自分がこの研究を読んで一番印象的だったのは、被験者が「健康な若者」じゃなくてがんの治療を終えた患者さんだったことだ。
手術や抗がん剤を終えた後でも、筋肉を動かせば血液の中身は変わる。
これは臨床医としてかなり大きい。
前立腺がんの進行期の患者さん9人を対象にした別の研究でも、34分間の高強度バイクの後に採った血液が、前立腺がん細胞の増殖を17%抑えた。進行期でも、筋肉は完全に仕事をやめるわけではない。
筋肉と腫瘍は同じ栄養を奪い合っている
マイオカインの話に加えて、もう一つ最近出てきた視点がある。
Yale大学のPerry准教授らがPNAS(2025年12月)に発表した研究で、運動させたマウスでは腫瘍の成長が遅いことが確認された。そのメカニズムが面白い。筋肉と腫瘍が、体内で同じエネルギー源を取り合う「代謝競争」を起こしていた。
筋肉がブドウ糖(グルコース)を大量に使い込むことで、腫瘍への燃料供給が減る。つまり筋肉と腫瘍が、同じ栄養源を奪い合っている構図になっている。
筋肉と腫瘍が、同じ燃料を取り合っている。
これは直感的にかなりわかりやすい。

体を動かせば、筋肉がブドウ糖を使う。そのぶん、腫瘍に回るブドウ糖が減る。この研究では、少なくともマウスでその配分の変化を追っている。さらに、運動したマウスの腫瘍では、mTOR(「細胞を増やせ」という増殖のスイッチ)の働きが下がっていたことも報告されている。
まだマウスの実験だから、人間で同じことが同じ強さで起きるとは言えない
でも、運動が「消費カロリー」だけの話ではなくなっているのは間違いない。
ただ、ここでひとつ誤解が起きやすい。 男性は女性より筋肉量が多い一方で、多くのがんでは、かかる人や亡くなる人の割合が高い。喫煙、飲酒、ホルモンの状態、免疫の個人差、検診を受けているか、仕事での有害物質への接触まで絡むからだ。 今回の話は、性別や筋肉量のランキングではない。自分の中の筋肉を動かしたとき、自分の血液や燃料の配分がどう変わるかという話として読んだ方がいい。
血糖、炎症、免疫、腫瘍のエネルギー環境。筋肉を動かせば、これらにまとめて効く。
自分が臨床で引っかかっていたこと
呼吸器内科医として肺がんの患者さんを診ていると、ずっと引っかかっていたことがある。
同じステージ。 同じ治療。
それでも、その後の経過が全然違う人がいる。
遺伝子変異、免疫の個人差、年齢、合併症。理由はいくらでもある。
でも「この人、なんでこんなに持ちこたえるんだろう」と思う患者さんには、共通点があった。
体を動かしている。
散歩でも、軽い体操でも、とにかく筋肉を使い続けている人は強い。逆に、治療が終わった途端に「もう安静にしよう」と動かなくなる人は、全体的に弱っていく感じがした。
筋肉が落ちる。 食欲が落ちる。 気力が落ちる。
落ち方が、連鎖する。これは自分の短い経験からくる感覚であり、証明されたわけではない。でも、その感覚を、マイオカイン、ブドウ糖の配分、慢性炎症などの基礎研究、治療後の大規模試験が少しずつ説明し始めている。
運動は、ひとつの経路だけを押す薬ではない。
血液の中身、燃料の配分、炎症、体力、気分まで同時に動かす。
じゃあ何をすればいいか(がん予防の運動習慣)
健康な人のがん予防、がん治療後、現在治療中の人で分ける必要がある。
まず、がん予防を目的とする一般成人。
米国対がん協会の目安は、中等度の有酸素運動を週150〜300分、または高強度を週75〜150分。さらに週2日以上の筋力トレーニングだ。
いきなり全部やる必要はない。
週300分を聞いた瞬間に嫌になる人も多いと思う。自分も、運動習慣がない人にいきなりそれを言うのはかなり躊躇する。だから、まずは今より少し多く動く。 階段を使う。 早歩きを入れる。 週に1回でも筋トレを入れる。
ゼロを1にする。ここからでいい。
運動習慣がない人は、VILPAの記事から入るのが現実的だと思う。
1日数分の「運動のつまみ食い」でがんになる人が少なかった|VILPAとがん予防(無料)
次に、治療を終えた人。
ここは、病状や体力に応じて、医療者と相談しながら段階的に運動量を増やす。CHALLENGE試験のように、治療後の運動が再発や生存に関わる可能性はかなり見えてきた。ただし、がん種も治療内容も体力も人によって違う。
自分で勝手に急に追い込むより、まずは歩く。筋肉を落とさない。そこから少しずつ強度を上げる。
最後に、現在治療中の人。
ここは一番慎重にした方がいい。手術直後、骨転移、強い貧血、感染リスク、心肺機能への治療影響などで、適切な運動はかなり変わる。主治医やがんリハビリの専門職と相談して決める領域だ。
「運動が良さそうだからHIITをやろう」は違う。
胸の痛み、強い息切れ、めまい、動悸がある場合も中止。ここは根性で押すところではない。
では、元気な人はどうするか。まとまった時間を取れる人は、筋トレや有酸素を週に何回か入れるといい。スクワット、腕立て、エアロバイク、坂道、階段。形は多少違ってもいい。
筋肉は見た目の問題ではない。
血糖、炎症、免疫、治療後の体力にまで関わる臓器だ。
薬ではない。 でも、体の中にある薬局に近い。
開局するのに必要なのは、筋肉を動かすことだ。
※追記
元論文(Yale大・Perry, PNAS 2025)が言ってることをもう少し正確に補足します。 筋肉が収縮すると、筋肉がブドウ糖をガンガン取り込む。すると腫瘍に届くブドウ糖が減る。 この研究では13C標識グルコース(追跡用の目印をつけたブドウ糖)を使って、体内でグルコースがどこに行くかを実際に追跡しています。 結果、運動中は筋肉側への配分が増えて、腫瘍側が減ることが確認された。
さらに面白いのが、単に燃料を奪うだけじゃないこと。運動した群では、腫瘍側のmTOR(「細胞を増やせ」という増殖シグナル)の経路が、遺伝子レベルで抑えられていた。燃料が減った上に、増殖の命令系統まで弱まるダブルパンチ。 ちなみにPerry本人は「完全に座りがちな人が週に数回散歩を始めるだけでも有益な効果がある可能性がある」と言っている。
Q: 男性の方が筋肉量が多いけど、がんになりづらいの?
男性は女性より筋肉量が多いですが、がんの罹患率・死亡率はほとんどのがん種で男性の方が高い。性別特有のがん(乳がん・子宮がん・前立腺がんなど)を除いても、肺がん・大腸がん・肝臓がんなど主要ながんの発症率は男性が上です。 つまり「筋肉量が多い=がんになりにくい」という単純な図式にはなりません。
がんのリスクを決める変数は膨大で、喫煙・飲酒・ホルモン環境・免疫応答の性差・遺伝的背景など全部絡んでいます。今回のYale大の研究が示したのは「同じ個体の中で、筋肉を動かすと腫瘍へのグルコース配分が減る」というメカニズムであって、男女間の筋肉量の差でがんリスクを比較した研究ではないです。
「筋肉が多い性別が有利」ではなく、「自分の中の筋肉を動かすことで、自分の体内環境が変わる」という話として読んでもらえるといいかと思います。
まとめ
運動後の血清を結腸がん細胞に加えると、遺伝子の働きやDNAを直す働きが変わった
ただし、シャーレの中の話をそのまま人間の体に当てはめることはできない
CHALLENGE試験では、治療後の結腸がん患者さんで、運動プログラム群の無病生存イベント(再発・新しいがん・死亡)が少なかった
仕組みの候補は、マイオカイン・ブドウ糖の配分・慢性炎症・免疫の変化など
がん治療中や治療直後の人は、主治医と安全を確認してから始める
運動習慣がない人は、まずゼロを1にする。まとまった運動が難しければ、生活の中の短いVILPAからでもいい
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参考文献
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Bettariga F, Taaffe DR, Crespo-Garcia C, et al. A single bout of resistance or high-intensity interval training increases anti-cancer myokines and suppresses cancer cell growth in vitro in survivors of breast cancer. Breast Cancer Res Treat. 2025;213(1):171-180. doi:10.1007/s10549-025-07772-w
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