アート教育にかいまみえる近代人とは違う現代人の意識
アート教育が以前とは変わってしまったというX投稿
この現象、2007年に出した『アーティスト症候群』で「自然体症候群」として取り上げた。↓あの頃は女子学生を中心とした傾向だったがすぐ全体に広がった。アートというジャンル自体が何か「問題」を問う力を失っているということもあると思うし、このスレッドの指摘のようにSNSの影響も無視できない。 https://t.co/Mi7zGYm57r pic.twitter.com/j6nmHPl5VQ
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 4, 2025
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1996437657371783469?s=20
また「かけがえのない私‥‥自分の感じ方を一番大切にする」といった「私」を中心に据える学校美術教育の弊害もある。「私」がどこでも相対的に大きな比重を占めてくる。ゼロ年代から、作品について批評しているのに、自分を否定されたと思い込んで傷ついてしまうといったケースを見るようになった。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 4, 2025
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アウトサイダーアートへの注目も影響してるかも。アウトサイダーアーティストが個人的モチーフに拘るのは自分を救済するため。美術大学の学生はインサイダーアーティストとして美術史や美術理論や社会との関係を探るものだったが、そこにリアリティがなくなりアウトサイダー的になっているとも言える。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 4, 2025
https://x.com/anatatachi_ohno/status/1996441647710904518?s=20
手前味噌で恐縮ですが「自己流症候群」も混じってそうに思うのでその箇所を貼っておきます。出てくる事例が古いのは18年前の書籍ということでご容赦下さい。アートだから自己流でいいという変な思い込みは普通は美大で叩き直されるが、個性重視社会なのであまり強く言われないということはありそう。 https://t.co/9r66CAWoFE pic.twitter.com/K9sxS5Hh5V
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 5, 2025
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RT 「私的なモチーフ」=個人的な物語も最終的に市場価値をもつのかどうかで測られるような時代である。そもそも表現に「個人の内面」を見出しそこに価値を求めるのも近代以降のかなり限定された範囲の話であり、「個」はむしろ自分のことなど忘れて作っている時に結果的に滲み出るものでしかない。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 5, 2025
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芸術において金科玉条にように言われる「自由」と「個性」だが、自由は自由のないところで獲得することに意味があるもの、個性は結果として顕れるかもしれないが先取りはできない。それがあたかも所与のものであるかのように喧伝されてきたことに大きな問題がある。戦後教育の問題の一つだと思う。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 5, 2025
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「にように」じゃないよ「のように」。 https://t.co/7D6SyzaBwV
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 5, 2025
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誰もが何か描いたり書いたり弾いたり作ったりするようになった現在、表現活動を「アーティスト」活動(社会化する意識や市場価値判断が入ってくる)ではなく、自分を見つめ直すための自己陶冶としてするというあり方は否定されるものではない。ただそれも「アーティスト」との境が曖昧になっている。
— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) December 5, 2025
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