アート否定(芸術否定):そもそも人類にとってアート(芸術)・美学という概念なんかいらなかったのではないか
アート否定とは、個々の絵画、彫刻、映画、文芸等の作品ではなく、それらを「鑑賞とか称して、アート(芸術)やら美術だと思う」その概念を否定するということです。
アートと詫び寂びは「呪」
https://g.co/gemini/share/add7c95d930f
例えば、クラッシック音楽では音楽は音楽以外何ものも表現しないという言葉が有名です。
ストラヴィンスキー
「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」
別言すればアート概念なんか何の役に立つの?ということです。カントに正しい趣味について説教されるいわれはないからです。
そもそもアート(芸術・美術)というキリスト教世界の一部地域ローカル貴族文化に特有な概念でヨーロッパ貴族権威主義あり、全人類普遍性はないと思います。
また、AIが絵画や動画、詩作や物語を生成(捏造かもw)始めた現在アートの定義もいいかげんなので、対応できないと思います。前世紀の議論のとおり終焉すべきかと。アートのゾンビ化なんて不要です。
関連
アートとは
美術、藝術(芸術)という訳語
ファインアート
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
アートとその定義
ある種(形式、実践、活動)が芸術種なのかどうかは、慣習の問題である、というのがイネスの主張だ。「慣習」の中身については後ほど問題にするとして、とにかく慣習は本性から恣意的で偶然的なものなので、どれが芸術種でどれがそうでないかも恣意的で偶然的であり、したがってどれが芸術作品でどれがそうでないかも恣意的で偶然的だということになる。慣習的にそうなっちゃっているからにはそうなのであり、それ以上でも以下でもない。元も子もないと言えば元も子もない説明だが、イネスはこれを受け入れる。曰く、ある種を芸術種にするのは、「慣習的な雰囲気[a conventional atmosphere](488)」である。(もちろん、これはダントーが述べた「an atmosphere of artistic theory」へのオマージュだ。)
https://philarchive.org/rec/XHIWMA
芸術の概念は、ある特定の時代に、ある特定のイデオロギー機能を担って生まれたものである。ゆえに、論理的な一貫性を見出すことができない。ゆえに、芸術の定義の試みはうまくいかないとクロウニーは主張する。
III. なぜ歴史的起源説は芸術が定義できないと主張するのか
クリステラーたちの主張が正しければ、次の主張が成り立つ。
近代的な芸術の体系(制度と慣習と関連づけられたファイン・アートという概念、そしてファイン・アートを構成するそれぞれの芸術がひとつの特有の本質を共有しているという概念)は18世紀の西欧に源を発する。
その誕生から今日まで、近代的な芸術の体系は、近代的な資本主義社会を支えるにあたって、強力なイデオロギー的役割を担ってきた。
近代的な芸術の概念はファイン・アートという概念の直接的な継承者である。当然概念の歴史的な発展を考慮しても、同じ概念であると言える。
一つ目の主張はクリステラー『近代的な芸術の体系』において提唱され、シナー『芸術の発明』によってさらに詳しく述べられている。
https://lichtung.hatenablog.com/entry/2024/12/30/224451
アートは議論できるのか
そもそも芸術作品についての議論は可能でしょうか。個人の好みの問題となってしまいませんか。
これは18世紀の人々を悩ませていた古典的な議論で、18世紀美学の主要テーマの一つです。好みと言うレベルで語る場合、価値観が相対化してくる結果それぞれの自己主張がばらばらとなり闘争となるという、トマス・ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という世界観につながります。その典型的な現象として趣味が挙げられます。カントが引用したラテン語の有名なことわざ、英語では「tasteについては議論できない」について、僕は元々そのtasteは単に「味覚」という意味だったのではないかと思います。味の好き嫌いは議論して言い負かしたところで、相手の食べるものが変わるわけではありません。
16世紀頃からtasteに相当する単語が「趣味」、つまり芸術作品や衣服についての好みの意味に使われ始めました。好みにも良い好み・悪い好みがあり、良い趣味という言い方がスタンダードで、良い趣味とは誰もがなるほどもっともだと認める好みという意味で使われていました。それを18世紀の哲学者たちは芸術の美を判定する能力として意味合いを確定させていき、例えばカントはその良い趣味の「良い」を取って趣味を絶対化し、美を判定する能力という定義を「趣味」に与えました。
カントの著作「判断力批判」の最初の部分は、趣味判断の分析に充てられています。趣味判断とは具体的には快不快を基準に判定し、利害関心を持たずに虚心坦懐に見る、概念をそこに持ち込まないということです。心の中にずっと見続けたい気持ち、つまりそれが何かはわかっていながら見続けるというようなある種のバランスの中に対象を捉える、それをカントは趣味判断、直感的なaestheticの判断と呼んでいます。カントは「好みについて議論できない」のではなくて絶対的に正しい趣味があると考え、だからこそそれが理論化されました。
ただ我々の生活の中では常に次のような緊張関係があり、これはいつまでもなくならないのではないかと思います。つまり一方においては哲学的に理論武装して良い趣味を正当化するという試みがあり、カントがその仕事を全て終えたと考えている人も少なくありません。しかし同時に「だからどうした、私は絶対にそういう事は認めない」と言う人達がいます。
https://www.kyoto-up.org/archives/1412
アート(美術)概念誕生からの歴史
―美とは何でしょうか。
「どの文化圏にも古代より美や感性についての思想がありますが、認識形態としての感性的を大体はいかがわしいように見ていると思います。しかし近代において美学が学問となるときにはそれなりの理由がありました。いま美学史という本があったとすると、古代から連綿として美学が存在していたかの如く書いてあるでしょう。しかしそれは違います。」
https://www.kyoto-up.org/archives/1416
古代ギリシャ・ローマ
古代ギリシャの時代、人が何らかの目的を達成する「技」全般のことを「テクネー(technē)」と言った。つまり、「テクネー」は、絵画術、彫刻術、建築術、測量術、治療術、格闘術、乗馬術、料理術、弁論術、恋愛術、占星術など、ありとあらゆる「技」を意味する言葉であった。
古代ギリシャが古代ローマに支配され、「テクネー」がラテン語で「アルス(ars)」と翻訳されてもその意味に変化はなかった。つまり、「アルス」も何らかの目的を達成する「技」全般のことであった。
プラトンは否定的
結論
プラトンにとって芸術は、おそらく自らも魅了されていただけに、道徳的に非難されるべき側面を持つ厄介な代物であったに違いない。著作「イオン」のおいて、芸術家がある種の特権(詩的霊感)を持っていることを認めてもいる。しかし、それをイデアを知るという意味において、知識としては認めなかった。
中世ヨーロッパ
中世のキリスト教世界においては、美しさが「知性的な実在、道徳的な調和、形而上学的な光輝」とされた。
16世紀フィレツェ
自由七科(リベラルアーツ)に取り込まれた絵画、彫刻、建築
美術というカテゴリーの中に絵画、彫刻、建築を同居させる上記の制度は、実質的には16世紀のフィレンツェに世界初の美術アカデミー「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(直訳すると、素描または線描の技術のアカデミーという意味)」を設立した画家ジョルジョ・ヴァザーリの発明である。彼はフィレンツェを含むイタリアのトスカーナ地方の芸術の優位性を主張するためにアーティストの伝記集『画家、彫刻家、建築家列伝』を書き、その中で絵画、彫刻、建築の三技芸を「素描(線描、ディゼーニョ)」の芸術として統合した。その理屈はこうだ。絵画も彫刻も建築も、構想や設計の段階で素描を描く。その素描がないと作品が作れないのだから、絵画も彫刻も建築も素描から生まれていることになる。だからそれらの三技芸は本質的に同じ素描の技術である……と。ちなみに素描や線描を意味するイタリア語のディゼーニョ(disegno)はフランス語でデッサン(dessin)、英語ではデザイン(design)となる(現代英語でデザインといえば産業分野のデザインや「設計」の意味合いが強いが、19世紀ごろまでは「素描」の意味で用いられていた)。
このアカデミーが重視したのが、美術は自由学芸(リベラルアーツ)であるというルネサンス以降のイデオロギーである。自由学芸とは文法学、論理学、修辞学の三学と幾何学、算術、天文学、音楽の四科からなる教養のこと。中世まで、ヨーロッパでは絵画や彫刻などの分野は学問ではなく「手技」だとみなされていたが、幾何学の応用で成り立っている線遠近法を使い、解剖学の知識を探究し、文学の素養をもって物語を造形するルネサンス以降の美術が学問に数えられないのはけしからんということで、同業者の地位向上と福祉の追求、そして美術の学問体系化がアカデミーを中心に進行していったのである。これと同様の制度をイタリア半島の諸国(イタリアが統一されたのは19世紀)やフランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパ諸国が導入し、発展させてきたのが美術の枠組であって、その言葉の定義には「美術は自由学芸であり、手技だけではなく理論と歴史の体系を持つ」という前提がともなう。
18世紀フランス
ファインアートの誕生
応用美術や大衆芸術と区別されるファインアートの概念は18世紀後半のヨーロッパにおいて確立した。 その芸術的価値だけではなく、他の実用的価値を持つものを応用芸術、大衆の娯楽のためのものを大衆芸術と呼び、そのいずれにも属せず、芸術的価値を専らにする活動や作品をファインアートと呼ぶようになった。
The Modern System of the Arts: A Study in the History of Aesthetics Paul Oskar Kristeller Journal of the History of Ideas 13 (1/4):17 (1952)
https://philpapers.org/rec/KRITMS
芸術概念のはじまり
18世紀に関して、ロペスのネタ元はPaul KristellerのThe Modern System of the Artsという論文だ。Kristellerに従えば、芸術の概念が完成したのは18世紀半ばのフランスだ*1。
芸術概念の成立ということでここで意味されているのは、絵画や音楽や詩を「似た活動」としてまとめあげ、それを学問や他の技術から区別する発想だ。よく知られているように、それ以前の"art"*2という語は、現在の「技術」に近い意味であり、絵画や彫刻だけではなく、哲学や天文学や釣りや工学やその他さまざまなものを含んでいた。
要するに、現在ある芸術の分類に近いものが完成したのが18世紀だった。この新しいグループの中核にあったのは、絵画、彫刻、建築、音楽、詩。よく含まれていたのが造園、ダンス、舞台、散文。またこのグループは、リベラルアーツや実践的技術や科学といった他の新しいグループから区別されるようになった。なお、この辺の歴史は日本語だと佐々木健一『美学事典』の「芸術」の項目などが簡潔にまとまっている。
また、この新しいグループは、理論によって保護された。Paul Kristellerによれば、この重要なステップは、シャルル・バトゥーの理論によってなされた。バトゥーによれば、芸術は美しい自然を模倣するという共通点をもっている。この理論は、同時代でもさまざまに反論されたが、それが提案していた分類そのものは否定されなかった。これはおもしろいところだと思うが、バトゥーの理論そのものは正しくないかもしれないし、受け入れられもしなかったが、それによって芸術概念が導入され、安定化することになった。
近代社会のうちで芸術は本質的にイデオロギー的な機能を持つ。もしこの主張が正しいのなら芸術の定義をめぐる議論は見当違いなもので、取りやめられるべきものである。
前件はクリステラー、シナー、ブルデュー、イーグルトン 、マティックを参照し、明らかなものとされ、この論文では詳しく議論されない*2。
この論文では、18世紀に近代的な芸術の体系が誕生したというクリステラーたちの主張を正しいものとする。クロウニーによれば、近代的な芸術の体系とは、以下のような概念である。
近代的な芸術の体系:諸芸術それ自身、加えて、芸術というカテゴリーが存在するという概念、そしてその芸術のカテゴリーと関連する制度、慣習を総称した概念である。
そして近代的な芸術の体系は、近代における経済的、社会的、階級的な条件と関係して発展した概念であり、ゆえに、イデオロギー的である、とみなすことができる。
芸術の定義には、一貫性が見当たらないにも関わらず、現実には機能し、他の活動と区別されている。ここから、芸術の定義はイデオロギー的な機能を持つ、とみなされる。
https://critique.aicajapan.com/6425
ヘーゲルの美学
ヘーゲルは、芸術を3つのカテゴリーに分けて考察している。
①古代ギリシア以前の「象徴的芸術」(例えばインド、エジプト、ヘブライの芸術など)、
②古代ギリシアの「古典的芸術」、
③キリスト教的な近代の「ロマン的芸術」。
なお、ヘーゲルの用いる「古典的」「ロマン的」というのは、一般に言われている「古典主義」「ロマン主義」とは重ならない点で注意が必要だ。 ①の「象徴的芸術」には建築が、②の「古典的芸術」には彫刻が分類されているのに対して、③の「ロマン的芸術」に絵画や詩とともに音楽が位置づけられている。 ヘーゲルは、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」の統一が成し遂げられた②の古代ギリシアの古典的芸術こそ、「美の頂点」であるとしている。ヘーゲルは、
「ギリシアでは芸術が絶対者(=神)に対する最高の表現であり、ギリシアの宗教は芸術それ自体の宗教であった(ホトー編纂『美学講義』1835-38)」
と述べ、あくまで芸術の本質は絶対者(=神)の表現であると捉えた。 その一方で、音楽が属するロマン的芸術においては、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」は一致しないのだが、それはキリスト的な絶対者は感性的には捉えられないことに起因し、その存在を暗示するための両者の不一致であるとヘーゲルは考えた。
そして18世紀から現代へ
美についての思想はやはり18世紀特有の時代的な重要性を持っていました。中世には別の重要性はあっても、一つの学問領域として美学を独立させるような重要性を持っていないと思います。
18世紀半ば」
「同時期にフランスの哲学者マルブランシュという、キリスト教的哲学を標榜した哲学者は、神がなぜ世界を創ったか考えます。こう言えば全く暇人が考えたようにも思われますが、実は非常に現実的な意味があったのではないか、つまりこの世界の存在根拠は何かということを同時に問うているわけです。マルブランシュが出した答えは、美しい世界を創ることが神にとっての誇りとなるということでした。神は完全な存在なので、世界が必要だから作ったのではありません。ではなぜ創ったかというと、それは美しい世界を創ることによって一種の自己満足、自分の誇りを得るためです。つまり動機なしに何かを起こすという、動機無き動機は美にあるほかないと彼は考えました。美学を提唱したのはバウムガルテンという哲学者ですが、彼の主張は時代の要請に符合しています。換言すると彼の主張する3つのテーマである感性的認識、その対象として美という価値、それが実現されるような芸術、そのそれぞれに共感する素地が時代にあったと言えます。
新しい文明にとって重要な美は自然美でした。同時期の哲学者シャフツベリも自然、宇宙の中に美があるということを問題としています。マルブランシュも神の創造した宇宙、自然美を問題としています。人間の芸術作品の話ではありません。美学は最終的に19世紀初めに確立し、その後現代にいたるまで続く芸術哲学となりますが、以上は「美の哲学」です。美の哲学は自然美、宇宙の美についての哲学であり、それは自分たちの住む世界が秩序を持ちうる、平和な世界となり得ることを保証しました。
ところが19世紀初頭になって確立した美学は、もうほとんど自然美を捨てていて芸術作品の美学に変わります。美の哲学と芸術の哲学のギャップは非常に大きいものです。芸術の哲学は、芸術は自然ではなく人間の作り出すものであり、人間の創造的な活動は芸術において極まると人々は考えました。その間に起きた変化には芸術自体の変化、世界の中における人間の位置の変化、色々なものが関与していると思います。芸術の変貌という点では僕は、近代の代表的な形態を孤独で瞑想的な芸術と呼んでいます。
孤独で瞑想的な芸術の対比項としてあるのは王が催す大規模な芸術です。ルイ14世はベルサイユの城の中でジャン・ラシーヌの悲劇やモリエールの喜劇を上演しました。よく案内に面白おかしく、ベルサイユ城ではみな庭園の中で用を足していたと書いてあります。まあ面白いでしょう。しかしこういった事が起こる理由は、あの城は王権の象徴という意味合いを託された、非常にパブリックな構築物だったからです。当時の芸術はひとりで鑑賞するものではなく、多くの宮廷貴族達に王の権威を吹き込むような効果を持つものこそ芸術だったのです。ベルサイユ城を見る人々はその素晴らしさに感銘し、素晴らしさが王の権力のイメージに投射される。悲喜劇の上演は単なる楽しみのためではなく、文化政策のひとつでした。
しかしその頃から同時に、ほんの少しずつ個人的、内面生活に関係する芸術が現れてきます。つまり先で挙げた、孤独で瞑想的な芸術に相当します。それ以前も宗教芸術の中にそうした特徴は認められないわけではありませんが、そこには宗教的な思いがこもっています。対してそうした宗教性抜きにした、普通に生活している我々の内面生活と直結するような芸術が近代的な芸術です。美学が芸術哲学として確立することと、そうした芸術が主流となってくる芸術の歴史的段階とはまさに対応します。
フランスの哲学者アランの『芸術論集』には軍隊のパレードは芸術だと書いてあり、僕は学生時代に読んで驚きました。しかし先のような芸術史の捉え方をすると、軍隊のパレードはまさに芸術です。ルイ14世の場合はあちこちで戦争してパリの街を凱旋行進し民衆に見せつけ、そうした効果として近代的なnationが生まれてきます。18世紀、権力者に認知されることによって芸術、特に造形美術は社会的なステータスを確立しました。というのもそれ以前は学問研究から土木工事のような肉体労働に至るまで広い領域、実践的な知識の領域がすべてartでした。造形美術は肉体労働であり、ギルドの中でも造形美術家は上位にランクしません。ですからレオナルド、ミケランジェロに代表される天才達にとって、自分たちの自負と社会的地位の間にはかなり落差があったことでしょう。
ルイ14世のベルサイユ城や凱旋行進と似たものを現代に探せば、一番現代的なのはオリンピックの開会式でしょう。北京オリンピックの開会式はパブリックで、まさに国家の威信を背負っているとわかると思います。今オリンピックを芸術と呼ぶ人は少ないと思いますが、それは近代的な芸術概念が定着しているからであって、実際は芸術的なものと見直すことが可能です。近代的な内面性、精神性という価値基準を外して考えるとオリンピックのセレモニーは非常に綿密な時間配分がされ、映画監督が演出し、視覚的音響的効果を厳密に計算して人々を広い意味で感動させようとします。
権力者たちの支援を得ることによってartは近代的なハイカルチャーとなりました。しかしその地位を最終的に確定させたのは権力者向けのパブリックなartではなくて、近代的市民の個人趣味的な内面性に訴えかけるような芸術でした。我々はそうした芸術に慣れているので大昔から芸術はそういうものだと考えてしまいます。美学が主張されたのは18世紀半ば、その後18世紀半にかけて多くの人がサポートし、19世紀初めには確立していました。僕の考えでは美学は近代の学問です。芸術がハイカルチャーとなったのは近代で、それに即応しているのが美学なのです。
美学の歴史には二つの山場があります。ひとつは19世紀初め頃のドイツ観念論の美学で、典型的にはカント、ヘーゲル、シェリング、ゾルガー、ショーペンハウアーといったドイツの哲学者が展開しました。もうひとつのピークは20世紀後半のアメリカ。20世紀半ばを境にして、美術の中心がパリからニューヨークへ移ったということは今でははっきりとした歴史的事実と言っていいでしょう。」
佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(承前)
https://www.kyoto-up.org/archives/1416
20世紀1970年代の議論アートの終焉
1970年代以降アメリカを中心とする新しい美学が勃興し、その二つ目のピークは既に過ぎ、現在は根本的に新しいあり方へと変貌しつつあるように思います。まず芸術現象としては20世紀初頭のヨーロッパに革新的な芸術運動が現れました。この運動が取った新しい形態のひとつは、その時点において確立されていると思われる芸術を破壊しようとするもので、例えばデュシャンの「泉」が挙げられます。するとミロのヴィーナスと便器が同時に芸術であることをどのように説明するかということが重要な哲学的課題となります。
20世紀後半はアメリカにおいて、ヨーロッパ版のとは異なるアヴァンギャルドの第二波が現れます。色々な新しい形態のartと称するものが出現し、形の上で芸術を規定することができなくなりました。例えば便器や、川辺に流れ着いた木片を展示する流木アート。するとなぜ展示されると路傍の石ころがアートになるのかという問いが現れ、それが刺激になって新しい、ドイツ観念論とは異なる美学が現れます。それが20世紀後半のアメリカ発の美学でした。芸術の定義に集約される議論がなされ、70年代後半には一世を風靡した近代・歴史の終わりという議論とともに、「芸術の終焉」という議論がなされます。
https://www.kyoto-up.org/archives/1416
関連書
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E7%B5%82%E7%84%89
https://navymule9.sakura.ne.jp/end_of_art.html
https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/c8bace79581bcc80f5f2c0100cd2c540
https://kenichinakatsu.blog.fc2.com/blog-entry-85.html
ヘーゲルにおける芸術の過去性についてhttps://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2019/04/TAKIMOTO-Yuka_0025-0036.pdf
