ソーシャルワーカーがいなくても、世間は困らない
みなさんこんにちはKeiです。
救命救急センターが設置されている病院で医療ソーシャルワーカーとして働いている社会福祉士9年目です。
社会福祉士取得後、最速で認定医療ソーシャルワーカーと救急認定ソーシャルワーカーを取得しました。
noteとX (フォロワー2,300人以上)を365日以上毎日更新しています。
ソーシャルワーク関連のブログも発信中です。
本日は、『ソーシャルワーカーがいなくても、世間は困らない』というテーマを深掘りします。
ソーシャルワーカーは、いなくてはならない職業ではない
ソーシャルワーカーである私がこのような記事を書くのは、誰よりもソーシャルワーカーという仕事がなくなることを恐れているからです。
AIの進化
業務効率化
人手不足
コスト削減
いろんな理由が重なって、「相談支援」や「調整業務」は、どんどんシステム化されていく流れになっています。
ソーシャルワーカーの業務内容そのものに、「ソーシャルワーカーでなければならない理由」は存在していません。
実際、ソーシャルワーカーの仕事の中には、代替される部分がたくさんあります。
制度説明
社会資源の紹介
情報提供
書類案内
連絡調整
このあたりは、AIを利用する方が既に合理的です。
同じ人件費であれば、社会福祉士や精神保健福祉士に頼らない選択肢が出てくるのも、ある意味では自然なことだと思います。
ここで私が問いたいのは、「ソーシャルワーカーは必要か?」ではありません。
「ソーシャルワーカーの価値が、社会にちゃんと翻訳されているか?」です。
ソーシャルワーカーがいらないとは思わないけど、いらないと思う人が増えると減る
本当に価値が伝わっている仕事は、世間から“いらない”とは言われません。
たとえば、コンサル業は外から見ると、「資料を作っているだけ」
「会議で話しているだけ」「助言するだけ」に見えることがあります。
しかし、実際に優秀なコンサルが入ることで、組織が前に進むことがあるのは事実です。
見えていなかった問題が整理される
人間関係の摩擦が減る
意思決定が進む
空気が変わる
この手の仕事は、見え方によっては「必要ない」とレッテルを貼られてしまうことがあります。
価値はしっかりと存在しているが、その価値が見えにくい
“職種名”ではなく、“介入によって何が変わるか”で評価される
「医師」「看護師」のように名称では評価されない
ソーシャルワーカーも同じ構造です。
たとえば、退院支援は外から見ると、「なんとかして退院させる人」に見えることがあります。
しかし、実際にやっているのは、そんな単純な話ではありません。
家族は本当に介護できるのか
本人は何を諦めたくないのか
経済的に生活は回るのか
医療側はどこまでリスクを許容できるのか
地域で孤立しないか
これらの事柄を同時に見ながら、「生活が壊れない着地点」を探しています。
ソーシャルワーカーの仕事は、「調整」ではなく、「合意形成」に近いんです。
ソーシャルワーカーの成果は、見えにくい
ソーシャルワークの成果はものすごく見えにくいため、一般の人が評価をすることは難しいです。
たとえば医療現場では、何か問題が起きたときは目立ちます。
クレーム
急変対応
家族トラブル
緊急手術
一方で、以下のような「問題が起きなかった成果」は、あまり見えません。
家族が感情的に揉めずに済んだ
本人の意思確認が間に合った
多職種の認識ズレを防げた
退院後の孤立を未然に防げた
「火事を消した人」は評価されるのですが、「火事にならないようにしていた人」は、なかなか評価されない構造があります。
ソーシャルワーカーは、そういう仕事です。
しかも、ソーシャルワーカーって、医療の中では比較的新しい職種です。
もともと医療の中心にあったのは、「診断」と「治療」でした。
そこに後から、「生活」「家族」「地域」「退院支援」という視点が入ってきた背景があります。
ソーシャルワーカーは、病院というシステムの中に、“生活者の視点”を持ち込む役割です。
言葉を選ばずに言うと、外様なんです。なので、ときどき摩擦が起きます。
「そこまで考える必要ある?」
「理想論では?」
「現場が回らない」
このように思われてしまうこともあるでしょう。
一方で、その“異物感”こそがソーシャルワーカーの役割なんだと思います。
全員が同じ価値観だったら、「生活」を代弁する人がいなくなります。
ソーシャルワーカー界隈は、そもそも少数派だった
「ソーシャルワーカー界隈の価値観は、社会全体では少数派」ということをソーシャルワーカー自身が忘れてはいけません。
ソーシャルワーカー同士では「本人主体は大事」「制度より生活を見るべき」「効率だけでは測れない」という議論が盛んに行われますが、社会全体は、必ずしもそうではありません。
現代社会は、スピード、生産性、コスト、結果、効率といったソーシャルワークとは別の価値基準”でも回っています。
ソーシャルワーカーの中では「当然」の価値観が、外から見ると「なんでそこまで?」になることがあります。
怖いのは、少数派であることではなく、“少数派である自覚を失うこと”です。
自分たちの価値観が、社会全体でも共有されていると思い込んだ瞬間、外部とのズレが大きくなってしまうのです。
世間が合わせるのか、こちらが翻訳するのか
ソーシャルワーカーって、「正しさ」を持っている職種なんですよね。
本人主体
権利擁護
生活視点
背景理解
どれも本当に大事な視点なのですが、その価値観だけで閉じてしまうと、社会との接続が弱くなります。
一方で、世間に寄せすぎると、今度はソーシャルワーカーの存在意義そのものが薄くなることも事実です。
効率
生産性
回転率
自己責任
そこだけに合わせ始めた瞬間、「生活を代弁する専門職」ではなくなってしまいます。
大事なのは、“どちらかに寄ること”ではなく、「社会と接続できる形に翻訳すること」です。
たとえば、「本人の意思を尊重する」という言葉。
これはソーシャルワーカー界隈では当然の価値観ですが、そのまま発信しても外には伝わりにくいです。
「本人納得が高いほうが、医療不信や再トラブルが減る」
「家族調整を先にしたほうが、現場負担が減る」
「生活背景を踏まえたほうが、再入院率が下がる」
といったように、相手の言語に変換していくことが大切です。
これが、私がnoteで散々言及している「翻訳」というプロセスです。
これから残るソーシャルワーカー
これから先、単純な情報処理は、かなりAIに置き換わると思います。
それでも、最後まで残るものは「正解のない状況で、人と人の間に立つこと」です。
本人の本音と建前
家族の温度差
医療側の焦り
経済的限界
地域資源の不足
そういうものを全部見ながら、「誰も完全には満足しないけれど、壊れない着地点」を探す。
これは、単なる調整ではなく、人間関係と現実を扱う仕事です。
これからのソーシャルワーカーは、「制度を知っている」ではなく、「複雑な現実の中で、関係者が壊れずに意思決定できるよう支える」という価値を大切にしていく必要があります。
#めんどくさい仕事は需要がある
そして、その「価値を社会に翻訳できるかどうか」が、大きな分岐点になる。
「ソーシャルワーカーがいることで、現場や生活がどう変わったのか」を、社会に説明できるかどうか。
「必要だから残る」のではなく、「価値が伝わるから残る」時代に入ってきているのかもしれません
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ではまた。
