相互尊重
ヤスさん主催の「放課後ライティング倶楽」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
もうこれで事は終わると思ったのだ。これで、ジ・エンドだと。
だが、この「土曜日の知らんけど」は、まだまだ続いているようで……。
幽霊部員だけに、何度も参加を飛ばしながらなのだが、ちょっぴり参画したりしている……。
今日もまた、悪ガキ幽霊部員のkojuroがクラブハウスの屋上で機嫌よくサボタージュ昼寝をしてるところへ、なんだか妨げるものがある。
雨が降ってきた?
いやいや、ヤスさんから投げられたボールだ。
どっかから、ドッジボールが投げ込まれて、ポーンポーンと跳ね、最後にはコロコロとこっちに転がってきた。
頭んところに転がってきた、今日は青いゴムのドッジボールを拾い上げると、なんか書いてある。
出た出た。
で、今回は、何?

心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
みんな、質問して来る人、ペンネームが粋ですなぁ。
しかし、幽霊部員の俺には、「磨く」とか「武器」とかってムズいこと、あんまり適切には言えないんだよなぁ。
しゃあないなぁ、ちょびっとだけよ。昼寝を切り上げるのは。
重い重い、ブラックホールより重い腰を上げて。白色のボールを拾い上げ、馬がちょうど追いかけられやすいようなスピードで放り投げる。
私は、noteの世界でも、何でも。人を誹謗中傷したり嫌な思いをさせるのは、如何に自らの主張や理念が正しいと思われようとも、それはダメなんだろうと思う。
どんなときも、お互い様なのである。そういう相互尊重の姿勢がなければ、まともなコミュニケーションは成立しない。
そう、思う。
人が記事を読んで違和感があると感じたとき。例えば多少自虐的であろうが、あるいは多少自己主張的であろうが、それがそれが不快までいくかどうか。そのバランスが問われているのではないだろうか。
それが共感を生むところまで求めるのが、質問の本質の「磨く」というところなのだろうが、私は、それは不可能なんだろうと思う。
なぜならば、何らかの、記事なり創作物なり情報を放つと、もうそれは自分のものではなくて。すべては、放ち手ではなく、受け取り手に解釈も理解も、委ねられるからである。
それは、言葉というものの宿命であろう。
だからこそ、そこには相互尊重の魂がなければならないのだろうと思う。
ただ。
共感を得やすい言葉の紡ぎ方。文章の書き方というものはあるのだろう。
ヤスさんの記事では、「知らんけど」と言いつつ、そこを面白おかしく、明快に書かれている。
本当に「磨き」たいのならば、ヤスさんの「放課後ライティング倶楽部」に入ることをお勧めする。
私は幽霊部員なので。これは、勧誘などでは、決してないが。
幽霊部員ながら、ヤスさんの記事は、ほぼ毎日、面白く読んでいる。読み専なので、ただ、読んでいるだけなのだが。笑
ここまで来て思い返すに。こんな私の拙ない記事にでも読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。
本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心の底から感謝を申し上げたい。
あれ?
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。
コジくん、また他人様に向けて偉そうなこと書いてるの?罰として今夜も倍マッサー(注1)ね!
うっ……。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。
(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。

